黒い聖域

久遠

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決意の徒 第五章・飛翔(3)

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 瑞真寺の応接室を出た森岡は、庫裡で待つ景山と蒲生そして足立と合流し、さらに彼ら瑞真寺の山門を出たとこで、神栄会若頭補佐の九頭目弘毅他三名の極道者が付き従った。といっても、九頭目らは世間を憚り別の一行のように離れて護衛をしている。
 森岡から栄覚門主との会話の一部始終を聞いた景山は驚きを隠さなかった。
「良く門主が応じましたね」 
「私も意外でした」
 森岡も正直な感想を述べた。
「本当に動くと思われますか」
 栄覚は神村選出を確約してはいない。最大限努力すると言っただけである。景山は額面どおりに受け止めるのは危険だと示唆した。
「結果がどうであれ、私は水晶の件は不問に付すつもりです」
「門主を信じる理由は何ですか」
「彼が大いなる野望を抱いているからです」
 なっ……、景山は何を言っているのだ、という眼つきをした。
 栄覚門主は、まさにその野望の障害となる神村正遠を蹴落とすために画策しているのである。
 不審顔の景山に向かって森岡が諭すように言った。
「景山さん。私はね、もし門主が言葉だけで済ますような人間であれば、むしろ安心できると思っているのです」
「して、その心は」
「門主は、法主の座を血脈家の世襲にしようなどという、歴史のタブーに挑戦するような革命児ですよ。そんな男が私程度の人間との約束を反故するようでは、大それた野望が成し遂げられるはずがありません」
 森岡洋介の哲学は首尾一貫している。
 人の上に立つような、あるいは大いなる野心を抱く者は、必ずやその思想には一本芯が通ってはずである。したがって、一旦約束したことは必ず守るという極めて単純なものであった。 
「むしろ、疑心暗鬼なのは向こうでしょう。神村先生の選出に協力したものの、いざというとき伐採権を盾に妨害する可能性があるわけですから」
「なるほど、言われてみればそうですね。ということは、門主も貴方を信じたということですね」
 いや、と森岡は渋い顔をした。
 景山にとっては予想外の反応だった。
「門主は貴方を信じていないのに取引に応じたのですか」
「いえね。一応信じたとは思いますが、それ以外に何か切り札を握っているような気がするのです」
「どのような」
「そこまではわかりません」
 森岡は首を横に振った。
「ただ、神村先生が本妙寺の貫主になっても、いっこうに困らないような別の材料を手中にしている。門主にはそのような余裕さえ感じました」
 ふむ、と景山は考え込んでしまった。
「まあ、私の考え過ぎかもしれません。まずは、明日の合議の成り行きを見守りましょう」
 高尾山から総本山の本堂前に戻ったところで、森岡は景山と別れた。

 方や瑞真寺でも、執事長の葛城信之が景山と同様の懸念を栄覚に漏らしていた。
「森岡の言うことをお信じになるのですか」
 栄覚は黙ったままだった。
「調子の良いこと言って、いざとなったら約束を反故にするのではありませんか」
 葛城は珍しくも語気を荒げた。
「まあ、聞きなさい。執事長の言うとおり、わしもそのような疑念は抱いた。だが話が進むにつれて、とてものことそのような姑息な男ではないことがわかった」
「さようですか」
 葛城は不満げに言った。
「ただ者ではないとは思っていたが、どうやらそれだけではないようだ」
「とおっしゃいますと」
「神村をはじめ久田や総務清堂、はたまたあの松尾正之助まで肩入れしているのはなぜかわかったような気がする」
 「御門主、森岡は敵ですぞ。そのようにお褒めになってどうするのですか」
 葛城が咎めるように言った。
「そのことだ。あの男、敵に回すと厄介だが、味方にすればこれほど心強い者もいない」
「な、何をおっしゃいますか」
「森岡一人が居れば、勅使河原も虎鉄組も村田や一色、坂東も必要が無い」
「そうまでおっしゃいますか」
「考えても見よ、執事長。彼はオセロゲームのように、次々と敵を寝返らせたではないか」
「……」
 葛城は反論できなかった。なるほど、総務清堂と景山律堂、宗光賢治と鬼庭徹朗も当初は敵対する側にいた人物だった。
「是非とも欲しいのう」
「しかし、あの男は神村一筋、それを味方に付けるのは……」
 無理だと、葛城は言った。
「それはそうだが、神村がいなくなれば、その限りではあるまい」
「神村を害するのですか」
「馬鹿なことを。そのような愚かなことをするはずがないではないか」
 栄覚は語気を荒げた。
「失言でした」
 葛城は肩を窄め、
「では、いったい」
 と、栄覚の顔色を窺った。
「まあ、良い。それはしばらく置いておこう」
 と言った栄覚が首を傾げた。
「それよりあの男、誰かに面影が似ておる」
「初対面の折りにもそのようにおっしゃっておられましたな」
「何やら、懐かしい気分も湧いていた」
「懐かしい……? となりますと、御門主が子供の頃の記憶でしょうか」
「子供の頃だと」
 栄覚の脳が敏感に反応した。
「ああー、叔母様だ」
 と思わず叫んだ。
「叔母様と申されますと、あの?」
「その叔母、栄観(えいかん)尼様の面影が重なったのだ」
 栄覚は畏怖するように呟いた。
 栄観尼とは、瑞真寺の前門主栄興の末妹で、天真宗が建立した尼寺である真龍寺(しんりゅうじ)の門主をしている尼僧である。
「私は栄観尼様にお会いしたことはございませんが、はたしてそのようなことがありましょうか」
 暗に、気のせいではないかと言った。
「それはそうであろう。叔母様は子供を生むどころか、御結婚されたこともない」
 と言った栄覚の顔はどこか虚ろ気だった。 

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