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殿下は脂汗を浮かべ、視線を彷徨わせた。 ミナとの甘い一時と、見栄やプライドが天秤で揺れる。……けれど彼は、無能だとか無責任だとか噂されることだけは、死んでも避けたいと考えているような男だ。
「……分かった。……昼の予定はキャンセルする……」
「どういったご予定かは存じ上げませんが、それがよろしいかと」
私は微笑んで頷いた。
彼は悔しそうに拳を握りしめ、ミナへ断りの連絡を入れるために手紙へペンを走らせ始めた。後で側近にでも渡しに行かせるつもりだろう。
内容は読めないけれど、あのお怒りの様子では文字もずいぶん歪んでしまいそうね。
「それでは殿下、お励みくださいませ」
私は今度こそ一礼し、踵を返した。
「くそっ、これはどこを参照しているんだ……!」
背後からは悲鳴のような独り言が聞こえてきたが、私は聞こえないふりをして執務室を後にした。
パタン、と重厚な扉を閉める。 廊下に出た瞬間、私は大きく息を吐き出した。
「ふう……」
空気が美味しい。
長年澱のように溜まっていた胸のつかえを、少しずつでも吐き出していきたいもの。
「……随分と楽しそうな顔だな」
不意に柱の陰から声がかかる。 驚きはしなかった。彼がそこにいることが、何となく分かっていたかもしれない。
「ジークフリート様」
私が微笑むと、腕を組んで待っていた貴公子様が、黄金の瞳を細めてこちらに歩み寄ってきた。
「どんな様子だ?」
「上々ですわ。殿下は今頃書類と格闘していらっしゃいます。お昼のご予定もキャンセルされるみたい」
「あの男が女より仕事を優先するとは。君の指導はかなり優秀らしい」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。……もっとも、彼が自力で最後まで辿り着けるとは思いませんが」
私が肩をすくめると、ジークフリート様は喉の奥でくっと笑った。
「だろうな。彼にできるはずがない」
国の代表になると言っても差し支えない人間の仕事について、そうも断定されていいはずはない。
けれども、私とジークフリート様の意見は合致してしまった。
「午後には泣きついてくるか、あるいは……」
「あるいは、適当に判を押して誤魔化すか、だ」
あの方のことですから、他の人に押し付ける……というのは、ないと考えていいでしょう。
他の人に無能がバレたくはないだろうから。
「どちらに転んでもいい。無能を晒すのか、適当ぶりを晒すのか」
窓から外を眺めながら、私たちは予想を並べる。 廊下を行き交う生徒たちが、公爵令息と侯爵令嬢の並び立つ姿に見惚れているのが視界の端に入ったが……よそから見れば、ただ立ち話をしているだけだ。特に見られて困るようなことはしていない。
「それで……空いた時間をして、何を?」
「そうですね……」
少しだけ考えてから私は答えた。
「ミナ嬢にも釘を刺しておこうかしら」
「ああ……彼女も今頃、王子からの連絡を受け取っている頃か」
私たちは連れ立って廊下を歩き出した。 執務室に残された殿下が混乱しているのを想像しながら。
「……分かった。……昼の予定はキャンセルする……」
「どういったご予定かは存じ上げませんが、それがよろしいかと」
私は微笑んで頷いた。
彼は悔しそうに拳を握りしめ、ミナへ断りの連絡を入れるために手紙へペンを走らせ始めた。後で側近にでも渡しに行かせるつもりだろう。
内容は読めないけれど、あのお怒りの様子では文字もずいぶん歪んでしまいそうね。
「それでは殿下、お励みくださいませ」
私は今度こそ一礼し、踵を返した。
「くそっ、これはどこを参照しているんだ……!」
背後からは悲鳴のような独り言が聞こえてきたが、私は聞こえないふりをして執務室を後にした。
パタン、と重厚な扉を閉める。 廊下に出た瞬間、私は大きく息を吐き出した。
「ふう……」
空気が美味しい。
長年澱のように溜まっていた胸のつかえを、少しずつでも吐き出していきたいもの。
「……随分と楽しそうな顔だな」
不意に柱の陰から声がかかる。 驚きはしなかった。彼がそこにいることが、何となく分かっていたかもしれない。
「ジークフリート様」
私が微笑むと、腕を組んで待っていた貴公子様が、黄金の瞳を細めてこちらに歩み寄ってきた。
「どんな様子だ?」
「上々ですわ。殿下は今頃書類と格闘していらっしゃいます。お昼のご予定もキャンセルされるみたい」
「あの男が女より仕事を優先するとは。君の指導はかなり優秀らしい」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。……もっとも、彼が自力で最後まで辿り着けるとは思いませんが」
私が肩をすくめると、ジークフリート様は喉の奥でくっと笑った。
「だろうな。彼にできるはずがない」
国の代表になると言っても差し支えない人間の仕事について、そうも断定されていいはずはない。
けれども、私とジークフリート様の意見は合致してしまった。
「午後には泣きついてくるか、あるいは……」
「あるいは、適当に判を押して誤魔化すか、だ」
あの方のことですから、他の人に押し付ける……というのは、ないと考えていいでしょう。
他の人に無能がバレたくはないだろうから。
「どちらに転んでもいい。無能を晒すのか、適当ぶりを晒すのか」
窓から外を眺めながら、私たちは予想を並べる。 廊下を行き交う生徒たちが、公爵令息と侯爵令嬢の並び立つ姿に見惚れているのが視界の端に入ったが……よそから見れば、ただ立ち話をしているだけだ。特に見られて困るようなことはしていない。
「それで……空いた時間をして、何を?」
「そうですね……」
少しだけ考えてから私は答えた。
「ミナ嬢にも釘を刺しておこうかしら」
「ああ……彼女も今頃、王子からの連絡を受け取っている頃か」
私たちは連れ立って廊下を歩き出した。 執務室に残された殿下が混乱しているのを想像しながら。
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