婚約者に浮気されたので、肩代わりしてた公務その他をお返しします

泉花ゆき

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蹄の音が規則正しく響く音がするだけの馬車の中は、静かだった。場を離れるにつれて野次馬のざわめきもミナの汚い怒声も引き離していき、代わりに落ち着いた香りが満ちている。

ヴィクトリアとジークフリートは自然と対面に座り、再び年頃の貴族としての一定の距離を保った。先ほどまで触れていた手のひらの熱が、空気に触れて少しずつ引いていく。

(……名残惜しいなどと、思ってはいないけれど)

ヴィクトリアは乱れた心を落ち着かせるように、膝の上で指を組んだ。そして、ずっと胸の内にあった疑問を口にする。

「ジークフリート様、一つ伺ってもよろしいでしょうか。なぜ……あのように詳しく、私の執務のことをご存じだったのですか」

それは彼が協力を申し出てくれてから、ずっと心の隅にあった疑問だった。
私の執務は建前上ジェラルド殿下が行ったことになっているのに、なぜ私が夜を徹してまでそれに明け暮れていたことをご存知だったのかと。

問いかけに対し、ジークフリートは少し驚かれたようだった。その後で何かを思い出すように視線を伏せる。

「君が城の廊下を歩くとき、いつも季節を問わずレースの手袋をつけていただろう」

「……ええ」

それはもはや遠くにも感じられる記憶のこと。あの頃私は、どんなに蒸し暑い日でも薄い手袋を身につけていた。

「淑女の嗜みかと思っていたが、ある日偶然見てしまったんだ。ジェラルド殿下の癇癪かんしゃくで水を被った君が、濡れた手袋を外した瞬間を」

「……」

ヴィクトリアは小さく息を呑んだ。

「その指先には、落ちきらないインクが染み付いていた。それを見たとき、君がどれほどの重責を一人で背負い、誰にも言わずに筆を走らせてきたのかを悟ったんだ」

「……お見苦しいものをお見せいたしました」

私は言いしれない恥ずかしさに視線を伏せた。令嬢にとって、労働の証である指の汚れは隠すべき瑕疵かしであり負い目に他ならない。

「誰にも見せないように隠していたのか」

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