蝙蝠怪キ譚

なす

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第2章 《蜘蛛の意図決戦》

第2章2『ツノの数だけ』

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「はい、出てくるまでに二分三十秒もかかってまーす。はーいレイ君の今日の運勢は大凶でーす」

「なんでお前体育会系のガチのタイマー持ってんだよ!? しかも二分半って普通に速いだろうが」

「実況のはるかさん、容疑者と見られる少年Rはこう供述していますが、どうお考えでしょうか」

「おい、混じってる、中継と報道が混じってる」

「はーい放送席放送席ー、こちら解説のはるかでーす」

「実況のはるか君はどこ行った!?」


 もうっ、疲れる!

 流れるように、伏し目がちのつくしにストップウォッチを突きつけられ、さらにははるかまで拙いノリを見せ、扉のこっちとあっちの温度差で風邪を拗らせそうである。これ、ホントに前回の続きだよな。話数飛んでんじゃねえのか。さすがにユリィに申し訳ないぞ。

 しかも今日の命運なんて、容疑者扱いされている時点で最悪だろう。少年Rってイニシャル明かしちゃってるじゃねえか。アウトだアウト。

「じゃあテイクツー行きましょ──おはようございます、レイ君(裏声)」

「何でエレガントなお嬢様風なんだよ、あまりのクオリティの低さに笑えねぇよ!」

 短いスカートの裾を摘んで軽くお辞儀をするところまでは、良かったのだが。

 上げた顔が悪かった。

 半目のオットセイみたいな顔しやがって、もう完全に笑いを取りに来てんだろ。それはまさしく、女子をやめてゴリラになった奴の顔をしていた。しかも裏声が絶妙にもギャグ味を増幅させている。いったい彼女はお嬢様を何だと思っているのだろうか。ゴリラか。オットセイか。

「絶対に相まみえることのない人類、ですかね」

「お前は自分をなんだと思ってるんだ……」

「少女兵器……?」

「どこからミサイルが!?」

 そんな力を隠し持っているのかつくしは。兵器だったのかこの少女は。おそらくニュアンスだけで選んだであろうその単語を、えらく気に入ったらしく、

「ふふっ、少女兵器! 私、少女兵器なんですよー」

 と、呟きながら彼女はシャドーボクシングに興じていた。それもなかなかキレの良いアッパーを繰り返している。明日にでもご近所さんからクレームが入るんじゃなかろうか。

「この奇行でっ、シュッシュッ、レイ君のシュシュシュッ、ご近所付き合いが広まっていくならっ、私は喜んでっ、毎朝シャドーボクシングしますよっ、シュシュッ」

「……奇行の自覚はあるんだな」

 奇行から始まるご近所付き合いってヤバイだろ。それをきっかけに仲良くなれるご近所さんなんて、変人確定である。めっきりはるかの台詞がつくしに吸い尽くされたところで、ボクらは歩き始めた。


 そう、我らが愛すべき蛇鹿学園へと。


 ◆◆◆



 《幽霊館》、もといボクの家から徒歩十分。走って四分。だが、三人で歩くと同じルートでも三十分はかかる。

 そんなところにあるのが蛇鹿学園だ。“蛇鹿”と書いて“たしか”と読むらしく、校章に入れるほど蛇と鹿を推している。なぜかは知らんが。きっと有名な逸話でもあるんだろう。

 町の名前と同じくして“蛇鹿”を使っているのだから、当然町にも蛇と鹿が溢れている。蛇鹿公園に蛇鹿神社、蛇鹿民族博物館まであるのだ。どれも、鹿に蛇が絡み合っている模様が刻まれていた。たまに、表札まで蛇をかたどった家が存在するくらいだ。鹿の方も然り。

「鹿も然り? うっわつまんな」

「今どっから声出したんだつくし」

 決して狙って言った訳じゃないのに、ボクがスベったみたいな雰囲気になるじゃないか。
 辛辣にもボクの思考をはたき落としたのは隣を歩く白野つくしだった。さっきまで寒いことをしてたのはお前だったんだけどな。裏声でも出してやろうか。

「まぁまあやめなよ二人共」
 
「「はい」」

 やめた。先ほどから空気レベルの沈黙を見せていたハルカが、ボクらの間にずいっと割り入ったのだ。仲裁には持って来いのハルカ君である。彼はつくしの肩を二、三回叩き、

「まあまあ、レイ君の日頃の愚行に比べたら、まだマシでしょ。ね、つくしちゃん」

「……はるかさんの言うとおりでしたね、すみません」

「愚行!? ボクを敵にして終わらせようとしてないか」

 いつから二対一になったんだ。仲裁者はなだめる振りをしつつボクの敵であることを明確にした。納得するつくし。敵の仲裁者も敵だった!?

「そんなことよりレイ君、今日はいつにも増して髪がふゆんふゆんしてますね。ちゃんと髪を乾かさないからこうなるんです。何年も乾いていたユリちゃんを見習ってください」

 どうやら、一切の会話の主導権はボクに握らせてくれないらしい。つくしは目を吊り上げた。

「あのな、だいたい“ユリ”じゃなくて“ユリィ”だし。そしてこいつの珍妙な表現をどうにかしてくれ、はるか」

「え、何? 会話与奪の権?」

「おい、いくらはるかでも世界中からお叱りがくるぞ」

「うん、そうだね。ふゆんふゆんの話だったね」

「ああ、どうかお願いだから、それを分かる言語に変換してくれないか」

「んんー、ボクにも分からな」

「えええ!? 分かりますよねはるかさん」

「つくし、圧をかけるなよっ」

「………ふゆんふゆんか、不思議だね」


「「おっふ」」

 結論。はるかの笑顔は今日も尊い。



 ◆◆◆


「おはよう、つくし君、はるか君、そして氷雨レイ」

「おっはよーございまーす。ボクだけ呼び捨てなんですね、風紀委員会委員長さん……っと」

「ミイロちゃん、おはようございます」

「ああつくしちゃんにはるか、おはよう」

 校門に着いたボクたちは、早速検問に引っかかった。まるで仁王像のようにボクらを待ち受けていたのは、風紀委員会委員長の、長谷川ミナモという先輩。そして、ボクのクラスメイトであり、生徒会でもある長谷川波色ミイロという女だ。

 よく似たぱっちりツリ目に、さわやかな空色の髪。

「あの、ツノアリツノナシトゲハムシ先輩」

「氷雨レイ、僕を複雑な虫の名前みたいに呼ぶな。僕は四年B組、長谷川ミナモだ」

「自己紹介ありがとうございます、ミナモ先輩」

 ツノ、なんて響きに痛く口を曲げ、彼は忌々しそうにボクを見下した。

 軽く頭を下げると、後ろ襟まで掴まれてしまった。どうやら今日も、許してはくれないらしい。細い体躯からは想像もつかないその腕力からは、逃げられなかった。
 
 風紀委員の持ち物検査につっかかる。
 ボクとしては、これは朝の恒例行事に他ならない。

 そう、鬼のような形相の、──長谷川ミナモという先輩は。

 ボクがここに入ってから初めてやらかしてしまった先輩でもあるのだ。

 数日前、廊下でたまたますれ違った一角獣のハーフである彼のことを指差し、「あ、ツノ生えてる」と露骨に言ってしまったのだ。当然ミナモ先輩は、顔をゆでだこのように赤くし、周りを気にもせずにボクにグチグチと説教たれてきた。ほんの小一時間くらい。

 彼に目を付けられガンを飛ばされ始めたのは、ちょうどそのときからである。

 さらに数日後。彼の妹で、風紀委員でもある長谷川ミイロに、「あ、ツノだ」と考え無しの発言をし、顔面をぶん殴られた。

 ミイロの方と、つくしにもだ。
 それからと言うもの、長谷川兄妹のボクに対する態度がおそろしくも冷ややかなものに変わってしまった。もっと言えば、その件を境にクラスの女子からも軽蔑されるようになった。

 明言しよう。同じ轍を二度踏み抜く男、それがこの氷雨レイである。明言しても名言にはならないらしい。

「くだらないことばかり考えてないでこっちを見ろ。氷雨レイ」

「ミナモ先輩、もしかしてボクの心読めたりします?」

「あまり気持ちの悪いことを言い過ぎるな。森へ返すぞ」

「ボクって森生まれだったんですね……」

 何の違反もしていないのに毎日毎日遅刻寸前までボクを説教しやがって。風紀委員が風紀を壊してどうするんだ。だから、ボクもそれに対抗するように先輩を威嚇するのだが、

「はーい、ミナモ先輩! どうですかこのふゆんふゆんの乱れ髪。まさに校則違反でしょ、ねっ」

「でかしたぞつくし君。これで今日こそこの極悪差別男、氷雨レイを告発できる!」

「わーいっ」

「観念しなさい、氷雨レイ。あなたに味方は居ないのよ」

「僕がいるよ!」

「ええええ今までこの髪型黙認されてきたのにっ!?」

 ハイタッチをするミナモ先輩とつくし。片手でボクの首根っこ掴んだままやっていい行動ではない。いつからここは、おか○さんといっしょの出口のハイタッチ場になったんだ。いや駄目だ。エプロンを着けてにこやかに子どもと戯れるミナモ先輩とか面白すぎるだろ。噴き出しそうになるボクに、冷酷の男の眉間にしわが寄った。

 波色の言う通り、ボクには味方が居なかった。

 つくしは何故かこの長谷川ミナモに大変気に入られている。なんだこの完全アウェーな状況は。つくしまですっかりあちら側に取りこまれているじゃないか。よくまあ毎回そんな状況下の中を、乗り切ってきたものだ。


「褒めてくれはるか!」

「はるか君、そいつを甘やかしすぎるな。飴と鞭は大切だ」

「その通りだよ、あんたらさんざんボクを鞭打ちにしてきただろうがっ! もうそろそろ飴が欲しいよ、この野郎!」

「む、先輩に向かってその口の聞き方、万死に値す」

「あんた何時代の武将なんですかっ。……あ、違った。武将じゃなくて武将のか」

「……ミイロ、半殺しか本殺しか、どっちが好きだ?」

「本殺しね、兄さん」

「分かった、なら本殺しにしよう」

「おはぎの話ですよねぇっ!?」

 今のはレイ君が悪いので味方してあげませんっ。と、つくしに顔を背けられてしまった。

 いや、元から味方してなかったろ。

 そんなことを話していると、

「ふ、わああぁぁ……なんとぉ、ここにいい素材のおふとんがぁ…………ぐぅ」

「“ぐぅ”? え、誰、誰誰誰っ」

 妖精みたく消え入りそうな声、ふわりと首筋から漂ういい匂い。

 なんかボク、女子に寄りかかられてる!?
 しかも声に覚えが無い、痴漢だ!


「んんん…………」

 可愛らしい寝息と共に、その全体重が有無を言わせずボクにのしかかってきたのだ。
 
「ぅ、ぅわぁ!」

 瞬間、やわらかな(かなりの)重みに耐えかね、ボクの体は前方へ、

「ぎゃんっ」


 ─────べちゃっ。

 と。轢かれた蛙のような悲鳴。卵が叩きつけられるような音。

 数多のざわめきが飛び交う中、ボクはその朝、コンクリートと熱烈な接吻を交わしてしまったのだった。



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