【完結】エルネスト・ルク・ヴァルトリエの責務

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第二章 【黒い指先の賢者】

1.

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 どうして、と、脳裏に浮かぶ若草の瞳が濡れている。
 
 こうするしかなかったと告げるのは簡単だが、本当にそうであったかと、心は惑う。
 一片の欠片も残すことなく考え抜き、すべての可能性を考慮したうえで、下した決断であったのか。
 
 あの時の理人は、本当に誰かの為を考えて、選択をしただろうか。
 誰かの為という都合のいい隠れ蓑に、自らの感情を優先させた答えを、出し続けてきたのではないだろうか。
 自責の声は止むことなく続く。

『エルネスト様、セレナが何かしましたか? また、悪いことをしてしまったんですか?』

 そうではない。彼女は悪くない。
――悪いのは、エルネストになってしまった、理人だ。理人がエルネストになれないことが、悪いのだ。
 
『セレナ、何でも直します。エルネスト様に好きになってもらえるように、これからみんなの仕事を手伝うし、経理だって覚えます。エルネスト様のお手伝いを、いっぱいします』

 違う。決して、彼女の自由を奪いたいわけではなかった。彼女が彼女らしく生きる道を、閉ざしたいわけではなかった。
 幸せになって欲しいのだ。
 理人に関わったすべての人々に、ただ、幸せであって欲しい。理人はエルネストから、すべてを奪っているのだから。
 
『だから、離縁なんて、言わないでください……』

 出来る限り誠実に、彼女に対しての責任を取ったはずなのに、何故心がこんなにも重いのだろう。
 ああ、だからこそ、破産をしたあの日、理人は誰かに殺される羽目になったのか。

「――おい、エルネスト!」

 耳元で声がしたかと思うと、理人の意識は強引に引き戻された。途端に聴覚に、酒場の喧騒が返ってくる。同じテーブルにはすっかり馴染みとなったジムザもついており、ジムザは随分杯を開けたのか、テーブルの上は空いた杯が何個か置かれていた。
 隣で肩を掴んで声を掛けてきたのは、燃えるような赤髪をかきあげたリアンだ。彼は肩肘をつき、頬を載せて、流し目を送る。
 
「気もそぞろだな。どうした、もう酔ったのか」
「あ、ああ、いや、すまない」

 口だけで答える間にも、心臓が忙しく跳ねている。セレナに離縁を切り出したあの夜、最終的に場をとりなしてくれたのはリアンだった。
 泣き疲れて眠ったセレナとは、それ以降、なかなか静かに話す時間を取れていない。セレナが避けるのもあるし、こうしてエルネストが領地の情報収集のために、夜に出かけることもあるからだ。

「なんだぁ? まだ調子が悪いのか? フロリアに診てもらうか?」
「いや、そこまでではない。彼女こそ、身体の不調はなかっただろうか」
「ああ。あれからたくさん休ませたからな。今日から復帰して、治療してたぜ」

 ジムザも酒を煽り、気安く理人に言う。敬語や敬称は不要だと伝えてから、民たちは幾ばくか気を許して、理人に声を掛けてくれるようになった。
 今も酒場の扉を潜った人々が、理人たちのテーブルに向かい、軽く頭を下げていく。理人は毎回それに頷いて、頷き続ける理人にリアンは笑った。

「お前は真面目だなぁ。今は酒場で酒を飲んでるんだぜ。無視してもいいだろ。毎回反応してたら、お前は首を痛めるぞ」
「挨拶をしてくれているのに返さないのは、私の気が済まないんだ」

 気が付かなければ無視も出来るが、気付いてしまえば敢えて無視をするなど理人には考えられない。
 リアンは何が面白いのか、喉元で音を鳴らして笑った。口にはしないが、どうせ「生きにくそう」とでも思っているのだろう。

「で、公道は通れるようになったが、これからどうするんだ?」

 ジムザが芋を口に放り込み、理人に尋ねる。ジムザの言葉通り、公道は変異種がいなくなったことで修理が進み、再び他領への行き来が可能になった。すぐに交易が始まるわけではないが、それだけで民は希望を持ち直している。
 次にすることは。理人は顎に指を当て、考えていた今後を口にする。

「当初の予定通り、農業か、土地の専門家を探す。私たちの土地の問題を解決する術を知っている者を」
「なら、王領に行くのか?」
「おそらく、そこに一番、知識が集まっているのだろうからな」

 これはバルバナスとも相談したことだ。やはり、学者などの知識階級は、王城や王城の付近に集まっているらしい。この世界には専門の知識を蓄えた者を賢者と呼ぶ通例があるらしいが、多くの賢者もやはり学者たちと同じく、王城付近に居を構える者が多いそうだ。
 王命で、土地の再生が禁じられている以上、理人の行為は叛逆罪となる可能性が高い。
 バルバナスは理人を止めはしたが、決意が固いことを知ると、最後は最善の策を考えようとしてくれた。

「あー、王領はやめときな」

 気だるげに、リアンが手を振る。理人とジムザの目を受けて、彼は面倒くさそうに言葉を紡いだ。

「名がある学者や賢者は、絶対にお前らには協力しない。誰だって自分の身が可愛いんだ。わざわざ命令違反に手を貸して、自分の地位を失おうとするやつなんて、どれだけ探しても会えねぇよ」
「なんだと? 随分な物言いじゃねぇか。俺たちの命がかかってるんだぞ」

 ジムザが噛みつくのに、リアンは笑みを浮かべてジムザの額を弾く真似をした。

「俺に怒ってもしょうがないだろ? 王領の人間は、権威主義だ。縁も所縁もないお前たちに手を貸す義理がない。行くだけ無駄だし、むしろ、土地を再生したいなんて言ってみろ。すぐにお前たちを王に売り飛ばすぜ」
「バルバナスはそのような口振りではなかったが……」
「あの執事のじいさんだって、元は王領にいたかもしれないが、此処での生活の方がずっと長いんだろ? それに、お前がどうっしても折れないと分かってるから、せめてもの知識を振り絞ってくれたに違いないね。俺があの執事なら、そうする」

 理人は押し黙る。そう言われると完全には否定しきれない。バルバナスはエルネストの執事なのだ。主の短所や欠点を指摘してはくれるものの、主の意向を最大限、汲もうとするだろう。
 酒場の女将がリアンの流し目に気付いて、顔を赤くした後に、酒を運んでくる。愛想たっぷりに礼を言ったリアンの横顔を、理人は眺めた。

「王領の様子をよく知っているのだな」

 理人が言うと、リアンはふと真面目な顔になった。
 正面に向き直り、金色の目が理人の青い目を捉える。突然見抜かれるような視線に合い、理人は机の下で無意識に自分の手を握っていた。

「それは俺の方が不思議だ。エルネスト、お前、時々なんにも知らないように振る舞う時がないか? 仮にも侯爵家の嫡子だろ。王領の様子を少しも知らないなんて、有り得るのか?」

 一瞬だけ、動揺が走る。だがいつか、誰かに指摘される心づもりは出来ていた。どれだけ無知を隠そうとしても、綻びは生じる。人と会話を持つ機会が増えるごとに、その亀裂は増すはずだ。
 いつか本当の事実を話さなければならないときが来るかもしれない。だが、今ではない。ここでやるべき責務が終わったときに、話すべきだ。
 理人は顔に出さずに、白を切った。

「幼い頃に訪れたことはあるようだ。私は物覚えが悪いから、覚えられていない事柄が多い。バルバナスには苦労を掛けている」
「ふーん……まぁいいか。今は本題ではないからな」

 リアンは金色の目を細めたが、疑わしきは罰せずの精神で、理人を釈放した。理人はすかさず言葉を差し込む。

「王領に行けないのでは、改めて目的地を定めなくてはならないか」

 何の情報を元に、その目的地を定めればよいか。理人がここにきて一番苦労しているものは、情報収集だ。ここにはコンピューターもなければネットワークもなく、大きな図書館もない。資料を取り寄せようとすれば、飛脚で何度かやり取りをしなければならず、数日のラグは許容しなければならない。その上で、魔物に襲われたり、天候の関係で、発着や到着の予定日がずれこむなど日常茶飯事であった。
 あまりにもギャップが大きく、ボタン一つで検索結果が出るわけではない日常に慣れるのには時間がかかっている。

 考え込む理人に、リアンが「はー」と溜息を吐いた。

「お前って、本当に下手だよな。よく今まで死ななかったなと、嫌味じゃなく思うぜ。だから死にかけたんだろうが」

 摩訶不思議な内容を言い始めたリアンに、理人は眉を寄せた。時々リアンは理人の理解が及ばないことを口にする。

「……今度は何だ?」
「もっと人を頼ればいいじゃないか。此処には、流浪者で、事情通の俺という存在がいるだろう。書物を漁るよりも、誰かに聞くよりも、よっぽど俺に頭を下げた方が、有意義だぜ」

 理人は瞬いて、自信に満ちた赤い髪の男の顔を見る。ジムザがまじまじとリアンを見、「すげー自信だな」と他人事のように呟いた。
 
「その言いぶりだと、何か知っているのか?」
「俺は世界を旅してる。心当たりはひとつだけある。どうだ、」
「教えてくれ。私に出来ることならば、何でもする」
 
 すぐに理人が言うと、彼は驚いたように目を見開き、それからどうしようもない者を見る目をした。

「あのなぁ。お前があんまりそういうこと言うなよ。まぁいい……ひとりだけ、賢者に出会ったことがある。領と領の境目にある山の奥深くでな。幸いなことに、草花や植物の肥料を対象に研究をしている賢者だった」

 ジムザが理人を見、理人も彼に目線を合わせ、頷いた。
 それは願ってもいない好条件だ。すぐにでもここを発って、協力を願いに行きたい。逸る理人を宥めるように、リアンは言葉を続けた。

「ただ、王領に住まず、まるで人を避けるように山奥にいる賢者。賢者となれば、それだけで一生不自由なく暮らしていけるだけの地位があるのに、それを捨てている。これが何を意味しているか分かるか?」

 理人は思考を巡らせたが、結局、無難な回答しか思い浮かばなかった。

「変わり者……ということだろうか」
「ただの変わり者じゃない」

 予想で口にした理人に、リアンは真剣な表情で告げた。笑みが消えると、この男の顔には凄みが増す。酒場の中の視線が、リアンに無意識に集まっている。

「相当な偏屈者だ。ある意味で――王城にいる賢者より、手強いかもしれないぞ」
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