【完結】エルネスト・ルク・ヴァルトリエの責務

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第三章 【炎と水の因果】

9.

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 二人を乗せた白馬は歩く速度で森を進む。
 月光以外の光源はなく、蒼く静かな色を空から添えて理人たちの影を作っていた。
 
 気が付いたら落馬していそうだからという理由で、理人はリアンの前に騎乗している。
 理人は白馬の美しい鬣を見下ろし、撫でようとして手を止めた。体中、傷だらけだ。無理矢理に拘束から逃れた為、手首には皮膚が引きちぎれた跡があり、全体が火傷により赤く腫れている。
 痛みよりも、白馬を汚す行為が憚られた。

「すまないな、重くないだろうか」

 声を掛けても白馬は答えない。代わりにリアンが背後で小さく笑った。
 
「あんまこいつを舐めんな。二人くらい平気だよな」

 リアンの言葉には、白馬がぶるっと鼻を震わせる。白馬には主人以外には答えない高潔さがあるらしい。
 理人も馬の忠実さに対して微笑もうとしたが、上手く唇が動かなかった。
 
 何から整理をして、これからをどう考えればよいか。立て続けに起こった一連の出来事を思い返し、理人は息を吐く。

「遅くなって悪かった」

 リアンの声は月夜の下で静かに差し出された。
 
「……リーブを連れてきてくれたのか」
「ネリウスから逃げるとなれば、脚が必要だ。あの馬は俺の指示ででも、誰も騎乗していなくても、こいつと併走してくれた。賢くて忠実な素晴らしい馬だ」
「ああ……」

 リアンは過去形で語らなかった。それに僅かに慰められた気持ちで、理人は感情を無理矢理に宥める。あれからモルカスの土を使い、リーブの身体は土に埋めることが出来た。だが、連れて帰れはしなかった。
 理人は手綱を握るリアンの手を見下ろす。炎を湛えていた手は、理人のように火傷を負わずにきめ細かな肌を晒している。どのように理人の元に辿り着いたのかを聞きたい気持ちもあるが、それよりも大きな疑問が理人の口からは零れた。

「お前は一体、誰なんだ」

 リアンからの返事はすぐにはなかった。理人は声を落とすようにして紡いでいく。
 当時は分からなかった出来事が、今の理人に疑問を生む。

「何かがおかしいとは思っていた。洞穴で魔物と対峙したとき、お前は妙に指示に慣れていた。バルナバスが酒場に駆けこんでくれたのは確かだろう。しかし、おそらくはお前の鼓舞で、領民たちは火矢を持って駆け付けてくれたのではないか。それに、何故あれほどの火種がすぐに用意出来たのか、私にはわからなかった。あれはお前が、火を絶やさぬように術を使っていたのではないか」

 ヴァルトリエ領にとって、燃料は貴重だ。夜は暗闇に包まれるのが当たり前で、森を燃やすほどの燃料を使っていたのなら、次の日から生活に支障をきたしたはず。だが、最初の火付けに使った燃焼と木材以外の消費はどうやらなかったらしい。
 理人は当時は分からなかったが、領地の状況を知れば知るほどに疑問だった。
 
「そして、モルカス翁を探しに出た時だ。お前はモルカス翁の居場所を知っていた。時折、口振りにモルカス翁と親しみを感じる瞬間があった。モルカス翁に向けた粗雑な対応を、お前が他の人間にしているところを私は見た記憶がない。翁とは、知己の関係だったのではないか。お前だけだ。後から考えれば、私に王領に向かわずにモルカス翁の元へ行けと誘導した者は」
「あの執事のじいさんは、王領に向かえと言ったんだったな」
「ああ」
「周りに気を付けろと言っただろ」

 理人は言葉の意味を咀嚼してから、顔を歪めた。どうしようもない感情のままに笑おうとしたが、どのような表情になったのかは自分では分からない。無様な人間の顔になっていることだろう。
 最初からバルナバスが王家に密告をしていたとして、王領へ行くように促したのなら、それはその場で理人を捕らえられるように罠が張り巡らされたに違いない。リアンが道中で村に寄らなかったのは、人々に理人の行く先を掴ませないようにしていた意図もあったのか。
 
「バルナバスに気を付けろという意味だったのか? それは分からない……だが、確かにお前の言う通り、私が気付くべきだった」

 この失態を犯したから、日本でも取り返しのつかない事態に陥ったというのに。
 成長しない自分に、心底、腸が煮えくり返る。

「お前は甘いからな。だが、別に甘いとは悪いと同意義ではない。人を信じるという行為は、人の持つ善良な財産の内のひとつだ。だから人がお前を信じる」
「いや、悪くはなくても軽率だ。その所為で、失うものが増える――取り返しがつかないものがある」

 理人は目を細めて背後を見やる。リアンはうまく話を逸らしたと感じた。
 
「誰かと、語る気はないようだな」
「悪ぃ、つもりがないわけじゃない。だが、長い話になる。ヴァルトリエ領で落ち着いたら、話すよ」

 そして自然と沈黙が落ちる。
 このまま領まで逃げ戻ったところで、状況が好転するとは到底思えない。再度王都から迎えが来れば、理人は次も逃げられないだろう。捕縛されれば次こそ命はない。
 だが、次のその時までに対策を考える時間が僅かでも得られる。モルカスや領民たちの知恵を借り、何とか状況を打開する道を探さなければならない。
 
 辺りには蹄の音が子守歌のように響いた。丁度、理人は終電に滑り込んで、帰路についた電車の中を思い出す。独特の振動に眠りに誘われるあの時間が、理人は嫌いではなかった。
 明日をどう迎えるか。タスクを整理して、業務時間外に考えて、明日に臨むなどいつもしてきた。
 まだ諦められない。王座に座した男の姿を思い返し、回りそうになる視界を留めて目頭に力を込める。分からないものが分かるように、ひとつずつ確認を繰り返すだけだ。

「何故、私をいつも助けるんだ?」

 理人が問うと、リアンが胸に息を吸い込んだのが分かった。吸い込んだ分だけ吐かれた息は、溜息に近い。
 
「放っておいたら、お前がすぐに死んじまうからだろうが。毎回毎回、ボロ布みたいになりやがって」
「私とて好きでこうなっているわけではない。やるべきを為しているだけだ」
「お前も聞かねぇ奴だな。死で責は果たされねぇよ。死んだら全部、意味がないんだ」

 怒鳴りこそしなかったが、リアンの声は厳しい。

「お前は本当に面倒くせぇ。誰より頑固なくせに、誰より甘い。だから散々付け込まれる割に、全然折れやしない。見ててしんどいんだよ。お前に周りも振り回されて、疲れるんだ」
「私は疲れさせているつもりはない」
「お前が周囲に何を与えているか、お前だけが自覚がないんだよ。もう俺を疲れさせないでくれ」
「ならば、私が言えるのはひとつだけだ」

 視線を上げ、リアンの金色の目を強く見据える。
 
「勝手に疲れてくれ」

 澄んだ青い目は、強い意志を月光に灯した。
 立ちはだかる壁が見えた。それが、理人が王宮で得た最大の成果だ。

「私は諦めない。私は必ず、死した大地を再生させる。王が立ちはだかり死を命じるならば、私がその刃の前に立つ」

 リアンは金色を瞠目し、やがて細めた。

「俺はお前に都合のいい部分だけを話して、利用した。でもな、それとは別に、確かに俺はお前を信じている。何度も言っただろ。この国に必要なのは、諦めない誰かなんだ。お前みたいな、な」

 言葉は最後、蹄の足音に消されるようだった。

「見てて疲れるが――お前がいると、俺には少し、この腐った世界がマシに見える」

 理人は視線を前に戻し、まだ見えない領地の方向を見つめた。
 領民たちに伝えなくてはならないことがある。モルカスに相談したいことも。セレナやジムザやフロリアたちの無事も確認し。やるべき対応が山のように積もっている。

「戻ったらバルバナスと話をする。彼の口から聞きたいことがある」
「分かった――とりあえず、傷を手当してからな。覚悟しとけよ。セレナ嬢にまたわんわん泣かれるぜ、お前」

 今度の軽口には、理人はようやく口の端を持ちあげて、笑みに似た形を作れた。
 リアンが手綱を軽く動かすと、白馬は速度を上げて、風を切りながら走り出す。
 
 ふと脳裏に、馬車や牢で対峙した漆黒の姿を持つ男が浮かび、理人はとっくに見えないその背後の方向を振り返った。

――理人の正体をネリウスに話せていたのなら、何かが変わっただろうか。

 考え、視線を戻す。たらればの仮定は考えても詮無きことだ。
 今はただ、一秒でも早く、セレナやモルカスたち、領民たちがいるあの地へ戻りたかった。
 


 窓から森を見下ろす、漆黒の双眸があった。
 普段は冷静に飾られた瞳が、今は感情を波打たせている。塔の床に残った水の膜が、そんな男の姿を下方から映し込んでいる。
 
 塔に集まり始めた騎士たちの足音に、彼は時間が切れたと知った。
 人払いをしていたのは彼であるのだから、見張りの騎士たちに責がないとは言える。ただし、虜囚を取り逃した責は、彼らにもある。
 
「ネリウス殿下……!」
「逃がしたか」

 ネリウスの周囲に集まり、膝をついた騎士たちを彼は見下ろす。騎士たちはネリウスの問いを肯定した。
 次の瞬間には、見張りを任じていた騎士の、利き手の手首から先が飛んでいた。
 
 音を立てて手首が水の上に転がった直後、絶叫が棟に響き渡る。
 他の騎士たちは息を呑んで、主の血が滴る剣先を見つめた。

「案ずるな、貴様の責は贖われた」

 清浄な水に剣から滴る血が混じる。
 
「――私が甘かった。改めて、箍を締め直す」

 締めても緩むならば、より強く締めなければならない。盤古な王国に混じる異常は、取り除かなければならない。
 この国において、変容とは罪だ。変化を齎す者を、彼は許さない。

「歴史を変えるのも、また人か……」

 銀糸の青年の青い瞳が、ネリウスに詰問する声を持って思い返される。
 彼が落とした言葉に、騎士たちは僅かに問うような視線を投げた。

 彼は騎士たちには構わずに、漆黒の目を眇める。水牢から抜け出した、その手引きをした男を、取り逃した。ネリウスにとっては有り得ない失態であった。物珍しい言葉を放つ相手に、少々興が過ぎてしまったのかもしれない。

「次は、迷わず殺す」
 
 森に向けられた冷徹な目を、騎士たちが見ることはない。ただ、一様に平伏した。
 男の背に物言わぬ月が、深い逆光を生んでいる。

 深い夜の帳の中で、絡み合った糸が徐々に、ことほがれようとしていた。








【第三章 炎と水の因果 完】
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