褐色の列車(私を知らない人との対話)

Onfreound

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褐色の列車(私を知らない人との対話)

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 見河原にはいとこが住んでいました。数回ではありますが、幼い頃は親に連れられ訪れたものです。
 大きなビルと途絶えない車が、田舎暮らしの私に焼き付いています。行った時はいつも晴れでしたから、見河原に来る度、緑が映らない空を眺めることとなりました。
 それ以上に心を惹いたのが、あの古ぼけたチャペルです。街を2つに割く川の側で、鮮やかとは言い難い赤レンガの建物がありました。別に、讃美歌が聴こえた訳でも、神父や牧師の姿が見えた訳でもありません。そもそも、中に入りすらせず、前をただ通り過ぎただけでした。イエスが何者かさえ、知らずに生きてきました。
 視界の中で暗く留まっていたからこそ、かえって目に映ったのだと思います。強いて言うなら、鉄とコンクリートで囲われた光沢は、私には過度に非情だったのかもしれません。


 見河原へ行こうと思い立ったのは、誰かに会いに行くとか、あの景色が恋しくなったからとかではありません。既に故郷から離れた私にとって、都会の様相など見飽きたものでした。いとこもしばらく前に崎居へ引っ越して、それから先は...
 日が昇った空を背に、いつもと逆向きの電車に乗りました。ここから1時間半の攝塚で降り、さらに2時間かけてようやく見河原に辿り着きます。
 新幹線なら、暗くなる前に帰れたでしょう。そんな贅沢を想うことなく、ただただ初めての一人旅に高揚していました。何せ、他人の車の行く先に任せるしか、遠出の手段なんて知りませんでしたから。
 時に窓を眺め、時に手元を観察して、身体は進んでいきます。意図することもなく、望んだ見河原に近づいていきます。まるで、何時かにそっくりでしたが、外は次第に森や山、田畑や野原を纏っていきました。


 慣れない木造の駅舎を進み、私は定刻を待っていました。ホームの中の人はまばらで、皆一様に、静かに佇んでいました。
 ふと、次に乗る電車を知らないことに気付きました。私の不注意かもしれませんが、駅のポスターにその姿はなく、ただ「見河原線」という名しか分かりませんでした。見上げた先の駅名標は、黒く塗られているばかりでした。私は乗物に大変疎い方ですが、軽くでも下調べをしておけば、容易に認識することが出来ていたでしょう。
 故にでしょうか。その妙な不鮮明さが、私の胸を躍らせました。時間は1分、1秒と過ぎていきます。息が詰まりそうな感覚に、取り込まれ、飲み込まれ、血の濁流が声を発しかけていました。
 そして、映えない茶色の列車に乗りました。


 深緑の座席に、よく目にする鉄棒が組まれていました。側端に腰掛け、ほんの少し息を吐きました。
 幾分か経って、キャップの位置を整えました。中学、それ以前から被り続けて、褪せたベージュが浮き上がっていました。
 前に掛かる髪が、ひたすらに気になります。一人暮らしを始めて以来、髪の管理は杜撰になったと思います。不快ではあるのですが、良くも悪くも、不快であるようにしか感じないのです。既に曖昧な視界が、さらに傷つけられていきます。
 心臓の鼓動が響きます。腹の音は押し黙りつつ、暫く何も味わってない空白を伝えます。肩は重く、脚は重く、手首さえ重く感じます。ところで、新しく買った靴はハズレだったのか、底の擦り跡が際立っています。一応、半年前の手指の腫れは、今の所収まっているようです。
 理科の時間でした。ガスバーナーを前に、私は叱責を受けていました。班員が緩めすぎた調節ネジを、私が止めなかったからということでした。厳密には、止めなかったというのは不正確です。彼らの実験を、ぼんやりと眺めていました。幸いにも事故には繋がらず、身体を壊す人もいませんでした。無知に過ぎないその日を差し置き、季節は巡っていきました。


 黒の薄いパーカーを羽織っていました。あまり寒くは感じませんが、糸が解れた手袋がありました。
 聞いた話を大雑把にまとめると、こういうことでした。昔、村に1人の怠け者がいました。怠け者はいつも畑仕事や木こり、織物の作業から抜け出し、山道にあるお地蔵様にお祈りをしていました。何もせず、一日中拝んでばかりいたものですから、村の人たちも全く呆れた様子でした。さらに、怠け者はぼうぼうの髪で、格好もだらしないものでしたから、村の子どもたちは、こぞって馬鹿にしていました。
 その日は、とてもひどい大嵐でした。家々の屋根は飛ばされ、木々はいくつも倒れていました。大きな川からは水があふれ、近くの田畑を飲み込んでしまいました。
 こまった村の長は、怠け者を呼びつけ、こう言いました。「お前、毎日お地蔵さんにお祈りをしてるんだろう。どうせ、何もしないのなら、今日もあそこまで行って、嵐を止めるようにお願いしてこればいいじゃないか」
 長の言葉に、村のみんなはそうだ、そうだと賛成しました。そして、身体を吹き飛ばしそうな風の中、怠け者はお地蔵様の所まで歩いていきました。
 怠け者は手を合わせ、「お地蔵様、どうかこの嵐をおおさめください」と言いました。しかし、揺れる葉音は増すばかりです。怠け者は手を合わせ、「お地蔵様、どうかこの村をお救いください」と言いました。しかし、撥ねる水音は増すばかりです。怠け者は手を合わせ、「お地蔵様、どうかみんなをお助けください」と言いました。しかし、赤子の泣き叫ぶ声は、打ち消されるばかりです。
 そうこうしている内に、山を持ち上げるような竜巻が起こります。壁も柱もくずれてしまい、村の人たちは地面にすがるのがやっと。川の水もどんどんのぼってきて、みんな、もうおしまいだと感じました。
 その時、とつぜん、山の方から大きな音がしたかと思うと、嵐が静まりだしました。風は止み、水は引いていきました。
 村の人たちは、何が起こったかよく分からないまま、嵐が過ぎ去ったことを喜びました。そして、なくなってしまった家を直す為、山の方に向かっていきました。
 すると、そこにはお地蔵様の姿がありません。驚いて下の方を見ると、お地蔵様をしっかりと抱いて川辺に横たわる、怠け者の姿がありました。怠け者は、土や砂や泥、葉っぱを身体中に纏っていました。怠け者は、押し出されたお地蔵様を支えながら、自分を身代わりに...と願ったようです。
 このことがきっかけで、村は後に、見河原と呼ばれるようになりました。そして、見河原の人達は日々、街を眺めては想いを馳せるそうです。
 不意に見た車窓には、陽光が掛かっていました。


 長らく教師を務めていた祖父は、毎日欠かさず日記を書き留めており、その文字列を時折眺めるのが私の楽しみだった。家にはガレージを兼ねた倉庫があり、埃を被った云十年の蓄積が並べられていた。ある日、何気なく倉庫を訪れると、数枚の黄ばんだ紙が壁と棚に挟まっているのを見かけた。取り出すと、あたかも日記の一部のような、違うような...少なくとも、誰かの書いた筆跡は、確認できた。そう言えば、聞いたことがある。いつだったか、幼い私がここに来た際、偶々手に取った1冊のノート、旅行記か何かを、無惨にも破り千切ったらしい。その一部が滑り込み、偶然残り続けていたというのが、自然ではないだろうか。折角発見したのだから、読んでみたい。故に、それぞれに目を通し、バラバラに集合していた紙々を、最も自然だと思う形に並び替えた。そして、生まれた文章に相応しい題名について、考えることにした。しかし、出来たものは何処か、心許無いように感じる。だから、私が1個付け加え、完成品とした。なお、並べた際は意識しなかったのだが、改めて見返すと、色の劣化の具合が妙に異なるページが1枚だけあることに気付いた。その用紙の裏には小さく、×××と記されていた。


「内側なんて、表象しようがないんですよ」
「はぁ」
「思うがままだなんて、理想像でしかない。ただ、思い立たされる様に在るだけです」
「そうなんでしょうか」
「だから、私達は枠を見る訳です。周囲の在り様を、ひたすらに映す訳です」
「うーん、もっと自由なものな気がしますけどね」
「その思いや感情こそが、最も外に束縛されているという話ですよ」
「そりゃまぁ、大変なことですね」
「......」
「......」
「......」
「ただ、何と言うか」
「別に、外も良く見えてないじゃないですか、って」
「矯正したところで、私達はぼやけたまま過ごすんですよ」
「電車が煉瓦色か否かさえ、きっと視覚することはありません」
「...電車は、赤銅色ではないですか?」
「……」
「……」
「……」
「ええと、何が言いたいかというと」
「間違うなら、より素敵な誤解だといいよね、みたいな」
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