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夏の断章 -Romance-
夏の断章⑥-3
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路地の交差点に差しかかったタイミングだった。
信号を渡ったところで、そろそろ距離も稼いだし自転車を降りようと提案しようと思っていた。
このまま無事に家まで帰れるはずだと、俺たちは信じてやまなかった。
その時、対角線上の向いの道路脇から、ふらりと人影が現れた。
正体を認めて、にわかに背筋が凍りつく。
それは長嶋の取り巻きの一人、金髪で線の細いタケダという名の男だった。
彼はバイクに乗っていた。
相手に俺たちを上回る足があるということ。
彼らも周囲の地理を把握していること。
そしてその執念深さを、俺たちは失念していたわけだ。
俺たちの姿を認めると、タケダはすぐさま携帯を取り出して会話を始めた。
あれだけ鮮やかだった思考が、あっという間に真っ白に染まっていった。
「早く、急いでください」
悲痛な響きを伴った必死な声で日聖が叫んだ。
自分たちの不甲斐なさを悔いている時間はない。
康太がいきなりペダルを強く踏みしめた。
車体が軋んだ音を立てて、身体が乱雑に揺さぶられる。
バランスを崩して自転車は前のめりになり、身体を支える支点が貧弱だった俺と日聖は慣性のままに地面へ投げ出された。
「……やばいな」
荒く息を吐きながら康太が言った。
そんなこと言葉にされずとも分かっている。
急いで日聖に駆け寄って、「怪我はないか?」と尋ねた。
彼女は力なく、「大丈夫です」と答えた。
このまま自転車で強行突破するにも、仮に彼らが揃ってバイクを持ち出してきた日には、逃げ切れる可能性は万が一にもない。
どうすれば、この状況を打開できるか。
一つだけ咄嗟に思いついた策があった。
急いで自転車に座り直すか、その策を実行するか。
選択のための時間はほんの数秒しか残されていなかった。
引き伸ばされた時間の中で、その二択だけが延々と反芻される。
そして、俺は後者を選んだ。
お面をしっかりと被り直すと、おもむろにタケダの方に向かって駆け出す。
彼の方も俺の突然の行動に驚いたのか、数秒間動きが止まった。
数メートルの距離まで近づくと、リュックにしまった水鉄砲を取り出して、躊躇いなく引き金を引く。
水の残量はほとんど残っておらず、途切れ途切れの水流が地面を濡らした。
だが、それでいい。
牽制にさえなれば十分だった。
俺が特攻することで囮になり、彼が注意を向けてくれることだけが目的だった。
その間に康太と日聖が一人分軽くなった自転車に乗って脱出してくれれば、それで目的は達成される。
タケダの反応をまともに見ることもせず、俺は一目散に背を向けて反対方向へと逃げ出した。
在らん限りの気力を総動員して走る。
彼から口汚く発せられる罵倒や、遠くから聞こえる日聖と康太の言葉さえ、その意味が理解できないほど必死だった。
頭がおかしくなりそうなほど半狂乱に走って、来た道を引き戻した。お面で顔が覆われて息苦しい上に、汗で蒸れてひどく暑苦しい。
拷問のような環境の中で、俺は走り続けた。
脇目も振らず逃げる以外の選択肢は与えられていなかったのだ。
数十秒は稼げただろうか。
その間でなるべく遠く、ここに集まってくる彼らに見つからない場所へ避難する。
馬鹿か。そんな真似、端から無理に決まっているだろ。
最初から、日聖たちの安全と俺の安全はトレードじゃない。
そんなことは承知だった。
だからあの時、自分の言うことを聞いていれば良かったのに。
理性が嘲笑う。
冷ややかな絶望が胸に染み入り、自然と力ない笑い声が漏れる。
それでも俺は、とっくに音を上げている膝の筋肉に鞭を入れた。
思えば今日は後先考えず、らしくない真似をたくさんしでかした。
だったら最後までらしくない自分を演じて、みっともなく反抗してみせようと思った。
悠長にも、俺はその場で立ち止まった。
別に観念して、逃げるのを諦めたわけじゃない。
先ほど、日聖から返してもらった携帯をポケットから取り出す。
彼女が撮影した若干ブレ気味な遠藤たちの情けない顔を映した画像を添付して、端的なメッセージを入力して千賀燎火宛にメールを送信した。
ありがとう。
それは十五歳の彼女と、もう二度と会えない二十五歳の彼女に宛てたものだった。
所詮、こんな行為には意味がないのかもしれない。
それでも、どうか届いて欲しい。
切に祈りながら、俺は携帯をポケットにしまった。
どうやら祭りの夜は、ここからが本番らしい。
深く息を吐き、俺は見込みのない逃走を再開する。
当たり前のように気分は最悪だった。
人の意思では、世界の内実を変化させることは叶わない。
世界はいつだって、理性では割り切ることができない。
悲劇は人の予想を遥かに超えて、思い出したように突然やってくる。
いつだってその事実は変わることなく、か弱い人間たちを苛み続ける。
とにかく俺は道を引き返して、祭り会場に戻ってしまおうと考えた。
徒歩で辿り着けない距離ではない。
時間はかかるが、奴らの裏をかけるし、バイクも侵入できない。
それに人混みに紛れることができれば、俺一人だけを見つけるのは難しいだろう。
しかし、その考えが裏目に出た。
裏路地を抜けて大通りへと出たところで、ばったりとバイクに乗った長嶋たちと鉢合わせしてしまった。
おい、待て。
あいつだ、早く捕まえろ。
奴らは一瞬で俺に気づいたらしく、大きな声を上げて一目散に向かってきた。
いっそリスクを気にせずに、目立つお面を外した方が見つかりにくかったのかもしれない。
だが今さらそんなことを反省しても後の祭りだ。
向かいの道路に急いで渡ろうとした。
信号は確かに青だったはずだが、よく確認せずに渡ろうとした俺の方が不注意だったのかもしれない。
祭りの雰囲気に酔って浮かれていたのか、はたまた本当に飲酒運転でもしていたのか、気づけば派手な赤色をした大型自動車が目の前に迫っていた。
耳をつんざくようなクラクションの音が周囲に響き渡った。
長嶋たちもその様を、固まって眺めていた。
その光景は、まさにあの冬の日の再来だった。
視界に映る絶望的な風景。
それが生々しい既視感と臨場感を伴って、俺の全身に喰らいついてきた。
意識が途切れる前、果たして何を思っただろうか。
よく覚えていない。
ただなんとなく、俺には似合わないような綺麗な断末魔だったこと。
それだけは、ぼんやりと覚えている。
信号を渡ったところで、そろそろ距離も稼いだし自転車を降りようと提案しようと思っていた。
このまま無事に家まで帰れるはずだと、俺たちは信じてやまなかった。
その時、対角線上の向いの道路脇から、ふらりと人影が現れた。
正体を認めて、にわかに背筋が凍りつく。
それは長嶋の取り巻きの一人、金髪で線の細いタケダという名の男だった。
彼はバイクに乗っていた。
相手に俺たちを上回る足があるということ。
彼らも周囲の地理を把握していること。
そしてその執念深さを、俺たちは失念していたわけだ。
俺たちの姿を認めると、タケダはすぐさま携帯を取り出して会話を始めた。
あれだけ鮮やかだった思考が、あっという間に真っ白に染まっていった。
「早く、急いでください」
悲痛な響きを伴った必死な声で日聖が叫んだ。
自分たちの不甲斐なさを悔いている時間はない。
康太がいきなりペダルを強く踏みしめた。
車体が軋んだ音を立てて、身体が乱雑に揺さぶられる。
バランスを崩して自転車は前のめりになり、身体を支える支点が貧弱だった俺と日聖は慣性のままに地面へ投げ出された。
「……やばいな」
荒く息を吐きながら康太が言った。
そんなこと言葉にされずとも分かっている。
急いで日聖に駆け寄って、「怪我はないか?」と尋ねた。
彼女は力なく、「大丈夫です」と答えた。
このまま自転車で強行突破するにも、仮に彼らが揃ってバイクを持ち出してきた日には、逃げ切れる可能性は万が一にもない。
どうすれば、この状況を打開できるか。
一つだけ咄嗟に思いついた策があった。
急いで自転車に座り直すか、その策を実行するか。
選択のための時間はほんの数秒しか残されていなかった。
引き伸ばされた時間の中で、その二択だけが延々と反芻される。
そして、俺は後者を選んだ。
お面をしっかりと被り直すと、おもむろにタケダの方に向かって駆け出す。
彼の方も俺の突然の行動に驚いたのか、数秒間動きが止まった。
数メートルの距離まで近づくと、リュックにしまった水鉄砲を取り出して、躊躇いなく引き金を引く。
水の残量はほとんど残っておらず、途切れ途切れの水流が地面を濡らした。
だが、それでいい。
牽制にさえなれば十分だった。
俺が特攻することで囮になり、彼が注意を向けてくれることだけが目的だった。
その間に康太と日聖が一人分軽くなった自転車に乗って脱出してくれれば、それで目的は達成される。
タケダの反応をまともに見ることもせず、俺は一目散に背を向けて反対方向へと逃げ出した。
在らん限りの気力を総動員して走る。
彼から口汚く発せられる罵倒や、遠くから聞こえる日聖と康太の言葉さえ、その意味が理解できないほど必死だった。
頭がおかしくなりそうなほど半狂乱に走って、来た道を引き戻した。お面で顔が覆われて息苦しい上に、汗で蒸れてひどく暑苦しい。
拷問のような環境の中で、俺は走り続けた。
脇目も振らず逃げる以外の選択肢は与えられていなかったのだ。
数十秒は稼げただろうか。
その間でなるべく遠く、ここに集まってくる彼らに見つからない場所へ避難する。
馬鹿か。そんな真似、端から無理に決まっているだろ。
最初から、日聖たちの安全と俺の安全はトレードじゃない。
そんなことは承知だった。
だからあの時、自分の言うことを聞いていれば良かったのに。
理性が嘲笑う。
冷ややかな絶望が胸に染み入り、自然と力ない笑い声が漏れる。
それでも俺は、とっくに音を上げている膝の筋肉に鞭を入れた。
思えば今日は後先考えず、らしくない真似をたくさんしでかした。
だったら最後までらしくない自分を演じて、みっともなく反抗してみせようと思った。
悠長にも、俺はその場で立ち止まった。
別に観念して、逃げるのを諦めたわけじゃない。
先ほど、日聖から返してもらった携帯をポケットから取り出す。
彼女が撮影した若干ブレ気味な遠藤たちの情けない顔を映した画像を添付して、端的なメッセージを入力して千賀燎火宛にメールを送信した。
ありがとう。
それは十五歳の彼女と、もう二度と会えない二十五歳の彼女に宛てたものだった。
所詮、こんな行為には意味がないのかもしれない。
それでも、どうか届いて欲しい。
切に祈りながら、俺は携帯をポケットにしまった。
どうやら祭りの夜は、ここからが本番らしい。
深く息を吐き、俺は見込みのない逃走を再開する。
当たり前のように気分は最悪だった。
人の意思では、世界の内実を変化させることは叶わない。
世界はいつだって、理性では割り切ることができない。
悲劇は人の予想を遥かに超えて、思い出したように突然やってくる。
いつだってその事実は変わることなく、か弱い人間たちを苛み続ける。
とにかく俺は道を引き返して、祭り会場に戻ってしまおうと考えた。
徒歩で辿り着けない距離ではない。
時間はかかるが、奴らの裏をかけるし、バイクも侵入できない。
それに人混みに紛れることができれば、俺一人だけを見つけるのは難しいだろう。
しかし、その考えが裏目に出た。
裏路地を抜けて大通りへと出たところで、ばったりとバイクに乗った長嶋たちと鉢合わせしてしまった。
おい、待て。
あいつだ、早く捕まえろ。
奴らは一瞬で俺に気づいたらしく、大きな声を上げて一目散に向かってきた。
いっそリスクを気にせずに、目立つお面を外した方が見つかりにくかったのかもしれない。
だが今さらそんなことを反省しても後の祭りだ。
向かいの道路に急いで渡ろうとした。
信号は確かに青だったはずだが、よく確認せずに渡ろうとした俺の方が不注意だったのかもしれない。
祭りの雰囲気に酔って浮かれていたのか、はたまた本当に飲酒運転でもしていたのか、気づけば派手な赤色をした大型自動車が目の前に迫っていた。
耳をつんざくようなクラクションの音が周囲に響き渡った。
長嶋たちもその様を、固まって眺めていた。
その光景は、まさにあの冬の日の再来だった。
視界に映る絶望的な風景。
それが生々しい既視感と臨場感を伴って、俺の全身に喰らいついてきた。
意識が途切れる前、果たして何を思っただろうか。
よく覚えていない。
ただなんとなく、俺には似合わないような綺麗な断末魔だったこと。
それだけは、ぼんやりと覚えている。
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