蝙蝠怪キ譚

なす

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第■■章《片羽の無い天使》

第■■章2『罰ゲーム』

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 いつからだろうか。蝙蝠少年とさえ怯えられたこのボクが、こんなにも誰かからの返事を求めてしまうようになったのは。

「ボクな、告白されちまったんだぜ。こんなボクにさ、好きだって。笑って、くれないかなぁ……」

 部室に行こうとした筈の足は、全くの逆方向に向かってしまった。優しい木漏れ日が、乳白色のカーテンから差し込んでくる。ボクは、並んだベッドの前に、膝を折っていた。
 それは、独り言なんかではない。雪のように白いシーツには、安らかな寝顔の二人が溶け込んでいる。だが、雪が溶けても、二人は目を開けてくれなかったのだ。もうすっかり、見慣れた風景だった。風景に、その一部になってしまっていた。

 ここは、保健室。誰かにとっては来るだけで心を軽くしてくれるような、学校で一番安心できる空間、そんな安寧の場所かもしれない。
 でも、ボクにとっては違った。違くなきゃいけないんだ。ここに足を踏み入れただけで、ズキズキと胃が痛んだ。あのときのことを嫌にでも思い出して、背骨が肉から剥がれ出て、身体が張り裂けてしまいそうな罪悪感に襲われる。
 二人が居るから。もう三ヶ月程前から、ずっとここで2人が眠っているから。

「はるか、つくし。こんっなに待たせて、ボクだけ、お爺さんになっちまうじゃないか……!」

 いくら声を荒げても、返る声は無い。ただ、カーテンレールが揺れるだけである。カタカタと、音が響く。その二人はボクの同級生で、同じクラスで、友達だった。孤立してたボクに勝手に話しかけてきて、勝手に同じ部活に入れたんだ。そして勝手に、ボクを部長にまでしやがった。

 つくしと、はるか。

 三人で、不思議部だった。学校の七不思議を解決していたんだ、順調に。最後の"七不思議"に出会うまでは。

『"不思議"はここで終わらせない。君のシンユウには悪いけれど、少し眠っていて貰おう。それが、解決の代償だ』

 そうやって。ボク以外の不思議部員、つくしとはるかは、ペナルティを負ったのだ。
 眠ったままこの学園から出られないという罰を。
 長年守られてきた不思議を、迂闊にも解決してしまった代償に。ボクと関わったばっかりに。不思議を解決したばっかりに。二人は“不思議”に囚われた。

 それからというもの、毎日毎日ここに来ては二人に頭を下げて、あるはずだった日常を話す。くだらないことを、出来事を、愚痴を、話す。当然、うんとも言わないし、にこりとも笑ってはくれない。言葉なんて返っては来ない。髪も伸びない、爪だって伸びない。あるのは体温だけだった。

 それでも。

 七不思議を解決しようと言ったのはボクだ。二人をこんなにしてしまったのは、ボクなんだ。あの日からずっと、目の下の隈が消えない。消えてはくれない。

「つくし、“違いますよ”って。そうやって、つっこんでくれよ。駄目だなぁ、二人が居ないとボク、てんで駄目駄目なんだよ。一人じゃ何にも上手く出来ない、どうしようもないクズなんだよ」

 あれから、依頼だって何件も来た。まるでボクのことを慰めるみたいに、簡単な依頼ばかりだった。不謹慎なことだけど、不思議部に来るどんな依頼も味気なく感じるのだ。
 もう、話せないくらい灰色になった夏が過ぎようとしている。今日だって、告白されたことくらいしか話せる事がないんだ。

 ああ。

「こんなんじゃ、モーニングコールにもなんないよな」

 つくしの頬に触れる。温かい、ただそれだけの人形のようだった。他意の無い告白も、弱みにつけ込んだようにしか感じなかった。こんなときに、一体ボクの何を好いて、近づいてきたのか。喜びよりも憤りのほうが上回ってしまう、そんな自分が嫌でしかなかった。本当、嫌な性格に逆戻りって感じだなぁ。
 過ぎていくんじゃない。それは逆行し、退行していくようだった。


「──おや、またここに居たの、レイ君」

「ぁ────────」

 背後からかけられたその声に、ボクは心底安堵した。ボクと、同じ思いをしてきた人が、カーテンの隙間から顔を出していたのだ。

 悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。悔いて。
 何度も。何回も。悔いて、悔いて、悔いて、悔しい思いをして。そんな思いをし続けて。何度悔いても足りないくらいに。喉が、枯れるまで悔い続けたのは。後悔の渦に溺れてるのは。

「アンタもでしょ、タオ先生」

「そうだねぇ、レイ君」

 そうしてその人、タオ先生も、どこかほっとしたように笑ったのだった。


◆◆◆◆


 不思議部として活躍してきたのは、ボクら3人だけじゃなかった。もちろん、あの不思議に関わったのも、助かったのも、ボクだけじゃない。
 ベッドの近くに、ボクの分まで丸椅子を持ち寄ってきてくれたのは、不思議部顧問、タオ先生だった。くたびれたネクタイに、シワだらけのスーツ。だらしない、が服を着て歩いているような、教育者である。まごうことなき、化学教師である。彼だって、七不思議の前には無力だった。
 大人だろうが、教師だろうが、それがタオ先生だろうが。変わらず無力なのだ。教え子を二人もこんな風にされて、下手したらボクよりずっと苦しいはずなのに、この人は、いつも通りに接してくれる。いつも通りに、だらしないままでいてくれる。
 いつも通り、だけれど。彼も十分、疲れているようだった。

「告白、されたんだって?」

 ひと通り、変わらぬ二人の様子を見たあと、タオ先生はそう聞いてきた。

「ええ、まぁ。ははっ、聞いてたんですか」

「うん。陰ながら録音してるよ」

「タオ先生、陰ながら応援じゃないの!?」

「あ、まちがいまちがい。応援だったね。ごめんごめん」

 タオ先生は、てへっと舌を出した。この人、本当にやりかねないので怖いのだ。

「それで、何か渡されてたみたいだけど」

「よく見てますねぇ、タオ先生ってば」
 
「封筒? ラブレター? 開けないなんてヘタレだねぇ、レイ君。ま、そんな予感してたけどね。あれでしょ、あとからハサミとかで丁寧に開くつもりだったんでしょ。開いても額縁とかに入れて永久保存しておくつもりだったんでしょ。たかだかラブレターくらいで。女々しいねー。やだねーこの男は。きっとこの先、一生自分から告白できない系男子だ。鬼嫁に尻に敷かれる未来しか見えないよ。あーあ、幸せな未来だね」

「独身にそんなこと言われたくないんですけど!?」

 五秒前の空気はどこ行った。じっとりと横目で見つめてくる彼は、あっさりボクのポケットからあの封筒を抜き取り、

「あっ、ちょっと、タオ先生! ボクまだそれ読んでないんですから、返して! くだ、さいっ!」

「やだなあ、だってレイ君全然開けそうにないしぃ。現にわたしはもう飽きてきたしぃ。──お、二枚入ってる、いいねぇ」

「何っ、透かして見てんですか、ちょ、返してくださいよ!」

「わ」

「ぼ、ボクが開けますから」

「はいはい、それでよろしい」

「ったく……教師としてどうなんですか、あなたの存在は」

「いやいや、本当に開けるつもりなんてさらさら無いよ。生徒のラブレターを勝手に引き裂こうとするなんてさ、そんなの教員失格だよ~」

「普通は、そんな弁明もしませんけどね」

 この人、ホントに教育者なんだろうか。
 絶対、教員免許とか持ってないだろ。運転免許ですら持ってないだろう。

「持ってまーす」

「ボクの心の声と会話しないで下さい」

 これみよがしに免許をちらつかせやがって。それもまたボロボロなので、言わずとも彼の物だと分かる。ホントに教師なんだなぁ。ネットを悪用しては、生徒のLIENのトーク履歴を覗き見る教師、なんて。

「ボク、タオ先生のこと今まで犯罪者だと思ってました。というか、今も思ってます」

「レイ君、早く中を見なよっ。わたし、中が気になって眠れない!」

 スルーしたな、この人。もう、彼にとっては過去のことらしい。ボクは忘れていないがな。

「はあ、分かりました。開けますよ、ボクもそろそろ腹を括るときです」

「長い道のりだったねぇ」

 何だかもう、どうでも良くなってきたのでボクは戸惑うことも無く、

 べりっ、べりびりっ、べりっっ。

「ヘタクソ、破れた音がしたんだけど」

「げ」

 手紙って、こんなに脆かったっけ。悲しいことに、封の口は最悪な破れ方をしていた。ついつい心までが強張り、手に力が入り過ぎてしまったのだ。幸い、中身に支障は無かったが。ボクの初ラブレターが! 額縁に入れて永久保存しようと思ってたのにっ!
 ボクは泣く泣く中に入る二枚の紙をまとめてかき出した。何故ボクより中年の教師が、鼻息荒くこっちを見つめているのかは分からないけれど。場所が場所なので、大変危険な絵面になっているけれど。現在、ボク以外のツッコミは不在である。早く起きてくれ! つくし!

 さて。冗談か。それとも罰ゲームか。このボクに告白してくるなんて、その二択だろう。冗談か罰ゲームなら、それでいい。そっちの方が慣れているんだから。

 さぁ。きっと、便箋に大きい文字で、《ごめんなさい》の一言が、きっと。 


「──────は」


 タイヤに釘が刺さって一気に空気が抜けていくみたいに。その手紙を。を見た瞬間、ボクは、息をすることさえ忘れていた。興味津々だったタオ先生も、少なからずギョっとしたんじゃないかと思う。

 だって。

 だってそれはだったんだから。

 の罰ゲームだったんだから。


 ゆっくり、振り返る。

 違う。タオ先生は、笑っていた。
 剃りきれていない髭の目立つその口は、確かにこう言ったのだ。話のタネが出来て良かったね。そうやって、嗤っていた。

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