黒い聖域

久遠

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決意の徒 第八章・晋山(2)

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 晋山式が終わると祝宴となった。
 客殿の大広間と続き間の全ての襖を外しても二百畳にしかならなかったため、ご本尊の前に白幕を張り、本堂も会場の一つにした。両方に適度の間隔で丸テーブルと椅子を置き、老人や身体の不自由な者は椅子に腰掛け、他の者は立食形式とした。
 こうして、晋山式後も残った百七十余名が二ヶ所に分散し、廊下を渡って行き来をし、酒を酌み交わしながら歓談した。
 料理は森岡の計らいで、帝都ホテル大阪に依頼し、出張を願ったものである。寿司、天ぷら、鉄板焼き、中華料理、フランス料理、スイーツを始めとするデザート類と、ビール、ウイスキー、ブランデー、日本酒、焼酎、カクテルのアルコール類が用意された。
 本妙寺には、敷地を囲う塀伝いに百本近い桜木が植えてあり、陽春の盛り、さながら満開の桜を愛でる花見の宴ともなった。
 その中でも、ひときわ異彩を放った場所があった。
 本堂と渡り廊下で繋がっている貫主室の隣室で抹茶が振舞われていたのである。元は書斎と応接間だったものを、山際前貫主が改装して茶室と控えの間にしたものだった。
 お茶を点てているのは、誰あろう山尾茜だった。彼女は、表千家の高弟である。
 このお茶室には、馴染みの人々が集っていた。松尾正之助、榊原荘太郎、福地正勝、そして真鍋清志、高志の父子だった。松尾と榊原、そして福地の三人は見知った仲だったが、真鍋父子は初対面であった。言うまでもなく、神村が縁を紡ぎ、森岡に引き継がれた面々である。
 政財界の大立者である松尾正之助との同席で、真鍋父子には張り詰めた緊張感が漂い、それがまた榊原と福地にも反映していた。
 その空気を切り裂いたのが森岡だった。
「お呼びでしょうか」
 森岡は廊下に座し、声を掛けた。
「わしが坂根君に頼んで呼んだんや。洋介、早う中に入りや、お前がおらんと堅苦しくてかなわん」
 榊原が砕けた物言いをした。
 失礼します、と言って森岡は障子を開けた。
「これはまた、皆様お揃いで何の集まりですか」
「何の集まりやないがな、洋介君。松尾会長が茜さんの点てる茶を所望されたので、私と榊原さんが同行すると、こちらのお二人がいらっしゃったのだよ」
 福地がそう言うと、
「森岡君に、茜さんはお茶室だと聞いたたものだから、やって来ていたところ、後から皆様がおいでになり、緊張していたところです」
 と、真鍋清志が冗談でもない顔つきで言った。
「では、私が御紹介すれば宜しいのでしょうか」
「そうしてくれるか」
 榊原が催促した。
「それではあらめまして……、まずこちらのお二人が、造霊園やホテル、ゴルフ場などの事業を展開されておられる真鍋グループの真鍋清志社長とご子息の高志さんです。真鍋社長は、三十年近くも昔、神村先生が初めて総本山を下りられたとき、師である滝の坊の中原是遠上人から紹介されたお方です」
 森岡は真鍋父子を紹介した後、
「さて、こちらの方々ですが、奥の方はご説明の必要もないでしょう、松尾電器グループの松尾正之助会長です。真ん中の方が、お札や護摩木、お札、数珠など寺院関係の商品を扱っておられる榊原商店の榊原社長。そして、手前の方が調味料で有名な味一番の福地社長です。福地さんは亡き先妻の父、つまり私の岳父だったお方です」
 と、真鍋父子に紹介した。
 それを機に、お互いが挨拶を交わし合い、ようやく場が和んだ。
「しかし、聞きしに勝る美形ですな」
 茜を見て真鍋清志が唸ると、
「そりゃあ、そうじゃろ。わしの孫娘だからね」
 松尾正之助が自慢げに言った。
「会長の御孫さん?」
 何も知らない真鍋清志は、絶句してしまった。
「また、会長もお人の悪い。真鍋さん、実の孫ではなく孫娘のように可愛がっておられるという意味ですよ」
 と、榊原が解説した。
「そういうことですか。いやあ、驚きました」
 真鍋清志は照れ笑いをした。
「ところで、媒酌人の件、会長はお受けになったそうですね」
 榊原が訊いた。
「わしも八十歳を超えてから仲人を務めることになるとは思いも寄らんかったわい。うちの婆(ばばあ)も、この世での最後の御奉公などと、張り切っておるわ」
「しかし、奈津実のときのように神村上人にお願いしたのではないのかね」
「松尾会長には申し訳ないのですが、最初にお願いしたのは先生でした。ところが先生は、奈津実とのときは大学を卒業した直後でもあり、これといった適任者も見当たらないようなので媒酌人も務めたが、今は経済人だから、今後のことを考えても確かな方にお願いした方が良いと辞退されたのです。その際、松尾会長を推されましたので、無理を承知でお願いに上がったところ、快くお引き受け頂いたという次第です」
 福地の疑念に、森岡が事細かく経緯を説明した。
「なるほど。しかし、神村上人一途の君が一度ぐらい断られたからといって、よくあっさりと引き下がったものだね」
 福地が怪訝そうに言った。
「先生には、前回と同様に式導師をお願いしました。仲人には松尾会長御夫妻、主賓に榊原さんと福地さん、友人代表に高志さんをと考えております」
 と、高志に視線を送った。
 大物経済人を前にして、緊張の極致にいた高志は、ぎこちない笑顔で応じるのが精一杯だった。
 森岡は神妙な顔つきで弁明したが、福地の指摘は的を射ていた。森岡は、ある理由から此度の仲人にどうしても神村を、とは望んでいなかったのである。
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