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第3章 幼少期(修行時代)

32 魔女邸の厄介な客(千春視点)

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 猿彦氏はそれまで培ってきた商人としての経験とをフルに活用して建設に当たった。

 まず材木等を仕入れに馴染みの卸売り店舗に行くと、開口かいこう一番『よう、オヤジ! いい話を持ってきたぜ! 俺に材木を仕入れ値で譲ってくれ』

と切り出した。猿彦氏の物言いに店主は呆れ返ったが、『かの東商店が大規模な宿を建設する。この話を飲んでくれたら、その後の東商店から依頼のあった材木は全部オヤジにまわす。これはオヤジを信頼しているからこそ持ちかける話だぜ! もちろん、その時は通常価格だ。何なら色をつけたっていいぜ』

 と猿彦氏にほだされ、気が付けば仕入れ値で木材を提供する約束を交わしていた。

 次におこなったのは労働員の確保だ。
 龍都で求人を出すとともに、暇そうな若者を見つけては声をかけた。

 集まったのは総勢50人。

 それを朝と晩に25人ずつ二組に分け、24時間体制で昼夜を問わない突貫工事が開始された。

『いいか、この森谷村は今に森谷町となり、遠くない将来、ここは都となる! 希望があればお前らには一等地に住む権利をやるぜ!』

 夢のような話だが、猿彦氏の口から出ると本当にそうなるように伝わってしまう。理由は簡単、猿彦氏がそうからだ。

 『信じる』という事もまた、世のことわりを覆す力を持った魔法の一つなのだろう。

 次に猿彦氏はとある貴族の元に向かった。そこは以前、師匠がサムライ・ゴーレムの装備品を売り付けた、珍しいもの好きな貴族である。

 その貴族は、猿彦氏が『東商店の者です』と伝えると、他の用事を全てキャンセルし、直ぐに猿彦氏を屋敷へ招き入れた。

『さて、今回はどのようなご用件ですかな』

 貴族はそう聞くものの、既に察しはついていおり、猿彦氏の手元に目が釘付けになっていた。

 そこには紫色の布に包まれた棒状の物が大事そうに抱えられていた。

 既にサムライ・ゴーレムの装備品を手に入れていたその貴族にとって、それが既に刀であることは容易に想像がついただろう。

 『じつはこちらの品なのですが、私が日頃巧魔様に懇意にさせて頂いているえんで特別に譲って貰ったものです。本来であれば部外者へ見せる事は出来ない品ですがーー』

 猿彦氏が勿体もったいつけながら包んでいた布を外すと、そこから見事な龍の細工が施された鞘が現れた。

 猿彦氏は貴族がごくりと唾を飲み込むのを確認すると、カリャリと刀身を引き出した。

『ーーなんと。 私は数々の貴重な品を買い求めて来たが、これは見たことも聞いたこともない』

 猿彦氏の手元には漆黒の刀身があらわになっていた。

 いくらで譲ってもらえるのかと問う貴族に対し猿彦氏は『これは売り物ではない』とわざと断るふりをした。
 それでも諦めようとしない貴族に対し、猿彦氏は諦めたように貴族へ伝えた。

『実はこの度巧魔氏が大規模な宿を建設するが、中に飾る美術品が揃っていなくて困っている。もしコレクションの一部を譲って頂けたら、この刀は貴殿へお預けしよう』

 その貴族は数々の絵画やツボ等の高価な美術品の他、ソファーや椅子、ベッドなどの家具を、懇意にしている有名なドワーフの工房へ必要な数だけ発注し、猿彦氏へ渡す事を約束した。

 因みにその漆黒の刀は巧魔氏が作った試作品で、重すぎて使い物にならないと物置きでホコリを被っていた物だ。
 それを猿彦氏がお願いして譲り受け、職人に頼んで鞘へ細工を施した物である。

 こうして猿彦氏の奮闘は続き、なんと3ヶ月後には完成された建屋が悠々とその姿を現していたのであるから驚きだ。

 巧魔氏が建設の為に用意した金貨5万枚も相当な額だか、完成した建家の価値は貴族から巻き上げた調度品も合わせると、金貨25万枚相当となった。これを猿彦氏の口一つでやってのけたのだから、その手腕は既に魔法の領域だ。

 外観は王家の別荘かと見間違える程の豪華な造り。
 3階建ての横に大きく広がる建屋となっており、1階は受付の他に歓談室とレストラン、2階には25もの宿泊室が連なり、3階は20人未満の団体向けに造られた10の宿泊室と、要人向けの豪華なビップルームが一室設けられている。

 予定よりも3ヶ月速い宿の完成を聞き付けた巧魔氏は、完成された建屋を見て大いに驚いた。

『すごいです。こんなりっぱな宿ができるなんて想像もしてませんでした。猿彦さん、本当にありがとうございます』

 猿彦氏は涙が溢れて止まらなかった。

 この時猿彦氏は、自分の生涯を巧魔氏このかたの為に使おうと決意したのだそうだ。


 以上がこのうっかり魔女邸建設の経緯である。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

時刻は午後4時30分。カウンターは泊まりに来た宿泊客が列をなしている。

(今日も退屈な受付業務が始まったです)と心の中でぼやいていた時、宿の大扉が乱暴にひらかれた。

「ここが森谷村のうっかり宿か? 噂に聞くほど立派な宿ではないなあ!」
「そうですね! オヤビン!」
「ん? おい、そこの貧相な女、お前が受付か?」
「やい女! お前が受付か!」

 太っちょな男が並んでいた宿泊客を押し退け、ずんずんとあたしの元へやって来る。

「俺様は音に聞こえし豚狩トンガリ村の英雄豚助トンスケ様だ! 俺様が特別に泊まってやる。もちろん、宿代はタダだ!」
「タダだ!」

 千春は小さくため息を吐いた。
 少なくとも今日は退屈な仕事にはならなそうである。
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