幸せな存在 ~歩み寄る恋をしよう~

志生帆 海

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成就編

春風に背中を押されて 4

 3月の花業界は、卒業式や謝恩会の会場生け込み、送別会のための大量な花束作りと、大忙しだった。
 
 宗吾さんと湯布院の宿を予約した晩は、緊張してなかなか寝付けなかったが、その後は考える暇もなく慌ただしく時が流れ、いよいよ明日は芽生くんの幼稚園の卒園式だ。

 卒園式が終われば、間もなく……僕らは湯布院に行く。芽生くんの卒園旅行も兼ねて、春の旅行だ。

「お兄ちゃんも明日、来てくれる?」
「うん、行くよ」
「わーい! よかった。ぜったい来て欲しかったから、うれしいな」

 実は宗吾さんに卒園式の参列を誘われた時、仕事を理由に最初は断ってしまった。しかしどうしても一緒に見て欲しいと懇願されて、やりくりをした。断っておきながらも、熱心に誘われて、嬉しかった。僕って……案外、天邪鬼なのかな。
 
「そうだ! 制服を綺麗にしておこうね」
「うん、もう明日できなくなるんだね」
「そうだよね」
「ちょっとさみしいね」
「うん」

 芽生くんの幼稚園の制服にアイロンをかけていると、感慨深いものが込み上げてきた。

 まだまだ小さくて可愛いな。それでもチェックの格子縞のズボンは、出会ってから一度買い換えたし、ジャケットはもう袖が短くてギリギリだ。可愛い半ズボン姿も、きっともう見納めだろう。

 芽生くん……君は幼稚園生でなくなってしまうのだね。

 夏樹がなれなかった小学生になる。大きなランドセルを背負って、2週間後には小学校の校門を潜ると思うと、ワクワクもするよ。

「瑞樹、悪いな」
「宗吾さん! そうだ、ビデオの充電はしましたか」
「あ、しまった。まだだったよ」
「お願いします。僕は一眼レフを持って行きますね」

 子供の節目は、親にとっても節目で一大イベントだ。

 宗吾さんは理髪店で髪を整え、さっぱりしている。やっぱり宗吾さんもお父さんなんだな。親として気合いが入っている。そんな様子が微笑ましい。

 あ……そうか、僕も一緒に切ればよかったな。少し伸びたくせ毛を指先で摘まんで、後悔した。

「どうした?」
「すみません。僕の髪、少し長かったですよね。式に相応しくなくて申し訳ないなと……」
「いや? 俺はその位が好きだよ」
「あ……はい」

 宗吾さんが長めが好きだというので、すっかり伸ばすのがクセになっていた。

 一馬と付き合っている頃は、どうだったのか思い出せない。おかしいな、7年も付き合ったのに、こんなに記憶がないなんて。

 あいつが何を好んで、僕は何を求めていたのか。
 思い出が極端に少ないのに、今更気が付いた。

 宗吾さんと芽生くんと過ごした2年間では、驚くほど沢山の出来事があり、色々な思い出で溢れているのに、対照的だな。

 ひとつだけ言えるのは、一馬と僕は極端なほど、未来の話をしなかったという事実だ。

 ずっと先のことを考えるのが、僕は怖かった。そんな贅沢をしてはいけないと、いつも思っていた。人はいつ死ぬか分からない。だから未来を考えるのは無駄だと考えていた。

 あの頃の僕は、随分失礼な生き方をしていた。誰に対しても一線を引いていたのだ。

 こんな僕に一馬はよく付き合ってくれたよ。愛想を尽かすことなく……7年間も。

 僕は一馬が何も聞いて来ないのが心地良くて、ずっと甘えていた。だが人は歳をとる。同時に周りの人も老いていく。付き合っていくうちに……お互いだけ、今だけを見つめていればいい訳で、なくなってきたのだ。

 そんな歪みから、きっと、あいつは未来を真剣に考え出したのだろう。

 だから……僕たちの別れは必然だった。
 なんとなく、いつかこうなるだろうと想像していた事が起きただけ。

 もちろんいつの間にか、あいつの人生のレールから外れていたのは寂しかったし、置いて行かれるのもかなり辛かった。

 しかし、どうしても言えなかった。

 一人生き残っただけでも贅沢なのだから、夢や希望を抱いてはいけないと、自分で自分の首を絞め、戒めていた。

 だから一馬は僕を捨てて行ったが、僕は彼を恨んでいるわけではない。

 僕には描けなかった未来を、隣の女性と描いて行って欲しいと、あのホテルのロビーで、心から真剣に願ったよ。

 幸せになってくれと――永遠のさよならをした。

 じゃあどうして……今になって行くのか。おそらく、あの日冷蔵庫に貼ってあった……あいつからの置き手紙が心にひっかかっているからだ。

 僕の変わった姿を見て欲しい。
 僕もちゃんと未来を夢見るようになった。

 お前とではないが毎日、ちゃんと前を向いて過ごし、潤いのある日々を送っている。

「瑞樹……何を考えている? もしかして……湯布院行きが負担になっているのか」
「違います。僕もある意味『卒業』をしに行くのかもしれませんね。『幸せな復讐』とは、過去の僕との卒業式になりそうです」

 そう告げると、宗吾さんが優しく肩を抱いてくれた。

「成程、そういう考え方もあるよな。よーしっ、しっかり卒業して、俺だけの瑞樹になってくれ」
「……はい。あの……僕はもうとっくに……そのつもりです」

 
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