蝙蝠怪キ譚

なす

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第■■章《片羽の無い天使》

第■■章13『再会とやり直しを』

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 ◆◆◆


 分からないことがあった。一つ、確実に。

 もし、連続片翼神隠し事件の犯人が香々兄弟だったとしたら、動機はなんだろうか。なぜ、蝙蝠の欠片を使う必要があったんだろう。妹を守り抜くために能力が欲しかったとか。小動物の羽や手足に興味があったとか。

 そして、統一されたのが“左”のワケ。
 なぜ“左”羽で“左”足で、右じゃなく“左”でなくてはいけないのか。最初に会ったとき、“左上右下”を知らなかったあの二人が、そんなことをいちいち気にするだろうか。はたまた、あのときのように偶然に、無意識下に行われた所業なのか。

 二人共蝙蝠の欠片を体に入れてるってことなら、ボクを殴るような行為も頷けなくはない。悪い心の増幅が副作用みたいなものだしな。あれを素でやっていたら、逆にドン引きだ。


 だがしかし、決め手はそのくらい。矛盾もそのくらい。ハーフ&ハーフってところだな。何か、見落としている筈だ。もっと、大事な何かを。


「──氷雨先輩? お入りになってくださらないんですか」

「い、イロハちゃん……!? そっか、もう美術室か。ごめんね、ま、待ったかい?」

「ふふっ、いえいえ全く」

 扉の隙からちょこんと顔を出したイロハちゃんは、頬を染めて小さく笑った。
 推理しているうちにもうここまで来てしまうなんて。
 何なんだよ、“待ったかい”って。時代遅れの名優か。自然と今の言葉が脳内で反芻され、ボクの頭には朱が昇った。振り返るだけでも、肌がぞわぞわする。      
 駄目だ、後輩(可愛くて素直な女の子)相手ではどうしても喋り方がおかしくなってしまう。恥ずかしくも、ここにツクシが居たら、きっとボクは横っ面に飛び蹴りをお見舞いされていたことだろう。

 いつものギャグ面を出すわけにもいかず、そそくさと気味の悪い照れ笑いを浮かべ、美術室へと入った。

 可愛いなあ、やっぱり。あの兄もそうだったが、なかなかの美丈夫兄妹。男女ともに憧れを抱いてしまうのにも頷ける。仕草一つ一つで弾む短髪が、くるくると動く深淵の瞳が、次第にボクを虜にしていく。手のひらに収まってしまうスズメのような少女。


「(どうしよう。告白オッケーしてもいいかも……)」

 一時の感情に流されやすいタイプなのだ。

 かちゃり。

 金属音が響いた。ボクは、腹をうごめく感覚に生唾を飲み込んだ。

「さあ、お話しましょう、氷雨先輩」


 ◆◆◆


 あつい。

 それは、密室に女子と二人きりなんてシチュエーションからくる照れなどではない。漢字に変換すれば、“暑い”といえるだろう。なのに、窓は一つも開いてはいなかった。開けさせてくれる気配も無く、彼女は涼しい顔をして椅子をすすめてくれた。イロハちゃんの対面に、同じように腰を下ろす。天井で橙に光る豆電球の効果もあってか、広い美術室はまんべんなく熱気に包まれている。それでも足りないのか、イロハちゃんは制服を萌え袖っぽく伸ばしている。
 こんな猛暑日なのに。こんなにもボクは汗をかいているというのに。ハンカチで拭くも追いつかず、ぽたぽたと雫が首を伝う。もう我慢できなかった。

「ねえ、イロハちゃん、あのさ」

「──先輩、ドガの《髪をくしけずる女》を知っていますか?」

「ど、が………?」

 そう言って。彼女は踊るように立ち上がって見せた。誘われるがままに、半身だけの彫刻に触れ、

「なら、ルノワールの裸婦画たちは? 彫刻のほうが親しみありますかね。それならサモトラケのニケでどうでしょう」

「それ、くらいなら」

 どうでしょうと言われてもなあ。

 何が始まるんだ。
 話したいことって、相談したいことって、事件のことじゃないのか。思わず彼女に答えてしまった。イロハちゃんはニィっと歯を見せた。

 サモトラケのニケ。たしか首の無い翼の生えた女神の像だ。なぜ今その話をするんだ。美術部だからか。一切関係のないであろう話を、どうしてそんなに恍惚とした表情で。

「サモトラケのニケを、先輩は正面からしか見たことがないんじゃありませんか。その一面しか見たことがないんじゃありませんか? 本当に。本当に美しいのはそこじゃないのに。人間っていうのは基本、正面からしか物事を見ようとしないものなんですよね。薄っぺらい表面だけを見て、その全てを掌握できたかのような優越感に浸るんです。表面上の好きも嫌いもなんの意味も成さないのに。でも私は違うんです。そんな薄っぺらなところを好きにはなりませんよ。もっと違うところを。もっと違う角度から見たあなたを好きになったんです」
 

「なあイロハちゃん」
 

 ──止まらない。


「たくさんの絵画を、彫刻を見てきました。でもこんなの初めてなんです。くっきりと浮き出た曲線。服越しにでも伝わってくるんです。線の少ない背面が、何にも変えがたいくらいに美しいんです。今にも翼が生えて、飛び立ってしまいそうな、そんな。そんなに出会ったのは、生まれて初めてなんですよ、先輩!」


「っ」


「思い浮かべる度に胸が躍って、見つける度に愛おしくなって、そんな肩甲骨を持つあなたが羨ましくって。この気持ちに偽りなんて無いんです。毎日毎日こうやって話せる日を、その背中を拝める日を、心待ちにしていたんですから。委員会も違うクラスも違う学年も違う何もかもが違う共通点もない会える程の人脈も無い、それでも。それでも会いたかったんですそれでも、どうしても私のものにしたかったんですラブレターを書いて告白までしてお兄さんたちにも怪しまれないようにあなたに会ったんですよ。好きだから。好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで仕方が無かったから。もう止まっていられなかったから。後輩にどう言われようが不思議部の部長でいようが居なかろうが正直そんなものどうでもいいんです。あなたにどう思われようがドン引きされようが構わない。あなたのことが、あなたの体が、あなたの背中が。あなたの肩甲骨が、好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きなんです。あなたを前にすると、もうどうにかなってしまいそうで。もっとみせてください、もっと、その肩甲骨を。欲しかったんですよ。欲しいんですよ。私だってずっと我慢してきたんですよ? その辺のカラスやうさぎちゃんやニワトリさんで。でもやっぱりあなたしか居ないんです。量より質って、その通りだと思うんです。カラスの羽をいくつ並べたところであなたの肩甲骨の足元にも及ばないんです及ぶわけがありませんでした──だってそうでしょう?」

 延々と、異形の告白は続く。好きだ、と繰り返されているのに、事あるごとに褒められているのに、こうも嬉しくない告白なんてあるんだろうか。ふいに後退したボクの足に、何かがぶつかり。


 ──────どさっ。


 何かが、足元に散らばった。それは紙で。美術でよく使うような、ざらざらとした厚紙で。床一面に散らばって。ボクはその一枚を、おそるおそる手に取った。


「───え」
 

 え?
 絵?
 絵。

 背中。
 彼女が、唯一無二だと、そうやって褒め続ける、ボクの背中が。何枚も何枚も、ラブレターに付いていた紙と同じような絵が何枚も、何百枚も、ボクを囲むようにして散らばって。虚ろな瞳で愛を囁き続ける彼女。に、。何よりも妹を優先する兄たち。猛暑日にも長袖。異常なまでの肩甲骨への執着。狂気。

 彼女なりのSOS。

 ロッカイ君とロッケイ君が、イロハちゃんを遠ざけようとしていたのは、男子たちを寄せ付けないようにしていたのは。彼女がいつも孤独だったのは、イロハちゃん危険だったからじゃないのか。二人の最後の台詞は、

 ──に気をつけて生活してくださいね、先輩。


 肩甲骨をとられないように。ウサギや、ニワトリや、十三羽のカラスたちみたいにならないように。
 あれは、彼らなりの忠告だったんじゃないのか。鳥の次は人間の左羽をもいでくるかもしれない。頭がぐるぐると回りだす。
 押し寄せる可能性の波に、頭から飲まれてしまいそうだった。眼前の恐怖より、はるかに好奇心の方が勝ってしまった。

「──好きです、先輩」

 熱に溶かされた吐息と共にそんな言葉が飛び出して。

「ごめん。ちょっと今は君のこと、考えてられないんだ」


 推理に忙しくって、と。ボクはばっさり彼女を切り離した。何も考えずに。今は推理に集中したかったからそんなことを言ってしまったが。我ながらにそれは、最悪の断り文句だったかもしれない。

「────ぅして………?」

 喘ぐような呟きの後に、なんと言ったのかは分からない。ただ、同時に、彼女の瞳がぎゅるりと光ったのが分かった。


「……ほ、しい。欲しい、……っほ、欲し、い欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいほしい欲しいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいぃぃっ!」


 うわ言のような無数の欲望が少女の口からあふれ出す。長めのセーラー服の袖口が、鈍くきらめいた。

 刃だ。

 美術室の、カッターナイフだろうか。どうやら仕込んでいたらしい。一直線に向かってくる。狙いはボクの肩甲骨。そこだけ、死守するんだ。

 もし、彼女のSOSが、“私を止めてください”だったら。


「────君を止めるのが、ボクの役目だ」


 ボクは、特徴的な木の机に隠れるようにして身を滑らせた。



 ────はず、だった、のに。


  


「あぁ、羽が、ほしい」


 肩が急に軽くなり、バランスを崩してしまった。大きな物音。何が起きているのか分からないが、すぐに、立ち上がらないと、


「えぁ─────?」


 か細い声が、喉から漏れた。


 どうして。


 そんなことは。


 ありえないのに。


 ありえない、はずなのに。



 
 


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