コーヒーゼリー

谷内 朋

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内省編

ー22ー

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 そんなある日の事、かなり久し振りに結婚相談所から新たな紹介内容のメールが届く。波那はどうも気が乗らないので一度電話で断りを入れた。しかし数日後、先方の女性が納得してくれない、と連絡があって仕方無く相談所に足を運ぶ。
 「御無沙汰しています」
 「そうですね、ほぼ一年振りでしょうか?恋人でもいらっしゃいました?」
 今回も例に漏れず同じ相談員に当たり、久し振りとは言え顔馴染み状態になっている。
 「はい、でも別れてしまいました……」
 そうですか。彼女は営業スマイルで波那の顔を見た。
 「小泉さんお若いですからまだまだ自力で探せますよ」
 「たまたまです。今回のお話、やっぱりお断りしたいんですけど……。ダメですか?」
 波那はやはり気乗りしなくて断りの打診をする。
 「そうですねぇ……。経験上の話ではありますが、このタイプの方は何度申し上げても納得してくださらないパターンですね。それに日時も待ち合わせ場所も指定済みなんです 」
 こちらです。彼女はそう言ってまだ見ぬ女性が指定してきた日程表を見せてくれる。日時は定期検診の確率の高い金曜日の午後七時、場所は兄時生が暮らしている会社の独身寮の最寄り駅となっている。
 えっ?その駅は職場へ通うのに利用しているJRと、自宅最寄り駅に繋がっている地下鉄との乗換駅で利便性もあり、大きな駅なので丞尉ら幼馴染みらとの食事はこの駅近郊の飲食店をよく利用していた。因みに中林が利用している私鉄駅も近辺にあり、この地が終始発地点駅となっている。
 「……完璧過ぎる」
 「その様ですね。一度お会いして直接お断りした方が早くカタが付くかも知れませんよ」
 「そんな気がしてきました……」

 約束の金曜日の午後七時、指定された駅の東口に向かった波那だったが、遅刻して姿を見せたのは三年前まで交際していた元カノだった。そこに彼氏と名乗る男性が現れて、人通りの多い駅前で口論を始めてしまう。聞くとこの二人きちんと別れていなかった様で、見合いの待ち合わせのはずが修羅場の仲裁をさせられる羽目となった。
 その後三人で駅近くの居酒屋に入るも二人のバトルは収まらず、別れ話の決着は付いたものの、甲斐甲斐しく食事の世話をする波那を見初めてしまった男性に交際を申し込まれる。と言うおかしな展開に発展して収拾が付かなくなる。
 波那は勢い余って好きな人がいる、と交際を断り、元カノとのお見合いもご破算にして店を出た。とにかくその場から離れたくて珍しく走ってしまい、ようやくたどり着いた駅の前で力が抜けて立っていられなくなってしまう。
 
 そこから意識が飛んだのか気を失ったのか、波那はソファーを占領して横になっていた。その内装には見覚えが無く、ブーンと音のする方に顔を向けると、おもちゃの扇風機を持っている毛利の姿があった。
 「気分はどう?ここ僕ん家だよ」
 「翼君……?僕どうしちゃってたの……?」
 「駅の入口で倒れてたんだよ、去年イタズラさせちゃった連中が波那ちゃん見掛けて連絡くれてさ。ちょっと足取りヤバイんだって呼び出されて、発作じゃなかったし息もしてたから手伝ってもらってここに連れて来たんだ」
 根は悪い奴らじゃないんだよ。毛利は波那に扇風機を手渡すと、おでこに貼ってあった冷却シートを剥がした。
 「熱あったから、微熱程度だけど」
 彼は額にそっと手を当てて、うん、下がった。と満足げに頷いた。
 「ゴメンね、迷惑掛けちゃって……。あの人たちにもお礼、言わないと……」
 「そこは気にしなくて良いよ、アイツらむしろ『こんなじゃ借り返せてない』って言ってるくらいだから」
 バツ悪そうにそそくさと帰っちゃった、毛利はそう言って笑った。
 「それにしても、倒れる様な事って何があったの?」
 彼は洗面器やタオルを片付けながら訊ねる。波那は先程の見合いの顛末を話し、ウンザリしちゃった。とこぼした。
 「確かにウンザリだね、でも倒れるほどの事?」
 「多分走っちゃったからだと思う……、少しでもその場から離れたくなって……」
 ふ??ん……、毛利は意味深げな表情を向けてくる。
 「何か隠してるでしょ?」
 「どうしてそう思うの?何も無いよ」
 波那はそう言ったが、今になって目頭が熱くなっている事に気付き、どうやら夢か何かを見て泣いてしまっていた様だ。
 「僕もしかして……」
 「うん、うなされてた」
 そう……。彼は夢の内容を思い出そうとしたがそれは無理な話だった。
 「嘘は良くないよ、波那ちゃん」
 毛利はそれしか言わなかった。しかし波那は何故かそれだけで何を言わんとしているのか理解出来てしまったので、ただ黙っている事しか出来なかった。

  ある平日の仕事帰り、波那のケータイに知らないアドレスのメールが届く。
 「誰だろ?開くの怖いなぁ……」
 波那は電車に揺られながら、出入口の手すりにもたれ掛かってドキドキしながら開いてみると、『久留米千郷です』とタイトルが記されていた。本文には彼の連絡先と共に、都会暮らしに馴染めず心の病にかかってしまい、今は畠中と別れて実家に戻り療養している。と言う近況報告が主だった内容のメールだった。
 『宜しかったらお返事頂けると嬉しいです』
 最後はそう結ばれていたが、かつては畠中と恋仲だったという嫉妬心と、密かに中林の心の中に入り込んできた敗北感が疼いてしまい、何もしないまま数日間放置していた。

 そんな中、一人留守番で家事仕事をしていた波那の元に一本の電話が鳴る。
 「はい」
 『中林です。今時間あるか?』
 うん。波那は約一ヶ月振りとなる元カレからの着信にときめきを覚え、家事の手を休めてリビングのソファに腰掛ける。
 『千郷からメール来たろ?実は波那ちゃんの連絡先教えてくれ、ってずっと催促されてたんだ。ゴメン、勝手な事して』
 「そう、それで……。何日か前に届いたよ、メール……」
 どうしてそんな事したんだ?一瞬中林を責める気持ちが湧き上がってきた波那の心はチクリと痛む。
 『しばらくは消去したから、で逃げてたんだけど……。一度本音を話し合った方が良いのかも知れない、って思い直したんだ』
 「どうしてそんな事思ったの?」
 波那は彼の言葉が理解出来ず、心の中はぐちゃぐちゃになって少しイライラしてくる。
 『そうだな……、俺には気が合いそうに見えたからかな?あいつはちゃんと準備出来てる、多少の暴投なら受け止めてくれるさ』
 「そんな事言われても、何をどう話して良いか分からないよ……」
 彼にとっては気が合うどころか、自身の心を引っ掻き回すだけの存在にしか映っていない相手と話す事など何も無かった。
 「悠麻君、何の為にこんな事したいの?」
 波那はクサクサした感情に支配されてつい棘のある口の聞き方をしてしまう。こんな事言いたくない。心の奥で悲鳴を上げていたのだが、今の彼にはそれを抑える事が出来ない。
 「千郷君と付き合う為の下準備なの?それなら彼に寄り添う方が得策だと思うけど」
 波那ちゃん?中林は電話越しからでも分かるほどに混乱している波那に戸惑っている様だった。彼にしてみれば千郷と出会った時点で少しずつ蓄積されていた塊だったのだが、中林との交際中は表に出さないよう注意を払ってきた。
 『さっきから何の話してんだよ?』
 「とぼけないで、そんな事に利用されたくない」
 波那の胸は急激に締め付けられて呼吸が浅くなってきた。体はソファから滑り落ち、カーペットに手を付いて倒れない様体を支える。
 『波那ちゃん、大丈夫なのか?』
 中林は電話越しの異変を察知したのか心配そうに声を掛ける。
 「大丈夫……、心配しないで……」
 彼はぎゅっと胸元を抑え、溜まった空気を吐き出そうとしていた。
 『今どこに居るんだ?家か』
 うん……。波那は吐息混じりの小さな声で答える。
 『今から行く、そこで待ってろ!』
 中林はそう言うなり通話を切る。波那は必死に呼吸を整えようとしていたがなかなか上手くいかず、一人もがき苦しみながら元カレが来てくれるのをただひたすら待ち続ける。

 それから一時間もしないうちに中林が訪ねてくる。二人の自宅は直線距離にすると十キロメートルほどで、迂回ルートの交通機関よりも彼が愛用しているマウンテンバイクの方が早く到着するのだ。
 「少しは落ち着いたか?」
 うん……。波那は中林を招き入れて二階の個人部屋に案内する。その際に用意していた菓子と紅茶を見て苦笑いした。
 「そこまでもてなさなくて良いよ」
 「じっとしてるとろくな事考えないから……。さっきは変な事言ってごめんなさい」
 「あんな波那ちゃん見た事無かったから驚いたよ。でも人間誰にだってあんな時はあるもんさ」
 中林は波那の隣に座り、二人はひとまず菓子をつまんで紅茶をすする。
 「ところでさ、星哉とは上手くいってんのか?」
 え?波那は手を止めて元カレを見る。畠中と交際していると思っていたのか不思議そうな顔を向けてくる。
 「えっ?付き合ってないのか?」
 「うん。でもそんなに意外?彼とお付き合いしてない事が」
 波那はそう言って微笑んでみせる。
 「あぁ、そうすると思ってたから」
 「僕はあの時悠麻君を選んでたんだ。結果はどうあれ畠中さんにすがる気は無かったからそのままお別れした」
 それ以来お会いしてないよ。波那は菓子を口に入れる。
 「そっか。でもその選択をしたところで多分俺たち別れてる」
 中林は穏やかな口調で言った。二人はしばらく黙って見つめ合っていたのだが、これまでと違い恋焦がれるときめきは湧いてこなかった。もう終わってる……。どこかで彼への未練を想定していた波那にとっては意外な心情だった。
 「そう……かも知れないね」
 「波那ちゃん、本当はもう気付いてんだろ?」
 中林は優しい表情を見せて波那の頬を触る。変わらず冷たい手に触れて、千郷への醜い感情が無意味である事を思い知る。波那はその場で泣き崩れてしまい、中林はそっと寄り添って体を支える。その優しさに甘えている波那は、面倒な役割を引き受けてくれている事に対してごめんなさい、と何度も謝るのだった。
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