22 / 102
春の断章 -Comedy-
春の断章⑤-2
しおりを挟む
だが現実とは、いつだってままならないものだ。
心の奥底にその答えを追いやったまま,気づけば一ヶ月が過ぎ去り五月の中頃になっていた。
桜は散り切り、纏わりつく大気は実に心地よいものになっている。
衣替えの時期を目前に控え、日に日に増していく温度を肌で感じていた。
始業式以降、テレビや新聞を使って最大限情報を集めてみた。
その限りでは俺の知る十年前の世界と比べて、世界情勢や巷を賑わすニュースはほとんど内容が変わらないように思えた。
蝶の羽ばたき一つで世界が滅亡するという映画の理屈は、どうやら少しばかり大げさだったらしい。
どんな状況にも人は慣れるもので、俺は中学生としての生活に少しは余裕を持って臨めるようになっていた。
未だに新田と初瀬、そして日聖は俺と親しくしてくれる。康太は相変わらず部活で忙しいらしく、たまにしか出くわさなかった。
それでも出会えば、挨拶と他愛のない会話が自然に交わされた。
そんな日々が金塊より価値のあるものだと、かつての俺はわずかでも想像したことがあっただろうか?
まるであの失意の日々は夢だったと錯覚しそうになるが、この日々はいつ崩れ去るとも知れない虚構の上に立っているのだ。
それを肝に命じながら、俺は彼らと接した。
だとしても、それは紛れもなく福島永輔がずっと心の片隅で夢想していた、「幸福な世界」だったのだ。
二十五歳の視点で中学生のクラスを内部から観察するのは、中々に新鮮な体験だ。
三年二組という一つの共同体に様々な集団が存在し、その中で複数の集団をかけ持ちする生徒さえいる。
それらを眺めていて、やはり思った。
学校というものはなんとグロテスクな代物だろう。
そこでは、実社会など可愛く思えるほどシビアな生存競争とゼロサムゲームが日々行われている。
しかもまだ発達しきっていない、世界との折り合いのつけ方を学び始めた子どもたちに無理矢理強いているのだ。
少しでも均衡を崩せば容赦なく外に追いやられ、以降の長い人生を不意にすることもある。
そうやって己と社会の価値バランスを調整する術を、深い落とし穴を尻目に教え込まれるわけだ。
だからみんなして、「私はこの世界のリズムにちゃんと乗れていますよ」という澄ました顔で机に座っている。
その中で、一人だけ例外がいた。
千賀燎火だ。
誰もがよそ行きの自分を演じて、本意不本意問わず適当な折り合いをつけて他者と迎合している。
その中で彼女だけは仏頂面を貼りつけて、一切誰とも関わろうとせずに机にただ座っているだけだった。
その姿はどうしょうもなく、かつての自分と重なって見えた。
クラスメイトに彼女について知っていることを尋ねて回ったことがある。
ほとんどの生徒が微妙な表情を浮かべて大したことを話さなかったが、一つだけ興味深い情報を得た。
例の事件がきっかけで、この学校に転校してきた始め。
中学一年生のある時期まで、千賀燎火は友人の多い明朗闊達な性格だったというのだ。
それは俺の知っている彼女の像と一致するものだった。
だから彼女を目にするたびに溢れてくるのは愛情ではなく、言いようのない罪悪感だった。
もしかしたら彼女は、俺のせいでこんな不幸な境遇を押しつけられているのかもしれない。
しかも、カンナの言ったことを鵜呑みにするなら、俺には彼女を不幸にしない選択肢しか与えられていないのだ。
彼女を少しでも、今の境遇から救いたかった。
それは紛れもない本心だったが、その方法を考える振りをしながら、なおも俺はこの世界の心地よさに後ろ髪を引かれ続けていた。
心の奥底にその答えを追いやったまま,気づけば一ヶ月が過ぎ去り五月の中頃になっていた。
桜は散り切り、纏わりつく大気は実に心地よいものになっている。
衣替えの時期を目前に控え、日に日に増していく温度を肌で感じていた。
始業式以降、テレビや新聞を使って最大限情報を集めてみた。
その限りでは俺の知る十年前の世界と比べて、世界情勢や巷を賑わすニュースはほとんど内容が変わらないように思えた。
蝶の羽ばたき一つで世界が滅亡するという映画の理屈は、どうやら少しばかり大げさだったらしい。
どんな状況にも人は慣れるもので、俺は中学生としての生活に少しは余裕を持って臨めるようになっていた。
未だに新田と初瀬、そして日聖は俺と親しくしてくれる。康太は相変わらず部活で忙しいらしく、たまにしか出くわさなかった。
それでも出会えば、挨拶と他愛のない会話が自然に交わされた。
そんな日々が金塊より価値のあるものだと、かつての俺はわずかでも想像したことがあっただろうか?
まるであの失意の日々は夢だったと錯覚しそうになるが、この日々はいつ崩れ去るとも知れない虚構の上に立っているのだ。
それを肝に命じながら、俺は彼らと接した。
だとしても、それは紛れもなく福島永輔がずっと心の片隅で夢想していた、「幸福な世界」だったのだ。
二十五歳の視点で中学生のクラスを内部から観察するのは、中々に新鮮な体験だ。
三年二組という一つの共同体に様々な集団が存在し、その中で複数の集団をかけ持ちする生徒さえいる。
それらを眺めていて、やはり思った。
学校というものはなんとグロテスクな代物だろう。
そこでは、実社会など可愛く思えるほどシビアな生存競争とゼロサムゲームが日々行われている。
しかもまだ発達しきっていない、世界との折り合いのつけ方を学び始めた子どもたちに無理矢理強いているのだ。
少しでも均衡を崩せば容赦なく外に追いやられ、以降の長い人生を不意にすることもある。
そうやって己と社会の価値バランスを調整する術を、深い落とし穴を尻目に教え込まれるわけだ。
だからみんなして、「私はこの世界のリズムにちゃんと乗れていますよ」という澄ました顔で机に座っている。
その中で、一人だけ例外がいた。
千賀燎火だ。
誰もがよそ行きの自分を演じて、本意不本意問わず適当な折り合いをつけて他者と迎合している。
その中で彼女だけは仏頂面を貼りつけて、一切誰とも関わろうとせずに机にただ座っているだけだった。
その姿はどうしょうもなく、かつての自分と重なって見えた。
クラスメイトに彼女について知っていることを尋ねて回ったことがある。
ほとんどの生徒が微妙な表情を浮かべて大したことを話さなかったが、一つだけ興味深い情報を得た。
例の事件がきっかけで、この学校に転校してきた始め。
中学一年生のある時期まで、千賀燎火は友人の多い明朗闊達な性格だったというのだ。
それは俺の知っている彼女の像と一致するものだった。
だから彼女を目にするたびに溢れてくるのは愛情ではなく、言いようのない罪悪感だった。
もしかしたら彼女は、俺のせいでこんな不幸な境遇を押しつけられているのかもしれない。
しかも、カンナの言ったことを鵜呑みにするなら、俺には彼女を不幸にしない選択肢しか与えられていないのだ。
彼女を少しでも、今の境遇から救いたかった。
それは紛れもない本心だったが、その方法を考える振りをしながら、なおも俺はこの世界の心地よさに後ろ髪を引かれ続けていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる