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秋の断章 -Tragedy-

秋の断章⑤-2

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 気づけば、学校の近くにあるいつもの河川敷へと足が伸びていた。



 色々考えたが、誰にも迷惑をかけず、かつ不幸な事故による自然死と見せかけるにはここが一番だと結論づけた。



 ここ数週間に渡って、俺は夜中に家を抜け出して町を徘徊していた実績がある。



 今夜もそうやって徘徊していたところ、うっかり足を滑らせて川へと転落した。



 灯りのない状態で水中から抜け出せず、不幸にも水死してしまった。



 それが現状、一番自然に演出できる死に方だろう。



 部屋の置いてきた日記帳に、受験や家庭環境の要因でストレスが溜まっているという、これ見よがしな記述を残してきた。



 夏休みから、苦労して準備していたものだ。



 それを見ればきっと、ほとんどの人間は不幸な事故だったと納得してくれるはずだ。



 日聖のような聡い人間だったら怪しむかもしれないが、それもきっと最初の内だけだろう。



 千賀燎火がいなくなる未来を恐れて自殺した。



 そんな解釈をする者はいない。



 仮にいたとしても、死人に口は利けないのだから同じことだ。





 その河川敷は以前、夏に康太と訪れた。



 日聖と三人で一緒に、神さまへの反抗を誓った場所だ。



 自然に包まれて近くに光源がないため、そこを流れる川は大分暗くて視認が難しい。



 月の光と水のせせらぎによって、辛うじて河身を認識できた。



 ゆっくりと足を水に浸けていく。途端に肌が縮み上がる。



 極寒というほどではないが、一気に全身の力が抜けてしまった。



 俺は筋肉を引き締めて、川の深いところへ足を進めていった。



 川の最深部は一メートルほど深さになっている。



 上半身が水に浸かり、纏っていた服が張りついてその感触が気持ち悪い。



 ぐっと息を呑んで、ゆっくりと身体を倒す。



 仰向けの姿勢で、徐々に水の中へと沈み込んでいく。



 こういう時に睡眠薬でもあれば、きっと楽に死ねるのだろう。



 しかし、身体に反応が残るし、何より中学生が簡単に手に入れられる代物ではない。



 ついに顔まで水につける。



 水面越しに月が揺らめきながら煌めいて、泣きそうなほどに綺麗だった。



 十秒で、次第に息が苦しくなってくる。



 これからやってくる苦痛を考えると恐怖で頭が一杯になり、水中だというのに全身から冷や汗が止めどなく垂れてくるのが分かった。 



 そもそも俺は一度、トラックに跳ねられて死んでいる。



 それどころかあの夏祭りの日、俺は本来なら交通事故で二度も命を落としていたはずなのだ。



 そう考えると、自分の悪運の強さに笑えてしまう。



 死ぬのには慣れているはずだ。



 うだつの上がらないフリーター風情がなんの因果か、この世界で中学生をやり直すことになり、曲がりなりにも一抹の幸福を掴むことができた。



 恋した女の子と共に生き、彼女のために死ぬことができた。



 それ以上、何を望めばいいのだろうか?



 俺の人生は本当に、素晴らしいものだった。



 誰にも本心を伝えることはできなかったが、一人そう納得してこの世界から消えることができる。



 それだけで十分なはずだ。



 すでに呼吸は限界に達していて、苦しくて苦しくて堪らない。



 実際には一分も経っていなかったのだろうが、時間は溶けた飴のように引き伸ばされて、体感では一秒一秒が一時間ほどの長さに感じられた。



 俺は湧き上がる祈りと耐えきれない苦悶の中で、煌々と光を放つ月を掴もうとした。



 人の手では届かないことを分かっていながら、それでもなおそれを掴もうと必死に手を伸ばした。



 そのうちに、本当に意識が朦朧としてきて、ゆっくりと目を閉じた。


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