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九
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ーー春ならぬ夏の宴
宮廷では宴席が設けられ皇帝と皇后は上座にて、上級妃の貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の挨拶、各大臣、貴族や高官からの挨拶を受けていた。一通りの挨拶が終わると皇帝からの言葉を賜り、後は酒や食事、雅楽を楽しむといった今回は比較的緩い形式の宴が始まった。
明琳は侍女頭の瑠可を伴い宴に出席し、皇帝皇后以外とは距離を置いて宴を楽しんでいた。
「明琳、変わったことはないかい? 無茶はしてないだろうね」
兄である皇帝は何とも甘々な顔でドキリとすることを訊いてくるものだから、明琳は「まあ、兄様。わたくし無茶などしておりませんわ」と、白々しく可憐な笑みを見せる。
薄い幕を隔てたすぐ近くに瑠可が待機しているというのに、万が一にも下女のことを匂わすようなことを言って瑠可が変に勘ぐってしまったら困る。明琳はなるべく普段通りに振る舞った。
「それなら良いが。そう頻繁に会えないゆえ……な、元気なのか心配していたのだ」
「兄様、お気持ち有り難く存じます」
皇帝が公主である妹を溺愛しているのは宮廷では有名な話である。朝廷では見せることのない優しい笑みと声色に普段の皇帝しか知らぬ者は目を丸くし、少し離れた所にいる上級妃(うち三人)は憎らしげに睨めつけている中、他の侍女や宮女は微かに頬を染めていた。
「陛下、心配には及びませんわ。わたくしと明琳は近頃よくお茶をしたり、色々なお話をして楽しんでおりますのよ!」
「そうか。それなら心配はいらないね」
翠季は純白の扇の端から悪戯っぽい笑みを覗かせた。
「ええ、翠季様にはとても良くして頂いております」と、明琳もふふ、と笑みを浮かべる。
色々なお話=下女の仕事で得た後宮の面白話や噂話なのだけど。と心の中でちょっとだけ悪い顔をした。
「兄様、それより先ほどから永鍬様の姿が見えませんが?どうなされたのです」
明琳の言葉に心なしか皇帝の機嫌が悪くなる。
「あいつなら医局の天幕(テント)だ」
「まあ、お加減が宜しくないのですか?」
「……過労だ」
皇帝は少し歯切れが悪そうに口にする。永鍬の過労の原因が自分にあるとわかっているのだろう。
「兄様! 少しは永鍬様のご苦労をお分かりにならなければなりませんわ!」
「明琳は永鍬に優しいのだな……兄の苦労はわかってくれないのかい?」
家臣に嫉妬する皇帝の姿はあまりにも情けなく明琳と翠季は呆れたように溜息を吐いた。
「兄様にはもちろんお体に無理がないよう政(まつりごと)をして頂きたいと思っております。ですが、今回は兄様の我儘が原因です!」
明琳はピシャリと言うと、その場を後にした。
「陛下……明琳には敵いませんわね」
「……そうだね」
皇帝は頼もしい妹を誇らしげに見つめた。
「瑠可、医局の天幕へ参ります」
幕裏にやって来ていきなり言われた瑠可は「ひ、姫様!ど……どこかお加減でも!?」と、顔を引き攣らせた。
「落ち着いて、わたくしではなく永鍬様を見舞いに参るのです」
「永鍬様……ですか?」
「永鍬様、過労でお倒れになったらしいの」
兄のせいで……とは、さすがに口にしなかった。
「まあ! それは大変ですわ!」
永鍬とはこういった場(宴)で挨拶をする程度で親しいわけではないが、皇帝の片腕として一目置かれている高位の文官ということと、敬愛する姫が実の兄の皇帝と同等に慕っていることを知っていた為、医局へ行くという気持ちを少し慮った。
「かしこまりました。ですが相手は病人です。長居は致しません」
「もちろんよ。ありがとう」
明琳と瑠可が天幕に向かって歩いていると、後ろから追ってくる足音が聞こえ二人は身構えた。
こんな宴の席でしかも真っ昼間から刺客がやって来るとは思えないが、いつ命を狙われてもおかしくない身ではある。瑠可は胸元にしまった短剣に手を忍ばせた。主を守る時の為にそれなりの訓練は受けている。今は忠誠心の薄いお飾り侍女頭が多いが、瑠可は明琳の為なら命を投げだす覚悟で仕えているのだ。
「明琳……様、お待ちを!」
「凌恂!どうしたの?」
明琳たちの後を追って来たのは幽霊騒ぎで大失態をしでかした凌恂だった。
「陛下より護衛を仰せつかりました! 後宮までお送りします」
二度目の失態は許されない凌恂は名誉挽回の機会を与えられたと、身の引き締まる思いだろうが、明琳としては特に必要ないのに! と口には出さないものの意外に冷めた対応である。凌恂が本来腕の立つ武官というのは明琳もよく知っている。でなければ皇帝の近衛など務まらないのだから。だが真面目過ぎるのだ。
真面目なことが悪いのではなく、頭の固い凌恂はとっさの時に機転が利かない。自由に臨機応変に動く明琳からすると面倒な人間でもあるのだ。
しかも、下女のことを知っている凌恂がうっかり喋ってしまう可能性があり、明琳はそちらの方が心配で堪らなかった。
(兄様ったら、わざと寄越したのかしら?)
腕は確かなので他の信用の置けない者が護衛につくよりは全然いいと、諦めたように息を吐いた。
「……では、宜しく頼みます」
「はっ! お任せください」
明琳たちが当初の予定通り天幕へ向かっていると、幕の向こうから何人もの女性の悲鳴が聞こえてきた。
次第に宴席の場が騒がしくなり数人の官吏が慌てた様子で中から出てきたところを凌恂が官吏を呼び止めた。
「どうした? 何かあったのか!?」
呼び止められた官吏が青い顔をして「淑妃様が……毒を」と口にし、そのまま天幕の方へ走って行った。
「淑妃様が……」明琳はポツリと呟いた。
上級妃の中で唯一明琳に対してなんの偏見もなく接してくれた妃だった。嫌味や悪口を言うようなことはなく、弱肉強食の後宮で他の妃の足の引っ張ることもない。
ただ会えば挨拶を交わし、ちょっとした言葉を交わすだけの互いの立場を理解した間柄だった。
「瑠可! 宴席へ戻ります」
「「明琳様! 戻るのは危険です!!」」
瑠可と凌恂の心配の声など聞こえていないかのように、明琳は足早に来た道を戻って行くのだった。
宮廷では宴席が設けられ皇帝と皇后は上座にて、上級妃の貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の挨拶、各大臣、貴族や高官からの挨拶を受けていた。一通りの挨拶が終わると皇帝からの言葉を賜り、後は酒や食事、雅楽を楽しむといった今回は比較的緩い形式の宴が始まった。
明琳は侍女頭の瑠可を伴い宴に出席し、皇帝皇后以外とは距離を置いて宴を楽しんでいた。
「明琳、変わったことはないかい? 無茶はしてないだろうね」
兄である皇帝は何とも甘々な顔でドキリとすることを訊いてくるものだから、明琳は「まあ、兄様。わたくし無茶などしておりませんわ」と、白々しく可憐な笑みを見せる。
薄い幕を隔てたすぐ近くに瑠可が待機しているというのに、万が一にも下女のことを匂わすようなことを言って瑠可が変に勘ぐってしまったら困る。明琳はなるべく普段通りに振る舞った。
「それなら良いが。そう頻繁に会えないゆえ……な、元気なのか心配していたのだ」
「兄様、お気持ち有り難く存じます」
皇帝が公主である妹を溺愛しているのは宮廷では有名な話である。朝廷では見せることのない優しい笑みと声色に普段の皇帝しか知らぬ者は目を丸くし、少し離れた所にいる上級妃(うち三人)は憎らしげに睨めつけている中、他の侍女や宮女は微かに頬を染めていた。
「陛下、心配には及びませんわ。わたくしと明琳は近頃よくお茶をしたり、色々なお話をして楽しんでおりますのよ!」
「そうか。それなら心配はいらないね」
翠季は純白の扇の端から悪戯っぽい笑みを覗かせた。
「ええ、翠季様にはとても良くして頂いております」と、明琳もふふ、と笑みを浮かべる。
色々なお話=下女の仕事で得た後宮の面白話や噂話なのだけど。と心の中でちょっとだけ悪い顔をした。
「兄様、それより先ほどから永鍬様の姿が見えませんが?どうなされたのです」
明琳の言葉に心なしか皇帝の機嫌が悪くなる。
「あいつなら医局の天幕(テント)だ」
「まあ、お加減が宜しくないのですか?」
「……過労だ」
皇帝は少し歯切れが悪そうに口にする。永鍬の過労の原因が自分にあるとわかっているのだろう。
「兄様! 少しは永鍬様のご苦労をお分かりにならなければなりませんわ!」
「明琳は永鍬に優しいのだな……兄の苦労はわかってくれないのかい?」
家臣に嫉妬する皇帝の姿はあまりにも情けなく明琳と翠季は呆れたように溜息を吐いた。
「兄様にはもちろんお体に無理がないよう政(まつりごと)をして頂きたいと思っております。ですが、今回は兄様の我儘が原因です!」
明琳はピシャリと言うと、その場を後にした。
「陛下……明琳には敵いませんわね」
「……そうだね」
皇帝は頼もしい妹を誇らしげに見つめた。
「瑠可、医局の天幕へ参ります」
幕裏にやって来ていきなり言われた瑠可は「ひ、姫様!ど……どこかお加減でも!?」と、顔を引き攣らせた。
「落ち着いて、わたくしではなく永鍬様を見舞いに参るのです」
「永鍬様……ですか?」
「永鍬様、過労でお倒れになったらしいの」
兄のせいで……とは、さすがに口にしなかった。
「まあ! それは大変ですわ!」
永鍬とはこういった場(宴)で挨拶をする程度で親しいわけではないが、皇帝の片腕として一目置かれている高位の文官ということと、敬愛する姫が実の兄の皇帝と同等に慕っていることを知っていた為、医局へ行くという気持ちを少し慮った。
「かしこまりました。ですが相手は病人です。長居は致しません」
「もちろんよ。ありがとう」
明琳と瑠可が天幕に向かって歩いていると、後ろから追ってくる足音が聞こえ二人は身構えた。
こんな宴の席でしかも真っ昼間から刺客がやって来るとは思えないが、いつ命を狙われてもおかしくない身ではある。瑠可は胸元にしまった短剣に手を忍ばせた。主を守る時の為にそれなりの訓練は受けている。今は忠誠心の薄いお飾り侍女頭が多いが、瑠可は明琳の為なら命を投げだす覚悟で仕えているのだ。
「明琳……様、お待ちを!」
「凌恂!どうしたの?」
明琳たちの後を追って来たのは幽霊騒ぎで大失態をしでかした凌恂だった。
「陛下より護衛を仰せつかりました! 後宮までお送りします」
二度目の失態は許されない凌恂は名誉挽回の機会を与えられたと、身の引き締まる思いだろうが、明琳としては特に必要ないのに! と口には出さないものの意外に冷めた対応である。凌恂が本来腕の立つ武官というのは明琳もよく知っている。でなければ皇帝の近衛など務まらないのだから。だが真面目過ぎるのだ。
真面目なことが悪いのではなく、頭の固い凌恂はとっさの時に機転が利かない。自由に臨機応変に動く明琳からすると面倒な人間でもあるのだ。
しかも、下女のことを知っている凌恂がうっかり喋ってしまう可能性があり、明琳はそちらの方が心配で堪らなかった。
(兄様ったら、わざと寄越したのかしら?)
腕は確かなので他の信用の置けない者が護衛につくよりは全然いいと、諦めたように息を吐いた。
「……では、宜しく頼みます」
「はっ! お任せください」
明琳たちが当初の予定通り天幕へ向かっていると、幕の向こうから何人もの女性の悲鳴が聞こえてきた。
次第に宴席の場が騒がしくなり数人の官吏が慌てた様子で中から出てきたところを凌恂が官吏を呼び止めた。
「どうした? 何かあったのか!?」
呼び止められた官吏が青い顔をして「淑妃様が……毒を」と口にし、そのまま天幕の方へ走って行った。
「淑妃様が……」明琳はポツリと呟いた。
上級妃の中で唯一明琳に対してなんの偏見もなく接してくれた妃だった。嫌味や悪口を言うようなことはなく、弱肉強食の後宮で他の妃の足の引っ張ることもない。
ただ会えば挨拶を交わし、ちょっとした言葉を交わすだけの互いの立場を理解した間柄だった。
「瑠可! 宴席へ戻ります」
「「明琳様! 戻るのは危険です!!」」
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