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成就編
幸せな復讐 30
朝一番のチェックアウト客がはけたので、そろそろ一息つけそうだ。すると今度は朝食会場が混雑していると連絡が入ったので、助っ人に向かった。
宿の主は、万能でなければならない。
主は、親から子へ受け継がれる。
親父が守ってきたこの旅館を、俺は今日も引き継いで行く。
次世代に繋ぐために、しっかり向き合っていく。
旅館主は忙しい時には料理を運んだりお客様の履き物をそろえたり、何でもするのが普通だ。更に帳簿をつけたり経営面でもやることが多く、本当に朝から多忙だ。
朝食会場に急いで入ると、日曜日ということもあり賑わっていた。
和装姿の妻が忙しそうに切り盛りしているのが見え、目を細めた。明るく前向きで働き者の妻は、若女将という仕事が天職のように生き生きといつも輝いている。
親父が亡くなってから、すっかり意気消沈してしまった母に変わり、俺とこの旅館を切り盛りしていく大切なパートナーだ。
まだ小さい息子の春斗は、母が日中預かってくれるので安心だ。母にとっては孫との日々が癒やしになっているので、お互い様だ。
「お疲れ、俺も入るよ」
「あら、カズくんが来てくれたの。フロントは大丈夫?」
「あぁ今日は皆さんゆっくりみたいで……朝出られたお客様のお見送りはしたし、今は大丈夫だ」
「じゃあ、一緒にお願いね」
すぐに配膳の手伝いを、俺も夢中でした。
視界の端に……窓際に瑞樹たちがいるのに気付いたのは、子供の泣き声とグラスがひっくりかえる音でだった。
遠くから見ていて、ハラハラした。
どうやら子供が醤油差しをひっくり返し、慌てた瑞樹がオレンジジュースをひっくり返して自分の衣類に被ってしまったらしい。
瑞樹が赤い顔で恥ずかしそうに俯いて立っているのが見えて、胸が痛んだ。
まずいな……こういうシチュエーションに……瑞樹はとても弱い。
「あら、零してしまったのね。カズくん、この配膳お願い!」
「あ、あぁ」
俺よりも遙かに機敏に、妻がおしぼりと雑巾を持って動いた。
もう一度瑞樹を見ると、泣いてしまうのではと心配した顔が、明るい笑顔になっていたので驚いた。
楽しそうに3人で肩を揺らしている。
瑞樹のそんな弾けた笑顔……大きな笑顔。
俺は知らない。見たことがなかった。
いつも控えめに微笑む瑞樹しか知らなかった。
瑞樹は愛されているし、瑞樹も彼らを深く強く愛しているのだ。
俺の知らない瑞樹が、そこにはいた。
妻は瑞樹におしぼりを渡すと、床に躊躇いもせずにしゃがんだ。すると瑞樹がそのおしぼりは宗吾さんに渡し……彼自身もしゃがんで、妻に一言二言話し掛けた。
以前付き合っていた頃……瑞樹は自分が失敗して注目を浴びるのが極端に怖いようだった。
いつだったかレストランで瑞樹が水の入ったグラスをうっかり零して、俺の服に少しかかってしまった。彼の顔は本当に真っ青で……家に帰るまで必死に謝り続けていた。
『ごめん……ごめんな、一馬……ごめんな』
『大袈裟だな。馬鹿だな。こんなのただの水だし、すぐ乾く。誰にだって失敗はあるだろ』
『……失敗して……本当に、ごめんなさい』
泣きそうな顔で必死に謝る瑞樹に、どうしても聞きたいことがあった。
『どうしてそんなに怖がる……何を怯えている?』
その言葉を言えば瑞樹がもっと困るような気がして、結局聞けなかったな。いつも肝心なことは踏み込めず、彼をただ見守って温めることしか出来なかった。
「若旦那、これを配膳お願いします」
「あぁ」
妻が瑞樹たちを連れて出て行くのは見えたが、どこに行ったかは分からなかった。
****
「宗吾さん、すみません。なんだか……とんでもない展開ですよね」
「はは、気にすんな。せっかくの機会だし、楽しもう」
まだ戸惑い気味の瑞樹……それも、そうだよなぁ。
まさか7年間付き合って別れた男の新居に、家族でお邪魔するとは。
「おにいちゃん、ボクのおようふくキレイになるかな?」
「大丈夫だよ。ピカピカにしてもらえるよ」
「ほんとう? よかったぁ」
トレーナーを脱いで下着姿の芽生は、この状況にワクワクしているようだ。
さっきからキョロキョロと忙しない。
「あれ~これって、うちにもあったよね!。ボクも小さいとき、つかっていたよね」
芽生が指さす場所には、黄色い幼児用のシャンプーハットがかかっていた。
そうか俺たちがいるのは脱衣場で、彼の家族の生活感が丸出しだ。それにしても……若女将は大らかな人柄なのだな。そして本当に小さなお子さんがいるのだなと思った。
「お前はシャワーが嫌いでよく泣いたからな。でも瑞樹と一緒に入るようになってから……不思議と泣かなくなったな」
「だって……お兄ちゃんのシャワーはこわくないもん。パパの滝みたいでイタかったけど、お兄ちゃんのはやさしい雨みたいだったから」
「参ったな」
「くすっ、芽生くんありがとう。宗吾さん……あの、水の力って結構強いのですよ。だから……植物に水をあげる時は、その植物の状態ごとにとても気を遣っています」
「おう! そうか、俺はいつも滝のように豪快に浴びるから気付かなかったよ」
その通りだな。何事も加減が大事だし、相手の好みを思いやるのも大切だ。俺がしてもらったら嬉しいことを、そのまま返すだけでは、こんな風に歪みが生まれるのかもな。
俺も……相手の心にもっと歩み寄りたい。
「は、ハクショーン!」
「宗吾さん、大丈夫ですか。あの……やっぱり寒いのでは、これお返します」
「いや。瑞樹は絶対に駄目だ! (アイツの)服を借りるなら、いっそ俺が借りる!」
「あ……はい」
その瞬間、扉が開いた。
宿の主は、万能でなければならない。
主は、親から子へ受け継がれる。
親父が守ってきたこの旅館を、俺は今日も引き継いで行く。
次世代に繋ぐために、しっかり向き合っていく。
旅館主は忙しい時には料理を運んだりお客様の履き物をそろえたり、何でもするのが普通だ。更に帳簿をつけたり経営面でもやることが多く、本当に朝から多忙だ。
朝食会場に急いで入ると、日曜日ということもあり賑わっていた。
和装姿の妻が忙しそうに切り盛りしているのが見え、目を細めた。明るく前向きで働き者の妻は、若女将という仕事が天職のように生き生きといつも輝いている。
親父が亡くなってから、すっかり意気消沈してしまった母に変わり、俺とこの旅館を切り盛りしていく大切なパートナーだ。
まだ小さい息子の春斗は、母が日中預かってくれるので安心だ。母にとっては孫との日々が癒やしになっているので、お互い様だ。
「お疲れ、俺も入るよ」
「あら、カズくんが来てくれたの。フロントは大丈夫?」
「あぁ今日は皆さんゆっくりみたいで……朝出られたお客様のお見送りはしたし、今は大丈夫だ」
「じゃあ、一緒にお願いね」
すぐに配膳の手伝いを、俺も夢中でした。
視界の端に……窓際に瑞樹たちがいるのに気付いたのは、子供の泣き声とグラスがひっくりかえる音でだった。
遠くから見ていて、ハラハラした。
どうやら子供が醤油差しをひっくり返し、慌てた瑞樹がオレンジジュースをひっくり返して自分の衣類に被ってしまったらしい。
瑞樹が赤い顔で恥ずかしそうに俯いて立っているのが見えて、胸が痛んだ。
まずいな……こういうシチュエーションに……瑞樹はとても弱い。
「あら、零してしまったのね。カズくん、この配膳お願い!」
「あ、あぁ」
俺よりも遙かに機敏に、妻がおしぼりと雑巾を持って動いた。
もう一度瑞樹を見ると、泣いてしまうのではと心配した顔が、明るい笑顔になっていたので驚いた。
楽しそうに3人で肩を揺らしている。
瑞樹のそんな弾けた笑顔……大きな笑顔。
俺は知らない。見たことがなかった。
いつも控えめに微笑む瑞樹しか知らなかった。
瑞樹は愛されているし、瑞樹も彼らを深く強く愛しているのだ。
俺の知らない瑞樹が、そこにはいた。
妻は瑞樹におしぼりを渡すと、床に躊躇いもせずにしゃがんだ。すると瑞樹がそのおしぼりは宗吾さんに渡し……彼自身もしゃがんで、妻に一言二言話し掛けた。
以前付き合っていた頃……瑞樹は自分が失敗して注目を浴びるのが極端に怖いようだった。
いつだったかレストランで瑞樹が水の入ったグラスをうっかり零して、俺の服に少しかかってしまった。彼の顔は本当に真っ青で……家に帰るまで必死に謝り続けていた。
『ごめん……ごめんな、一馬……ごめんな』
『大袈裟だな。馬鹿だな。こんなのただの水だし、すぐ乾く。誰にだって失敗はあるだろ』
『……失敗して……本当に、ごめんなさい』
泣きそうな顔で必死に謝る瑞樹に、どうしても聞きたいことがあった。
『どうしてそんなに怖がる……何を怯えている?』
その言葉を言えば瑞樹がもっと困るような気がして、結局聞けなかったな。いつも肝心なことは踏み込めず、彼をただ見守って温めることしか出来なかった。
「若旦那、これを配膳お願いします」
「あぁ」
妻が瑞樹たちを連れて出て行くのは見えたが、どこに行ったかは分からなかった。
****
「宗吾さん、すみません。なんだか……とんでもない展開ですよね」
「はは、気にすんな。せっかくの機会だし、楽しもう」
まだ戸惑い気味の瑞樹……それも、そうだよなぁ。
まさか7年間付き合って別れた男の新居に、家族でお邪魔するとは。
「おにいちゃん、ボクのおようふくキレイになるかな?」
「大丈夫だよ。ピカピカにしてもらえるよ」
「ほんとう? よかったぁ」
トレーナーを脱いで下着姿の芽生は、この状況にワクワクしているようだ。
さっきからキョロキョロと忙しない。
「あれ~これって、うちにもあったよね!。ボクも小さいとき、つかっていたよね」
芽生が指さす場所には、黄色い幼児用のシャンプーハットがかかっていた。
そうか俺たちがいるのは脱衣場で、彼の家族の生活感が丸出しだ。それにしても……若女将は大らかな人柄なのだな。そして本当に小さなお子さんがいるのだなと思った。
「お前はシャワーが嫌いでよく泣いたからな。でも瑞樹と一緒に入るようになってから……不思議と泣かなくなったな」
「だって……お兄ちゃんのシャワーはこわくないもん。パパの滝みたいでイタかったけど、お兄ちゃんのはやさしい雨みたいだったから」
「参ったな」
「くすっ、芽生くんありがとう。宗吾さん……あの、水の力って結構強いのですよ。だから……植物に水をあげる時は、その植物の状態ごとにとても気を遣っています」
「おう! そうか、俺はいつも滝のように豪快に浴びるから気付かなかったよ」
その通りだな。何事も加減が大事だし、相手の好みを思いやるのも大切だ。俺がしてもらったら嬉しいことを、そのまま返すだけでは、こんな風に歪みが生まれるのかもな。
俺も……相手の心にもっと歩み寄りたい。
「は、ハクショーン!」
「宗吾さん、大丈夫ですか。あの……やっぱり寒いのでは、これお返します」
「いや。瑞樹は絶対に駄目だ! (アイツの)服を借りるなら、いっそ俺が借りる!」
「あ……はい」
その瞬間、扉が開いた。
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