重なる月 ~いつの時代も月は見ていた~

志生帆 海

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17章

月光の岬、光の矢 74

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 仕事を終え帰宅し、そのまま洋と母屋に向かった。

 すると、庭先に出した作業台の周りに、翠兄さんと流兄さんと薙が立っているのが見えた。
 
 何をしているのか。

 近寄ると、台の上には完成したばかりの看板が、夜空から降り注ぐ月光を浴びて置かれていた。

 なんと! もう完成したのか。

「丈、すごいな」
「あ、あぁ」

 感動した。
 
 私たちのために、三人が力を合わせてくれたことが嬉しかった。

 私たちの気配に、最初に気付いたのは翠兄さんだった。

 優美な眼差しで、輪に加わることを促された。
 
 すると、流兄さんが私たちに向けて、看板を立てて見せてくれた。

「二人ともちょうどいい所に来たな。どうだ? 看板が完成したぞ」
「もう出来ているとは驚きました。朝、診療所の名前を伝えたばかりなのに」
「ははっ、善は急げだ」
「本当に素晴らしいです」
「丈、良かったな」

 完成したばかりの看板を洋と共に、隅々まで見つめた。

 流木を組み合わせた温もりのある木製の看板に、繊細でありながら力強い重なる月のデザインが彫られ、その下には凜とした筆跡で 「由比ヶ浜 丈 診療所」 の文字が入れられていた。

 ――きっとうまくいく。

 そう信じる気持ちが、心の底からわき上がってくる。

「あとは雨や紫外線から木を保護するための塗装をしたら完成だ」
「ありがとうございます」
「で、これは俺の手で診療所に取り付けてやりたいと思っているのだが……」
「お願いします」
「じゃあ土曜日の夕方はどうだ? 俺たちも由比ヶ浜の診療所を見たいし」
「ぜひ、お願いします」

 流兄さんの提案に、私と洋は大きく頷いた。

 診療所の開業が間近に迫っている。

 この看板を取り付ければ、全てが動き出す。
 
 この先の世界は、今まで組織の中で働いてきた私には未知の世界だ。

 そのことが、少し怖いな。

 私の臆した気持ちは洋にはお見通しのようだった。

「丈、大丈夫だ。丈には俺がいる」

 洋の発言にグッときた。

 過去の洋には言えなかった台詞だ。

 今、私の横にいる洋は、過去の輪廻を飛び越えた新しい洋なのだと、実感した。






 土曜日――

 仕事を終え、その足で由比ヶ浜に向かった。
 
 夕暮れの空には淡い色の月が昇り始め、ひんやりとした潮風が吹き抜けていた。

 流兄さんが柱に印をつけている。

「取り付けるのは、この場所でいいか」
「はい、そこでお願いします」
「よし、任せろ」

 流兄さんの真剣な眼差し。
 横で翠兄さんがそれを見守る。

 私と洋はその後ろで、由比ヶ浜の診療所に看板が取り付けられていく様子を見守った。

「兄さん、曲がってないか」
「真っ直ぐだよ」
「丈、洋、これでいいか」
「はい」
「丈、こっちへ来い」

 流兄さんに呼ばれ、看板の前に立った。

 流木を組み合わせて作られた木製の看板。

 手で撫でると、ざらりとした感触が素朴で心地良いな。

『由比ヶ浜 丈 診療所』

 改めて見つめると、看板が、まるで自分を試すかのように存在していた。

「……いよいよだな。私に……本当に出来るだろうか……」

 小さく呟いた言葉は潮風にさらわれ、すぐに消えた。診療所の開業は、ここ数年、時間をかけて準備し目指してきたものだ。医師として地域の人を救いたい。その思いでここまでやってきた。だが今この看板を前にすると、胸の奥から込み上げてくるのは、期待よりも不安の方が大きかった。

 この場所で、開業医として本当にやっていけるのか。
 この私が、本当に誰かの支えになれるのか。

 そんな迷いが生じて、足元が揺らいだ。

「……丈」

 静かな声に振り向くと、翠兄さんが横に立っていた。

「もしかして、怖いのか」
「……そんな顔をしていますか」

 苦笑すると、翠兄さんはふっと目を細めた。

「丈は昔から、何かを背負い込む時にそういう顔をするから」
「そんなこと……」
「不安なのか」

 その問いに私は少し迷い、ぽつりと答えた。

「……少し、いや、かなり……不安です」

 正直に口にすると、思った以上に心が軽くなるのを感じた。

 翠兄さんは全てを受け入れたような表情で静かに微笑み、診療所の看板に視線を移した。

「不安に思うのは、悪いことではない」

 驚いて顔を上げると、翠兄さんは静かに続けた。

「不安は自分を省みる時間をくれると思うといい。不安によって、いつもより慎重に考え、より良い道を探そうとする。その心がある限り、丈は道を間違わないよ」

 私は、その言葉を噛みしめた。

「それに、この看板は月影寺のご加護を受けているんだ。僕と流と薙が心を込めて作ったものだからね。だから、ここにやって来る人々の道を照らし導いてくれるはずだ」
「……導くですか」

 私はもう一度看板に触れた。

「丈はもう一人ではないだろう?」

 優しい兄の声に、思わず目を伏せる。

 こんな風に甘やかされて良いのだろうか。

「丈には洋がいる。流がいる。僕もいる。だから迷った時、困った時は遠慮なく頼っておくれ。僕はそれが嬉しいのだから」
「……ありがとう、兄さん」

 翠兄さんの言葉が、しみじみと心に染みた。

 夜の帳が降りると、空には淡い月が輝き出した。

 満ち欠けを繰り返しながらも、決して消えない月の光のように、由比ヶ浜診療所は人々の心に寄り添って存在していく。

 そうなりたい。
 そうなろう!

 洋と視線を合わせて、頷き合った。
 
 月光を浴びた洋は美しくしなやかだった。

 この男とならどこまでも生きていける!
 
 改めてそう思える存在だった。

「……洋、よろしく頼む」
「あぁ! 丈、この先は、どこまでも一緒だ」







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