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決意の徒 第一章・疑念(7)
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祢玖樽に戻った三浦に、氷室が茜と瑠津は場所を変えることになったと告げた。
話の腰を折られたことで瑠津が言い出した。
それならばと、茜は自宅マンションに誘った。
茜は都島の高層マンションに住んでいる。三十二階建ての二十八階で、広さは百二十平方メートル、間取りは五LDKである。
室内を見渡した瑠津が、
「さすがに北新地の最高級クラブのママだけのことはあるわね」
と感嘆した。その声に皮肉の色などなかった。
「瑠津さんだってその気になれば、いつでもこれ以上のお家にお住みになれるでしょう」
茜はコーヒーをテーブルの上に置いた。
彼女は、藤波芳隆から目加戸瑠津が観世流茶道の家元を継ぐ身であると聞いていた。
瑠津はそれには答えず、
「そうだわ。うっかりしていたけど、私が長居してはお邪魔じゃないの」
と遠慮深げに訊いた。森岡が訪ねて来るのでは、との懸念である。
「心配いりませんわ」
茜が何とも言えない表になる。
「洋介さんは、今夜と明晩は北海道泊まりです」
「あら、また遠いところへ……、ということは、もしかしてまた野暮用なのかしら」
「彼にとってはウイニットの方が片手間のようで」
嫌味口調の瑠津に、茜も軽い皮肉で返した。
「なんでも、せっかくの北海道なので、皆も呼んで慰労しているみたいですよ」
「向こうも羽目を外しているというわけね」
はい、と頷いた茜が目を輝かせた。
「どうです。瑠津さんさえ宜しければ、私たちも飲み明かしませんか」
「迷惑じゃないの」
「明日は土曜日ですから、私はお休みなので何も問題はありません」
ロンド自体は開店しているが、差配は全てちいママが仕切り、収支もまた彼女の責任となった。土曜の営業は、いずれ独立するちいママの学習の場でもあったのである。
「じゃあ、二人で彼の悪口でも言い合いましょうか」
「向こうでくしゃみをするほどに」
茜の無邪気な誘いに、瑠津が屈託のない笑顔を返すほど二人はすっかり打ち溶けていた。
森岡の悪口を言って共鳴しあったり、今後は姉妹の付き合いをしようと誓い合うまでに親しくなっていった。
そうした中、茜がキッチンから新しい氷を入れたボールを手に戻ってきたときだった。
突如、瑠津が意を決したように茜を見た。
「森岡君が精神の病に罹っていたことは知っているわね」
はい、と茜も神妙に答えた。
「原因も」
「本人から聞きました」
「どのように」
茜は、瑠津の意味深い声の響きに戸惑いながら、
「お母様の失踪に、お祖父様、お父様の死が重なったことが原因だということでした」
黙って肯いた瑠津だったが、その眼はまだ他にあると訴えていた。
茜も覚悟を決めたように口を開いた。
「八歳のとき、釣りに出掛けた磯で、海の落ちて溺れている幼馴染を見殺しにしたことも彼を苦しめていたようです」
だが、瑠津は意外な言葉で応じた。
「それだけ」
「えっ、他に何かあるのですか」
茜は驚きの声で訊いた。
瑠津は茜の反応に、一瞬戸惑う仕種をした。
「何かあるのでしたら教えて下さい」
「実は、森岡君の心を蝕んだ本当の原因は他に有ったの」
「……」
茜は息を呑んで次の言葉を待った。
話の腰を折られたことで瑠津が言い出した。
それならばと、茜は自宅マンションに誘った。
茜は都島の高層マンションに住んでいる。三十二階建ての二十八階で、広さは百二十平方メートル、間取りは五LDKである。
室内を見渡した瑠津が、
「さすがに北新地の最高級クラブのママだけのことはあるわね」
と感嘆した。その声に皮肉の色などなかった。
「瑠津さんだってその気になれば、いつでもこれ以上のお家にお住みになれるでしょう」
茜はコーヒーをテーブルの上に置いた。
彼女は、藤波芳隆から目加戸瑠津が観世流茶道の家元を継ぐ身であると聞いていた。
瑠津はそれには答えず、
「そうだわ。うっかりしていたけど、私が長居してはお邪魔じゃないの」
と遠慮深げに訊いた。森岡が訪ねて来るのでは、との懸念である。
「心配いりませんわ」
茜が何とも言えない表になる。
「洋介さんは、今夜と明晩は北海道泊まりです」
「あら、また遠いところへ……、ということは、もしかしてまた野暮用なのかしら」
「彼にとってはウイニットの方が片手間のようで」
嫌味口調の瑠津に、茜も軽い皮肉で返した。
「なんでも、せっかくの北海道なので、皆も呼んで慰労しているみたいですよ」
「向こうも羽目を外しているというわけね」
はい、と頷いた茜が目を輝かせた。
「どうです。瑠津さんさえ宜しければ、私たちも飲み明かしませんか」
「迷惑じゃないの」
「明日は土曜日ですから、私はお休みなので何も問題はありません」
ロンド自体は開店しているが、差配は全てちいママが仕切り、収支もまた彼女の責任となった。土曜の営業は、いずれ独立するちいママの学習の場でもあったのである。
「じゃあ、二人で彼の悪口でも言い合いましょうか」
「向こうでくしゃみをするほどに」
茜の無邪気な誘いに、瑠津が屈託のない笑顔を返すほど二人はすっかり打ち溶けていた。
森岡の悪口を言って共鳴しあったり、今後は姉妹の付き合いをしようと誓い合うまでに親しくなっていった。
そうした中、茜がキッチンから新しい氷を入れたボールを手に戻ってきたときだった。
突如、瑠津が意を決したように茜を見た。
「森岡君が精神の病に罹っていたことは知っているわね」
はい、と茜も神妙に答えた。
「原因も」
「本人から聞きました」
「どのように」
茜は、瑠津の意味深い声の響きに戸惑いながら、
「お母様の失踪に、お祖父様、お父様の死が重なったことが原因だということでした」
黙って肯いた瑠津だったが、その眼はまだ他にあると訴えていた。
茜も覚悟を決めたように口を開いた。
「八歳のとき、釣りに出掛けた磯で、海の落ちて溺れている幼馴染を見殺しにしたことも彼を苦しめていたようです」
だが、瑠津は意外な言葉で応じた。
「それだけ」
「えっ、他に何かあるのですか」
茜は驚きの声で訊いた。
瑠津は茜の反応に、一瞬戸惑う仕種をした。
「何かあるのでしたら教えて下さい」
「実は、森岡君の心を蝕んだ本当の原因は他に有ったの」
「……」
茜は息を呑んで次の言葉を待った。
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