重なる月

志生帆 海

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第9章

雨の降る音 1

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 明け方……しとしとと雨の降る音で目が覚めた。

 良質の睡眠をしっかりと取れたようで、頭がすっきり冴えわたっていた。

「あっ俺……昨夜……湯船で丈に抱かれて、そのまま……」

 あんな姿のまま無防備に眠ってしまうなんて、よほど疲れていたのと、ほっとしたせいだろう。それでもどうやってこの離れまで運んでくれたのだろう。何もかも赤ん坊のように丈に世話してもらったことが恥ずかしくも嬉しくもあった。

 まだ隣で眠っている丈を起こさないように、そっと障子をあけて縁側に出てみると、窓の外にはどんよりとした曇り空が広がって、小雨が降っていた。

 庭先には紺碧色の紫陽花が満開で、しっとりと雨に濡れて、新緑の緑に映える紺碧色が爽やかな空気をそこに生み出していた。

 それにしても鎌倉の紫陽花って随分背が高いんだな。俺の手が届かないような高さまで伸び、その上空で静かに花を咲かせているものもある。

 この場所が好きだ……心が安らぐ。

 いよいよ今日から新しい生活に向けて、具体的な手筈を整えていくことになる。もし昨夜、丈のお父さんが言ってくれたように、入籍をする日にこの場所に友を呼んでもいいのなら……

 安志と涼に来て欲しい。それからニューヨークで俺を助けてくれたKai、ソウルで待っているであろう松本さんにも。陸さんは来てくれるだろうか。空さんと一緒に。

 そんなことを考えていると……後ろで物音がしたので振り向くと、丈が俺のことを優しく見つめていた。

「洋、おはよう」
「丈、おはよう」

 短い言葉を交わした。

 昨夜は「おやすみ」と、心地良い丈の声がまどろみの中に聴こえてきたので、俺も記憶が朧げだが返事をした気がする。

 こんな風に当たり前の言葉を交わせる日々が、これから先ずっと続いていくといい。

 会いたかった人に毎日会える日々が始まることを、実感した。

「よく眠れたか」
「うん。俺、昨日寝ちゃったね」
「あぁ風呂場でぐっすりな」
「ごめん……すごく眠かった」
「あぁ疲れは取れたか。今日から忙しくなるぞ」

****

 朝食は流さんが、すべて用意してくれていた。和室の食卓にずらりと並ぶ朝食が、とても美味しそうでお腹がぐうっと鳴ってしまった。

「くくっ洋くん腹ペコなんだな。昨日何か運動でもした? いっぱい食べてもっと太れよ」
「……しっしてませんっ」
「いいのいいの。でも少しずつ朝食の仕度、手伝って欲しいな、丈の嫁さんっ」
「流さん……あの、その嫁って言い方はちょっと……」
「流兄さん、揶揄わないでやってくださいよ。流兄さんのテンションには洋はついていけないんですよ」
「丈っお前って奴は、ほんと過保護だな! お前を仕込んだのは俺だぞ」
「なっ! その仕込むって一体! 」

 兄弟のじゃれ合いが微笑ましい。

 丈はこれまで寡黙で大人びた印象だったが、鎌倉の寺でお兄さんたちと暮らすようになってから少し印象が変わった。俺も明るくなったように丈も明るくなったような気がする。

「あの……そろそろ冷めてしまうから……早く食べましょう」

 俺達の様子を、丈のお父さんと翠さんは微笑みながら見守ってくれていた。

 流さんの作ってくれた味噌汁は、丈が作ってくれる味噌汁と同じ味がした。お兄さんから作り方学んだ日々に想いを馳せると楽しい気分になった。優しくまろやかな味が、すうっと喉の奥に広がっていくと、少し冷えた躰がじんわりと暖まった。

 途端に、外はどんよりとした曇り空なのに、俺の心は橙色に染まった。

 温かい朝。
 愛おしい朝。

 それを噛みしめた。
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