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『明琳が下女に!?どうして?俺の明琳が……下女なんかに……』
『誰が俺のだ!!図々しい!!我々の姫だ!!』
『凌恂(りょうじゅん)、忙しいのにすまないね。君にお願いがあるんだよ』
義理の兄である皇帝陛下に呼び出され、とんでもないお願いをされてから数週間、後宮にも慣れてきた凌恂は重い溜息を吐いた。
最愛の明琳が下女として後宮で働いていると聞かされ、彼女に何があったのかと愕然とした。
あの可憐な明琳が、あの箸より重たいものを持ったことがない明琳が下女に混じって誰のものかもわからない衣を洗っているなんて……考えただけで今すぐ後宮に乗り込んで止めさせたかった(無理なのはわかっているが)。
しかし皇帝陛下をはじめ取り巻き二人が何も言わないのなら、自分が口を出せるわけがなく……。
皇帝のむちゃくちゃなお願いに首を縦に振る以外の選択肢は凌恂にはなかった。
「なんだかんだいって皆、明琳には甘いんだよな……」
ブツブツと愚痴めいたことを言う凌恂もその一人ではあるが、本人にその自覚はない。
凌恂の本来の仕事は皇帝を守る近衛なのだが、姉が皇后ということもあり皇帝とは近衛以上の近しい関係かつ信頼を得ていた。
その皇帝から“宦官になってほしい”とお願いされたときは、人生終わったと本気で思った。
実際は『明琳を近くで守ってほしい。大変だと思うが宦官という“形”を取り後宮に入って貰いたい』というのが正しく、凌恂は胸を撫で下ろしたのはいいが。後宮に潜り込んだはいいものの、当の明琳とすれ違うことすら出来ずに途方に暮れていた。
一応、宦官の仕事もあり明琳を探すことだけに集中出来ない。それに後宮は無駄に広く……何千と宮女がいる中を当もなく探しても時間の無駄でしかなかった。
「ああ~明……香寿はどこにいるんだ!」
「あんた、香寿の知り合いかい?」
背後からの声にビクリと肩を震わせた凌恂は隠し持っていた短剣に手を忍ばせた。武官として背後を取られることは “死” を意味する。気配を感じなかった……などと言い訳は許されない。ここが戦場ならとっくに首を斬り落とされていただろう。後宮という場所とはいえ、武官として無能の烙印を押されても仕方のない状況である。
凌恂としても腕に覚えがあっただけに屈辱のなにものでもないが、後宮で刀を振り回すわけにもいかず、ここは宦官としての対応をとって振り返ろうとしたとき、
「由稟さ~ん!なにして……、凌……恂?」
たまたま由稟を見かけて声を掛けた香寿だったが、まさか由稟のどっしりした体の陰に凌恂が隠れているとは思いもせず、大きな瞳をぱちくりさせていた。
「やっぱり香寿の知り合いだったのかい?怪しいのがいると思って近づいたら、香寿の名前を叫んでたんで声を掛けたんだよ!」
「凌恂……」
香寿はじと~と紫の瞳で睨みつける。
「いや……これは、その……ほらっ」
“なぜ、あなたが後宮にいるのよ” という香寿の視線に凌恂はあわあわと口籠った。他の人間がいる前で迂闊なことは言えない。
「なんだい、なんだい! あんた香寿を追いかけて来たのかい? わざわざ宦官になって? いや~若いっていいね~」
うんうんと由稟はなぜかご満悦である。
あながち間違ってはないが勝手に納得されても困る。武官としての矜持をズタズタにされた凌恂の心中など知るはずもなく、由稟は豪快な笑いを残してその場を去って行った。
香寿は息を吐くと「凌恂 ……あなた本当に宦官になったの?」と冗談まじりに訊く。
「君を守るためには宦官になるしかないだろう……」
“形” だけではあるが、ここで否定するのは危険だ。誰が聞いているかわからないのだから。
「……ちゃんと仕事(宦官)しなさいよ」呆れたように香寿は呟いた。
「もちろんだよ!」
凌恂が ”宦官“ として後宮に来たのはどうせ“あの人”から無理やりお願いされたのだろう。この幼なじみは武官としては申し分ないが、少し猪突猛進なところがあり空回りするきらいがあるのだ。……香寿は小さく溜息をついた。
「でも、ちょうど良かった!凌恂、早速で悪いのだけど明日の夜、わたしの部屋(紫月宮)に来て貰えないかしら?」
え……っ、凌恂は胸をドキリとさせた。まさか、夜のお誘い!? 後宮に入って間もないのに……いきなり? 皇帝やその取り巻きに知れたら間違いなく命はない。だが……、
「凌……恂?」
ひとり盛り上がる凌恂に小首を傾げながら香寿は仕事場に戻ったのだった。
*
後宮の翠季の部屋で明琳は少しばかり落ち込んでいた。
「……凌恂まで後宮に来てしまうなんて……わたくし、翠季様に申し訳なくて……」
「まあ、そんなこと気にする必要はないのよ。明琳のためならあの子は火の中水の中だって平気で入っていくわ!」
一切の心配もせず本当に実の姉なのだろうかという発言を翠季は連発していた。
「それに “形” だけなのだから、気に病むほどのことではないわ」
「それなら良いのですが……凌恂には好いている方がいらっしゃるようですし、わたくし本当に申し訳なくて……」
長い睫毛を濡らす明琳を前に翠季はなんとも言えない溜息を漏らし、燕花は気の毒に……という憐れんだ表情を浮かべていた。知らぬは本人ばかりなり……宦官に扮してまで後宮に来たというのに、凌恂の想いはまったく明琳には届いていないようだ。
さすがの翠季もこのことに関しては弟が不憫に思えてならない。
「ところで翠季様。わたくしちょっと面白い噂話を耳にしまして……」
「まあ、なにかしら?」と、瞳の奥が光る翠季と同じく紫の瞳を輝かせる明琳……二人の夜は楽しく更けていく。
あとに残るのは、思いを気づいて貰えない凌恂が勘違いな夜を迎えるということだけだったーー
『誰が俺のだ!!図々しい!!我々の姫だ!!』
『凌恂(りょうじゅん)、忙しいのにすまないね。君にお願いがあるんだよ』
義理の兄である皇帝陛下に呼び出され、とんでもないお願いをされてから数週間、後宮にも慣れてきた凌恂は重い溜息を吐いた。
最愛の明琳が下女として後宮で働いていると聞かされ、彼女に何があったのかと愕然とした。
あの可憐な明琳が、あの箸より重たいものを持ったことがない明琳が下女に混じって誰のものかもわからない衣を洗っているなんて……考えただけで今すぐ後宮に乗り込んで止めさせたかった(無理なのはわかっているが)。
しかし皇帝陛下をはじめ取り巻き二人が何も言わないのなら、自分が口を出せるわけがなく……。
皇帝のむちゃくちゃなお願いに首を縦に振る以外の選択肢は凌恂にはなかった。
「なんだかんだいって皆、明琳には甘いんだよな……」
ブツブツと愚痴めいたことを言う凌恂もその一人ではあるが、本人にその自覚はない。
凌恂の本来の仕事は皇帝を守る近衛なのだが、姉が皇后ということもあり皇帝とは近衛以上の近しい関係かつ信頼を得ていた。
その皇帝から“宦官になってほしい”とお願いされたときは、人生終わったと本気で思った。
実際は『明琳を近くで守ってほしい。大変だと思うが宦官という“形”を取り後宮に入って貰いたい』というのが正しく、凌恂は胸を撫で下ろしたのはいいが。後宮に潜り込んだはいいものの、当の明琳とすれ違うことすら出来ずに途方に暮れていた。
一応、宦官の仕事もあり明琳を探すことだけに集中出来ない。それに後宮は無駄に広く……何千と宮女がいる中を当もなく探しても時間の無駄でしかなかった。
「ああ~明……香寿はどこにいるんだ!」
「あんた、香寿の知り合いかい?」
背後からの声にビクリと肩を震わせた凌恂は隠し持っていた短剣に手を忍ばせた。武官として背後を取られることは “死” を意味する。気配を感じなかった……などと言い訳は許されない。ここが戦場ならとっくに首を斬り落とされていただろう。後宮という場所とはいえ、武官として無能の烙印を押されても仕方のない状況である。
凌恂としても腕に覚えがあっただけに屈辱のなにものでもないが、後宮で刀を振り回すわけにもいかず、ここは宦官としての対応をとって振り返ろうとしたとき、
「由稟さ~ん!なにして……、凌……恂?」
たまたま由稟を見かけて声を掛けた香寿だったが、まさか由稟のどっしりした体の陰に凌恂が隠れているとは思いもせず、大きな瞳をぱちくりさせていた。
「やっぱり香寿の知り合いだったのかい?怪しいのがいると思って近づいたら、香寿の名前を叫んでたんで声を掛けたんだよ!」
「凌恂……」
香寿はじと~と紫の瞳で睨みつける。
「いや……これは、その……ほらっ」
“なぜ、あなたが後宮にいるのよ” という香寿の視線に凌恂はあわあわと口籠った。他の人間がいる前で迂闊なことは言えない。
「なんだい、なんだい! あんた香寿を追いかけて来たのかい? わざわざ宦官になって? いや~若いっていいね~」
うんうんと由稟はなぜかご満悦である。
あながち間違ってはないが勝手に納得されても困る。武官としての矜持をズタズタにされた凌恂の心中など知るはずもなく、由稟は豪快な笑いを残してその場を去って行った。
香寿は息を吐くと「凌恂 ……あなた本当に宦官になったの?」と冗談まじりに訊く。
「君を守るためには宦官になるしかないだろう……」
“形” だけではあるが、ここで否定するのは危険だ。誰が聞いているかわからないのだから。
「……ちゃんと仕事(宦官)しなさいよ」呆れたように香寿は呟いた。
「もちろんだよ!」
凌恂が ”宦官“ として後宮に来たのはどうせ“あの人”から無理やりお願いされたのだろう。この幼なじみは武官としては申し分ないが、少し猪突猛進なところがあり空回りするきらいがあるのだ。……香寿は小さく溜息をついた。
「でも、ちょうど良かった!凌恂、早速で悪いのだけど明日の夜、わたしの部屋(紫月宮)に来て貰えないかしら?」
え……っ、凌恂は胸をドキリとさせた。まさか、夜のお誘い!? 後宮に入って間もないのに……いきなり? 皇帝やその取り巻きに知れたら間違いなく命はない。だが……、
「凌……恂?」
ひとり盛り上がる凌恂に小首を傾げながら香寿は仕事場に戻ったのだった。
*
後宮の翠季の部屋で明琳は少しばかり落ち込んでいた。
「……凌恂まで後宮に来てしまうなんて……わたくし、翠季様に申し訳なくて……」
「まあ、そんなこと気にする必要はないのよ。明琳のためならあの子は火の中水の中だって平気で入っていくわ!」
一切の心配もせず本当に実の姉なのだろうかという発言を翠季は連発していた。
「それに “形” だけなのだから、気に病むほどのことではないわ」
「それなら良いのですが……凌恂には好いている方がいらっしゃるようですし、わたくし本当に申し訳なくて……」
長い睫毛を濡らす明琳を前に翠季はなんとも言えない溜息を漏らし、燕花は気の毒に……という憐れんだ表情を浮かべていた。知らぬは本人ばかりなり……宦官に扮してまで後宮に来たというのに、凌恂の想いはまったく明琳には届いていないようだ。
さすがの翠季もこのことに関しては弟が不憫に思えてならない。
「ところで翠季様。わたくしちょっと面白い噂話を耳にしまして……」
「まあ、なにかしら?」と、瞳の奥が光る翠季と同じく紫の瞳を輝かせる明琳……二人の夜は楽しく更けていく。
あとに残るのは、思いを気づいて貰えない凌恂が勘違いな夜を迎えるということだけだったーー
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