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第二章 聖女の力
第十八話 魅惑の人
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僧正様に、手を引かれて立ち上がる。
この妖艶な肉食獣に、私は今から食べられてしまうのだと、怪しい興奮が沸き上がる。
いや、草食獣であればもっと必死に抵抗するのだろう。じゃあ私はまな板の上の鯉?
一歩二歩と歩き出す。欲情に支配された体はもう彼の言いなりで・・・。
「聖女殿?いかがなされましたか?」
その声が耳に入った瞬間、一瞬で思考がクリアになった。掴まれていた手を全力で振り払い、赤らんで強ばった顔は俯いて隠した。
夢見心地のようなふわふわとした頭を冷静にしてくれたのは、何を隠そう木村大先生の声だった。
「おや、僧正様もご一緒でございましたか。ご健勝そうでなにより」
私が今まで何をされていたかなんて思いもしていない先生は、いつも通りの穏やかさで僧正様へ微笑みを送る。
いつもいつもピンチを救ってくれるこの先生に、私は一生頭が上がらないだろう。
「木村先生こそ、お忙しい中ご足労いただき光栄にございます」
誘惑に失敗した直後だと言うのに、普段と変わらぬ涼しい声で、この人は答えた。
手馴れた誘惑の仕方といい、変わり身の速さといい、魔性が人の形をしているのではないかと本気で思う。
「何やら聖女様のお加減が優れぬようでしたので、部屋でお休みいただこうかとご案内差し上げるところにございましたが・・・」
僧正様がチラリとこちらを伺うのを感じる。
先生、違うんです。この人です。元凶はこの人なんです。
私が木村先生に何も言えないのを分かった上で、このオオカミはあえて嘘をついている。
完全に思いのままに踊らされていてる悔しさと、従ってしまいそうになった気恥しさで叫び出してしまいそうだった。
だって、そよ風が僧正様の香りを鼻に届けると、それだけでくらりと目眩がしてしまいそうになるほどなんだ。
「もう、大丈夫です・・・」
先生のお陰で戻ってきた気力をフル活用し、ようやく言葉を絞り出す。
早く向こうに行ってくれ。憎たらしいその人ができるだけ視界に入らないように注意しながら、顔を上げて木村先生に作り笑顔を向けた。
「疲れが後からやってきたのやも知れませぬな、医療所へ戻られましたらしばしお休みください」
救いの手のなんと的確なことか。たとえこの魔性の男の恐ろしさに無頓着だったとしても、この欲しい浮き輪を確実に投げてくれるところだけで木村先生は最も信頼出来る人間だった。
さすがにここまで話が進めばもう何もできないらしい。僧正様は「では、私は失礼いたします」と軽やかに踵を返した。
心配そうに退出を促す木村先生に、頭を下げながら従う。やっと解放されたという安堵に包まれていた私は、完全に油断してしまっていたのだろう。
「聖女様、また」
聞こえるかどうかの小さな声だった。それでも、まだ彼の熱から完全に開放されていない私の耳には充分だった。
無防備になってしまっていた背中に、恐怖にも似た寒気が走る。
反射的に振り返ると、少し離れたところから笑顔を向ける僧正様が、いた。
一度焼き付いてしまった熱は、医療所に戻ってからも私を悩ませていた。
ふと油断した瞬間に、あの指が、あの唇が実態を持ちそうな程に思い起こされる。
それを疲れと勘違いした木村先生は必死に休ませようとしてくれたが、どう考えても逆効果なので無理やりに仕事を手伝わせてもらった。折衷案として、午後は調薬のお手伝いだ。
ゴリゴリと薬研で薬草を潰す草順先生は、調薬の責任者らしい。「二十三とは思えぬほど薬の知識があるのですよ」と木村先生が紹介してくれた。
簡単そうに作業しているが草をすり潰すのにもコツがいるらしく、私はただ見学をしているだけの状態だ。
草順先生からの指示があり次第、材料を取ってきたり、薬を小分けにしたり、小分けの薬を大きな入れ物に入れたりしているが、要は助手というより小間使いと言ったところか。
それでも、何もせずにいると忌まわしき記憶に苛まれるので、できることがあるだけですごくありがたかった。
この妖艶な肉食獣に、私は今から食べられてしまうのだと、怪しい興奮が沸き上がる。
いや、草食獣であればもっと必死に抵抗するのだろう。じゃあ私はまな板の上の鯉?
一歩二歩と歩き出す。欲情に支配された体はもう彼の言いなりで・・・。
「聖女殿?いかがなされましたか?」
その声が耳に入った瞬間、一瞬で思考がクリアになった。掴まれていた手を全力で振り払い、赤らんで強ばった顔は俯いて隠した。
夢見心地のようなふわふわとした頭を冷静にしてくれたのは、何を隠そう木村大先生の声だった。
「おや、僧正様もご一緒でございましたか。ご健勝そうでなにより」
私が今まで何をされていたかなんて思いもしていない先生は、いつも通りの穏やかさで僧正様へ微笑みを送る。
いつもいつもピンチを救ってくれるこの先生に、私は一生頭が上がらないだろう。
「木村先生こそ、お忙しい中ご足労いただき光栄にございます」
誘惑に失敗した直後だと言うのに、普段と変わらぬ涼しい声で、この人は答えた。
手馴れた誘惑の仕方といい、変わり身の速さといい、魔性が人の形をしているのではないかと本気で思う。
「何やら聖女様のお加減が優れぬようでしたので、部屋でお休みいただこうかとご案内差し上げるところにございましたが・・・」
僧正様がチラリとこちらを伺うのを感じる。
先生、違うんです。この人です。元凶はこの人なんです。
私が木村先生に何も言えないのを分かった上で、このオオカミはあえて嘘をついている。
完全に思いのままに踊らされていてる悔しさと、従ってしまいそうになった気恥しさで叫び出してしまいそうだった。
だって、そよ風が僧正様の香りを鼻に届けると、それだけでくらりと目眩がしてしまいそうになるほどなんだ。
「もう、大丈夫です・・・」
先生のお陰で戻ってきた気力をフル活用し、ようやく言葉を絞り出す。
早く向こうに行ってくれ。憎たらしいその人ができるだけ視界に入らないように注意しながら、顔を上げて木村先生に作り笑顔を向けた。
「疲れが後からやってきたのやも知れませぬな、医療所へ戻られましたらしばしお休みください」
救いの手のなんと的確なことか。たとえこの魔性の男の恐ろしさに無頓着だったとしても、この欲しい浮き輪を確実に投げてくれるところだけで木村先生は最も信頼出来る人間だった。
さすがにここまで話が進めばもう何もできないらしい。僧正様は「では、私は失礼いたします」と軽やかに踵を返した。
心配そうに退出を促す木村先生に、頭を下げながら従う。やっと解放されたという安堵に包まれていた私は、完全に油断してしまっていたのだろう。
「聖女様、また」
聞こえるかどうかの小さな声だった。それでも、まだ彼の熱から完全に開放されていない私の耳には充分だった。
無防備になってしまっていた背中に、恐怖にも似た寒気が走る。
反射的に振り返ると、少し離れたところから笑顔を向ける僧正様が、いた。
一度焼き付いてしまった熱は、医療所に戻ってからも私を悩ませていた。
ふと油断した瞬間に、あの指が、あの唇が実態を持ちそうな程に思い起こされる。
それを疲れと勘違いした木村先生は必死に休ませようとしてくれたが、どう考えても逆効果なので無理やりに仕事を手伝わせてもらった。折衷案として、午後は調薬のお手伝いだ。
ゴリゴリと薬研で薬草を潰す草順先生は、調薬の責任者らしい。「二十三とは思えぬほど薬の知識があるのですよ」と木村先生が紹介してくれた。
簡単そうに作業しているが草をすり潰すのにもコツがいるらしく、私はただ見学をしているだけの状態だ。
草順先生からの指示があり次第、材料を取ってきたり、薬を小分けにしたり、小分けの薬を大きな入れ物に入れたりしているが、要は助手というより小間使いと言ったところか。
それでも、何もせずにいると忌まわしき記憶に苛まれるので、できることがあるだけですごくありがたかった。
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