聖女の私にできること

藤ノ千里

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第五章 相愛

最終話 あなたが私に残したもの

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 馬での往診は想像以上にきつかった。
 いつもの練習用の馬、あずき号は絶対に人を落とさない安心感があったのに、今日乗せてもらったみたらし号は若いだけあって全然言うことを聞いてくれなかった。
 園田先生が乗っていたくろごま号に勝手について行ってくれる子だったので、しがみついているだけでよかったといえばそれまでなのだが、そのしがみつくというのが凄く、凄く大変だったのだ。
 やっとの体で最初の往診先について、園田先生の鮮やかな診察に感服し、時には私が治し、帰路の途中でさらに疲れたため、夕方医療所に戻った時には倒れるかと思うくらい満身創痍だった。
 往診中はきちんと笑顔で対応していた自分をめちゃくちゃ褒めたい。
 「少し休んでから帰りなさい」という園田先生には申し訳なかったが、私はすぐ城へ帰ることにした。
 少しでも早く会いたかったのだ。あの人に。


 まぁ、城へ帰ったところですぐに会える訳もない。
 会いに行こうと思えば行けるのだが、お仕事の邪魔になるかもしれないと思うと、大人しく自室で過ごすしか無かった。
 そして、夜になる。
 体はクタクタで、すぐにでも寝たいくらいだったが、頭はしっかりと冴えていた。
 聞こえてくる足音だってもう覚えてしまっていた。
「聖女様、参りました」
 彼の声に続いて障子が開く音がする。
 我慢できなかった。部屋に入ってきた僧正様に駆け寄って抱きついた。
 僧正様の匂い、僧正様の体温、抱きとめてくれた腕の強さ。全てを覚えておこうと思った。
 彼は何も言わないままキスをくれた。
 噛み付くような食べれてしまうようなキスを受け止めて舌を絡める。
 体裁も羞恥心ももう関係ない。この体全てで彼に愛を伝えたかった。
 優しい夜は私たちを許すかのように、ゆっくりと時を刻んでいた。


 それは、明け方だった。
「道明僧正様!お休みのところ失礼いたしまする!!」
 僧正様がいつも起きるよりも少し早い時間だった。
「火急の用につき、許可なく入室するご無礼をお許しください!!」
 彼のお小姓さんは、普段勝手に部屋に入るような人ではなかったし、こんな風にまくし立てるように喋るのも聞いたことがなかった。
 急いでいるような焦っているような声からもただ事ではないことが感じられた。
 私と僧正様が服を整え終わる前に、そのお小姓さんは頭を下げたまま部屋に入ってきた。
「早馬にて、松浦マツウラ大僧正様がお倒れになったとの報告がございました!」
 「松浦大僧正様」という言葉を聞いた僧正様の手が止まった。
 音も立てずに目が合う。
 心を読んでいないのに、彼の瞳の奥で上がる泣き声が聞こえた気がした。
「報告ご苦労。急ぎ殿へ申し上げる故、先触れを出せ」
 僧正様としての彼が、お小姓さんへ冷静に指示を出す。
 何が起きているかは分からなかったが、確実に悪いことだというのだけは分かった。
 お小姓さんが立ち去るとすぐに、僧正様が私を抱きしめる。
 彼の香りがいつもより切なく鼻をくすぐった。
「時間が、来てしまった」
 独り言のように彼の口から言葉が落ちる。
「行かねばならぬ」
 「いいですよ」と言ってあげることはできなかった。


 殿との接見の場はすぐに設けられた。
 殿の私室には、「このままでよい」という寝起き姿のままの殿と、僧正様と、私がいる。
「聖雅院院主松浦大僧正が病床に臥しました。このような性急なご挨拶となってしまいご無礼かとは存じまするが、ご面前を辞させていただきまする」
 僧正様は殿に深々と頭を下げた。
 柔和な表情と、艶やかな声。洗礼された一つ一つの動きが綺麗で、こんな状況でなければ見惚れてしまいそうだった。
「将親様におかれましては、長らくの逗留をお許しくださり心より御礼申し上げまする」
 それは正式なお別れの儀だった。
 殿の就任のお祝いに来ていただけのお坊様が、役目を終えて帰るための挨拶。
 いつか来ることが決まっていたこの場で、私の存在と、この気持ちだけが場違いだった。
 殿はすぐに「よし」と言うかと思った。だって、決まっていたことなのだから。
 けれど殿は、ただ寂しそうな表情で僧正様を見つめていた。


 旅姿に着替えた僧正様とお小姓さんが城を出ていく。
 ここではお見送りの文化がないのか、私とお美代さん以外の人は来ていなかった。
 しっとりと冷たい空気がもう秋であることを告げる。
 城下町はまだ寝静まっていて。開け放たれた最後の門の向こうで、ちょうど朝日が顔を出し始めていた。
 お別れなのに不思議と心は静かだった。まだ夢を見ているようで、現実味が感じられないからだと思う。
 門をくぐる直前で、僧正様が引き返してくる。
 私の目の前で足を止めると、傘の下から僧正様ではない道明様の顔が覗いていた。
 私の手を取り、愛おしむように指先に口づけを落とす。
「また」
 たったそれだけ、それだけ言って、彼は踵を返した。
 背を向けた彼は、もう道明様ではなく僧正様だった。
 二度と振り返らない後ろ姿が通りの向こうに消えていった後も、私はしばらくその場を動けないでいた。


 驚くほどあっさりとお別れが終わり、僧正様のいない日常が始まった。
 城で寝起きし、医療所で勉強しながら治療を行い、往診にだって付いて行く。
 そうして毎日を忙しく過ごしていると、彼の存在が幻だったのではないかと思えるほどだった。
 胸の真ん中にぽっかりと空いた寂しさの穴だけが、あれが現実であったことを告げていた。でも、それだって誰にも見ることもできなければ証明だってできない。
 お美代さんが優しくて、医療所のみんなが暖かくて、患者さんからの感謝がくすぐったくて。確実に聖女として成長していっている実感は、私に小さな幸せをくれる。
 聖女として正しい生き方。聖女として正しい人生。
 そうして過ごすうちに、季節はいつの間にか冬になっていた。
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