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第一章 【時の来訪者と死した大地】
2.
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書斎の片付けは難航した。てきぱきと片付けを進行する理人に、執事や現れたメイドたちが何度も手伝いを申し出たが、理人はそれを断った。
一人の状態で、書類を確認し、情報を得たかったのもある。だがそれ以上に、
「君たちには君たちの通常業務があるだろう。そちらに専念してくれるだけで十分だ」
現場に出なければ分からないことがある。
そう答えた理人に、屋敷の従者たちは訝しむような表情をして、怯えたように理人を遠巻きにした。
この身体の持ち主は「エルネスト」というらしい。彼の人物像はまだ分からないが、分かってきたものもある。
書類の分別中に出てきた、埃を被った一冊を開けば、中には報告書なのか日記なのかもわからない、自由文の記述が続いている。
――新人のメイドが皿を割った。新しく買いなおし、クビにした。
――珍しい行商人が来た。宝石を買った。セレナが喜んだ。偽物だと判明して、セレナに嫌われる。
――バルナバスの息子が執事になるのを嫌がった。名誉を拒んだので領地追放とする。
「……」
酷い、と、言わざるを得ない。他者の人間性を否定するほど、理人も立派な人間ではないが、理人が否定するのは彼の短慮さだろう。
メイドには自らの生活がありそれはミスで取り上げてはならないものであり、宝石商の宝石を疑わずに買ってしまう無知があり、仕えてくれている執事の身内に心無い対応をする。
「一度会ってみたいものだな、エルネスト・ルク・ヴァルトリエ」
これが侯爵家というのだから、驚きも増す。家系図や帳簿を追うと、どうやら先代までは真面目に仕事をしていたらしく、記録が残っていた。
エルネストが当代となってからは記録が曖昧だが、恐らく、先代の頃より資産運用は悪化しているだろう。
「……先代のときすら、運営が厳しいのか?」
どうやら電気が通っていない以上、電子機器は発達していないとみて、まず間違いない。
文明のレベルを昔学んだ歴史の年代で考えると、領地運営は農作物の収益を主として行われているはず。だが、農作物の実り自体が少なく、他に目立った工業も商業も見えない。
「昔、この国は大きな戦争をしておりました」
独り言に返答があった。理人が振り向くと、トレイを磨き上げられたばかりの机に置いた執事が、ポットを手に取って紅茶を入れ始める。
生憎雨だが、空気が入れ替わった部屋の中に、紅茶が香り立った。
執事は紅茶の色をよく見ながら、懐かしむように言葉を続ける。
「その際、侯爵家の領地は、天の怒りとして毒により汚染されました。大地に残った毒の影響で、農作物が育ちにくいのです。健康被害も出ており、侯爵家の領地の人間は、他の領地に比べて寿命が短い傾向にあります」
「そうだったのか」
何か解消する方法はあるのだろうか。毒の解除までは、理人にはその技術も方法も分からない。
顎に手を当てて考え込む理人に、執事は紅茶をいれたカップを差し出した。
「あ、ああ、すまない」
「いえ」
お茶くみは理人の所属していた会社では禁じられていた。それを今、自分がされているのはどういう因果なのだろう。
コップに口をつけ、紅茶を飲むと、普段のそれとは段違いなことに気付く。
「……紅茶を入れるのが上手い」
思わず呟くと、執事は丁寧に礼をした。
「ご無礼であればお許しを」
「どうした?」
「本日の旦那様は、雰囲気が異なっていらっしゃる」
話してしまってもいいのかと、理人は一瞬考えた。エルネストはエルネストではなく、理人の意識となっているのだと。
そういったところで、精神疾患を疑われるだろうか。この国の医療はそこまで進んでいない気もするが、狂ったと思われても仕方がない訴えかもしれない。
とはいえ、嘘をつくことは理人の望むところではない。相手が誠実であるならば、誠実を返したい。
「少し、目覚める切っ掛けがあったんだ。私には至らないところが多い。この機会に、気になるところがあれば、忌憚なく聞かせて欲しい」
執事が目を細める。
「ではお言葉に甘え――旦那様、折り入ってご相談がございます。例の件です」
首を傾げた理人に、老執事は告げた。
「前々から提言しています通り、侯爵家の領地運営は行き詰まっております」
紅茶のカップを置き、理人は言葉を待った。
――その内容が、分かる気がする。
「破綻は目の前です。爵位を返上し、領地を国王にお返しになりますか」
理人の目に、書斎の天井が映る。
一番、黙っている人間であったから、責任を取る立場の椅子を押し付けられた。ただの役職員として会社員人生を終えるはずだった理人が、急に取締役に任命されるなどおかしい話であったのに、自らの仕事が評価されたのだと心のどこかで喜ぶ声があった。部下たちにもっと充実した人生を贈る手伝いが出来ると思っていた。
利用されていただけなのに。
それを知らなかった理人は、無知蒙昧な人間で、社員たちを守ることも出来なかった。自らが辞任し罪を被れば、それが最善だと思っていた。
「また私に責任を取れと、この手で幕を下ろせというのか」
終わりの選択をさせるために、理人は此処にいるのか。
執事は何度も提言していたのだろう。運営に真面目に取り組めと、破綻が目前であると。忠言を受け取らなかった主人がいて、この状況がある。
それが、違う。
そして、エルネストは、最早、エルネストではない。
ぐっと目頭に力を入れ、天井を睨み据える。
「そうではない」
視線を戻し、老執事を見据える。
――全ての責任は、私にある。
エルネストが不在の今、理人がやらなければならない。
「ここから生まれ変わるのだ、大地も、人も」
理人は資料を置き、脱いでいた上着を手に取った。足を踏み出し、扉へ向かう。
振り返ることなく理人は強く告げた。
「出るぞ。死んだ大地にも、花は芽吹くだろう」
一人の状態で、書類を確認し、情報を得たかったのもある。だがそれ以上に、
「君たちには君たちの通常業務があるだろう。そちらに専念してくれるだけで十分だ」
現場に出なければ分からないことがある。
そう答えた理人に、屋敷の従者たちは訝しむような表情をして、怯えたように理人を遠巻きにした。
この身体の持ち主は「エルネスト」というらしい。彼の人物像はまだ分からないが、分かってきたものもある。
書類の分別中に出てきた、埃を被った一冊を開けば、中には報告書なのか日記なのかもわからない、自由文の記述が続いている。
――新人のメイドが皿を割った。新しく買いなおし、クビにした。
――珍しい行商人が来た。宝石を買った。セレナが喜んだ。偽物だと判明して、セレナに嫌われる。
――バルナバスの息子が執事になるのを嫌がった。名誉を拒んだので領地追放とする。
「……」
酷い、と、言わざるを得ない。他者の人間性を否定するほど、理人も立派な人間ではないが、理人が否定するのは彼の短慮さだろう。
メイドには自らの生活がありそれはミスで取り上げてはならないものであり、宝石商の宝石を疑わずに買ってしまう無知があり、仕えてくれている執事の身内に心無い対応をする。
「一度会ってみたいものだな、エルネスト・ルク・ヴァルトリエ」
これが侯爵家というのだから、驚きも増す。家系図や帳簿を追うと、どうやら先代までは真面目に仕事をしていたらしく、記録が残っていた。
エルネストが当代となってからは記録が曖昧だが、恐らく、先代の頃より資産運用は悪化しているだろう。
「……先代のときすら、運営が厳しいのか?」
どうやら電気が通っていない以上、電子機器は発達していないとみて、まず間違いない。
文明のレベルを昔学んだ歴史の年代で考えると、領地運営は農作物の収益を主として行われているはず。だが、農作物の実り自体が少なく、他に目立った工業も商業も見えない。
「昔、この国は大きな戦争をしておりました」
独り言に返答があった。理人が振り向くと、トレイを磨き上げられたばかりの机に置いた執事が、ポットを手に取って紅茶を入れ始める。
生憎雨だが、空気が入れ替わった部屋の中に、紅茶が香り立った。
執事は紅茶の色をよく見ながら、懐かしむように言葉を続ける。
「その際、侯爵家の領地は、天の怒りとして毒により汚染されました。大地に残った毒の影響で、農作物が育ちにくいのです。健康被害も出ており、侯爵家の領地の人間は、他の領地に比べて寿命が短い傾向にあります」
「そうだったのか」
何か解消する方法はあるのだろうか。毒の解除までは、理人にはその技術も方法も分からない。
顎に手を当てて考え込む理人に、執事は紅茶をいれたカップを差し出した。
「あ、ああ、すまない」
「いえ」
お茶くみは理人の所属していた会社では禁じられていた。それを今、自分がされているのはどういう因果なのだろう。
コップに口をつけ、紅茶を飲むと、普段のそれとは段違いなことに気付く。
「……紅茶を入れるのが上手い」
思わず呟くと、執事は丁寧に礼をした。
「ご無礼であればお許しを」
「どうした?」
「本日の旦那様は、雰囲気が異なっていらっしゃる」
話してしまってもいいのかと、理人は一瞬考えた。エルネストはエルネストではなく、理人の意識となっているのだと。
そういったところで、精神疾患を疑われるだろうか。この国の医療はそこまで進んでいない気もするが、狂ったと思われても仕方がない訴えかもしれない。
とはいえ、嘘をつくことは理人の望むところではない。相手が誠実であるならば、誠実を返したい。
「少し、目覚める切っ掛けがあったんだ。私には至らないところが多い。この機会に、気になるところがあれば、忌憚なく聞かせて欲しい」
執事が目を細める。
「ではお言葉に甘え――旦那様、折り入ってご相談がございます。例の件です」
首を傾げた理人に、老執事は告げた。
「前々から提言しています通り、侯爵家の領地運営は行き詰まっております」
紅茶のカップを置き、理人は言葉を待った。
――その内容が、分かる気がする。
「破綻は目の前です。爵位を返上し、領地を国王にお返しになりますか」
理人の目に、書斎の天井が映る。
一番、黙っている人間であったから、責任を取る立場の椅子を押し付けられた。ただの役職員として会社員人生を終えるはずだった理人が、急に取締役に任命されるなどおかしい話であったのに、自らの仕事が評価されたのだと心のどこかで喜ぶ声があった。部下たちにもっと充実した人生を贈る手伝いが出来ると思っていた。
利用されていただけなのに。
それを知らなかった理人は、無知蒙昧な人間で、社員たちを守ることも出来なかった。自らが辞任し罪を被れば、それが最善だと思っていた。
「また私に責任を取れと、この手で幕を下ろせというのか」
終わりの選択をさせるために、理人は此処にいるのか。
執事は何度も提言していたのだろう。運営に真面目に取り組めと、破綻が目前であると。忠言を受け取らなかった主人がいて、この状況がある。
それが、違う。
そして、エルネストは、最早、エルネストではない。
ぐっと目頭に力を入れ、天井を睨み据える。
「そうではない」
視線を戻し、老執事を見据える。
――全ての責任は、私にある。
エルネストが不在の今、理人がやらなければならない。
「ここから生まれ変わるのだ、大地も、人も」
理人は資料を置き、脱いでいた上着を手に取った。足を踏み出し、扉へ向かう。
振り返ることなく理人は強く告げた。
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