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決意の徒 第九章・幽明(10)
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洋一の相手探しは難航した。
養子縁組ではないので、親族からというわけにはいかない。といって氏素性のわからないのも不都合である。身分が明らかで、しかも後腐れのないようにしなければならない。後々になって、実母だなどと名乗りを挙げられても困るのだ。
そこでウメは最上稲荷に祈祷がてら奥の院の住職に相談した。
岡山県岡山市にある最上稲荷は京都の伏見、愛知の豊川と並んで日本三大稲荷の一つと言われている。稲荷というからには神道なのだが、最上稲荷は日蓮宗に帰属しており、正式名称は最上稲荷山妙教寺(みょうきょうじ)といった。これは明治の初期に起こった廃仏毀釈から逃れるため、神道の形式を採ったためで、そのお蔭で最上稲荷は破壊を免れたという歴史を持つ。
ウメが奥の院の住職と面識があったのは、姑だったトラの縁によるものである。
ウメの姑であるから洋吾郎の母ということになるが、実はトラは母ではなく叔母、つまり洋吾郎の母の妹であった。洋吾郎の父は婿養子である。
トラは中国山地の山間にある「新見(にいみ)」という街の庄屋に嫁いだが、僅か二年余りで夫が急逝したため家を追い出された。亡夫の弟夫婦が後を継いだためである。トラの父は娘を浜浦に戻し、再婚相手を探す心積もりだったが、元来進取の精神の持ち主だったトラはこれを機に、岡山県の総社市に移り、乾物を扱う商いを始めた。
トラはまた信心深い人間であったらしく、暇さえがあれば近所の最上稲荷へ商売繁盛の祈願をしていたという。その甲斐があったのか、商売は至極順調でかなりの資産を手にした。
ところが、灘屋に思わぬ事態が起る。
出産後の肥立ちが悪く洋吾郎の母が急逝してしまったのである。洋吾郎の祖父は若い婿、つまり洋吾郎の父が幼子に縛られるのを不憫に思い、金を渡して自由にした。
いや正直に言えば、その後の相続問題の懸念を払拭する狙いがあった。
洋吾郎の父に後妻を迎えるという選択肢もあったが、その後妻が親族ならまだしも、全くの他人を娶り、そして男子が生まれたとする。それはつまり、灘屋の血を引いていない子の誕生ということである。
洋吾郎の祖父は、自身が身罷った後のことを考えてみた。
後妻が、灘屋の後継に自身が生んだ子を、と願うのは必然ではないか。そして、同じく婿に入った洋吾郎の父が、自分の血を受け継ぐ者同士であれば、灘屋への義理より夫婦の情を優先しても不思議ではないと考えたのである。
洋吾郎は婿を灘屋から出すことによって、将来起こり得る身代相続の禍根を断ったのである。
洋吾郎の祖母はすでに亡くなっており、男手一つという意味では祖父も同様で、しかも六十五歳という当時にしては高齢である。
そこで、トラがひと肌脱いで灘屋に戻り、洋吾郎の養育に当たったという経緯であった。
そのとき、トラは店を譲って得た資産の半分を最上稲荷の奥の院に寄進した。ちなみに灘屋を出た洋吾郎の実父は、受け取った資金を元手に境港で荷揚げの事業を始めた。これが足立興業の成り立ちである。
その後、洋吾郎がウメと結婚すると、毎年春と秋の大法会に、トラは彼女を連れて最上稲荷に参詣し、奥の院に逗留した。その際、多額の寄付をしたことは言うまでもない。
奥の院は代替わりしていたが、むろん当代の住職もトラとウメの献身は知っていた。したがって力になろうとは思ったものの、見ず知らずの男の子を産み、母子の名乗りも上げられない条件を飲む女性などいるはずもない。
ところがである。その奇特な女性がいたのだという。それも二十歳になったばかりの絶世の美女だというではないか。
折しも、さる名門寺院の御令嬢が奥の院へ逗留していた。
彼女は尼僧になるための準備として、まずは最上稲荷の奥の院で住職の身の回りの世話をしながら心構えを学んでいる最中であった。
その女性が事情を知って自ら手を上げたというのである。
住職は仰天した。
それはそうであろう。由緒ある名門寺院の生まれで、おそらく無垢の身体だと思われた。何を好き好んで曰くのある子を産む謂れがあろうか。
だが、彼女は平然とこう言い放った。
『尼僧になるからには、人々を、特にか弱い女性を苦しみや悩みから救わねばなりません。そうであるならば、男も知らなければ失恋の経験もない。結婚もしていなければ子供も産んでいないという、人間として女性としていかにも未熟、半端な者がどうして役に立ちましょう。私は、その方の子を産み、手放すことによって、女として母としての辛酸を舐めたいと思います』
住職は彼女の覚悟のほどを両親に報告したが、尋常ならざる娘のこと、何か窺い知れない深い思惑があってのことでしょう。しかも子供の頃より一旦言い出したら後へは引かない強情者であるから好きなようにさせたい、という返事が返ってきた。
女性は一つだけ条件を申し出た。洋一を気に入ること、というのは当然だったが、彼女は洋一にも拒否する権利を与えて欲しいと申し出たのである。
而して、この奇妙な企ては成立した。
女性と洋一は、共にお互いを気に入ったのである。いや厳密に言えば、洋一の方はまるで催眠術を掛けられたかのように、彼女に従順であるしかなかったという。
二人が奥の院の一室で同棲生活を始めて二十日が経った頃、突如女性は貴方の子を懐妊しましたと告げて、跡形もなく姿を消した。
周囲は何が何だか理解に苦しんだが、ともかく彼女の言を信じて、七ヶ月後小夜子が奥の院に入ることになった。世間へは、奥の院の功徳で懐妊した小夜子が、仏の御加護によって恙なく灘屋の後継を産むためだと説明した。
それから三ヶ月が経った頃、小夜子が男の赤子を抱いて灘屋に戻って来たのである。
養子縁組ではないので、親族からというわけにはいかない。といって氏素性のわからないのも不都合である。身分が明らかで、しかも後腐れのないようにしなければならない。後々になって、実母だなどと名乗りを挙げられても困るのだ。
そこでウメは最上稲荷に祈祷がてら奥の院の住職に相談した。
岡山県岡山市にある最上稲荷は京都の伏見、愛知の豊川と並んで日本三大稲荷の一つと言われている。稲荷というからには神道なのだが、最上稲荷は日蓮宗に帰属しており、正式名称は最上稲荷山妙教寺(みょうきょうじ)といった。これは明治の初期に起こった廃仏毀釈から逃れるため、神道の形式を採ったためで、そのお蔭で最上稲荷は破壊を免れたという歴史を持つ。
ウメが奥の院の住職と面識があったのは、姑だったトラの縁によるものである。
ウメの姑であるから洋吾郎の母ということになるが、実はトラは母ではなく叔母、つまり洋吾郎の母の妹であった。洋吾郎の父は婿養子である。
トラは中国山地の山間にある「新見(にいみ)」という街の庄屋に嫁いだが、僅か二年余りで夫が急逝したため家を追い出された。亡夫の弟夫婦が後を継いだためである。トラの父は娘を浜浦に戻し、再婚相手を探す心積もりだったが、元来進取の精神の持ち主だったトラはこれを機に、岡山県の総社市に移り、乾物を扱う商いを始めた。
トラはまた信心深い人間であったらしく、暇さえがあれば近所の最上稲荷へ商売繁盛の祈願をしていたという。その甲斐があったのか、商売は至極順調でかなりの資産を手にした。
ところが、灘屋に思わぬ事態が起る。
出産後の肥立ちが悪く洋吾郎の母が急逝してしまったのである。洋吾郎の祖父は若い婿、つまり洋吾郎の父が幼子に縛られるのを不憫に思い、金を渡して自由にした。
いや正直に言えば、その後の相続問題の懸念を払拭する狙いがあった。
洋吾郎の父に後妻を迎えるという選択肢もあったが、その後妻が親族ならまだしも、全くの他人を娶り、そして男子が生まれたとする。それはつまり、灘屋の血を引いていない子の誕生ということである。
洋吾郎の祖父は、自身が身罷った後のことを考えてみた。
後妻が、灘屋の後継に自身が生んだ子を、と願うのは必然ではないか。そして、同じく婿に入った洋吾郎の父が、自分の血を受け継ぐ者同士であれば、灘屋への義理より夫婦の情を優先しても不思議ではないと考えたのである。
洋吾郎は婿を灘屋から出すことによって、将来起こり得る身代相続の禍根を断ったのである。
洋吾郎の祖母はすでに亡くなっており、男手一つという意味では祖父も同様で、しかも六十五歳という当時にしては高齢である。
そこで、トラがひと肌脱いで灘屋に戻り、洋吾郎の養育に当たったという経緯であった。
そのとき、トラは店を譲って得た資産の半分を最上稲荷の奥の院に寄進した。ちなみに灘屋を出た洋吾郎の実父は、受け取った資金を元手に境港で荷揚げの事業を始めた。これが足立興業の成り立ちである。
その後、洋吾郎がウメと結婚すると、毎年春と秋の大法会に、トラは彼女を連れて最上稲荷に参詣し、奥の院に逗留した。その際、多額の寄付をしたことは言うまでもない。
奥の院は代替わりしていたが、むろん当代の住職もトラとウメの献身は知っていた。したがって力になろうとは思ったものの、見ず知らずの男の子を産み、母子の名乗りも上げられない条件を飲む女性などいるはずもない。
ところがである。その奇特な女性がいたのだという。それも二十歳になったばかりの絶世の美女だというではないか。
折しも、さる名門寺院の御令嬢が奥の院へ逗留していた。
彼女は尼僧になるための準備として、まずは最上稲荷の奥の院で住職の身の回りの世話をしながら心構えを学んでいる最中であった。
その女性が事情を知って自ら手を上げたというのである。
住職は仰天した。
それはそうであろう。由緒ある名門寺院の生まれで、おそらく無垢の身体だと思われた。何を好き好んで曰くのある子を産む謂れがあろうか。
だが、彼女は平然とこう言い放った。
『尼僧になるからには、人々を、特にか弱い女性を苦しみや悩みから救わねばなりません。そうであるならば、男も知らなければ失恋の経験もない。結婚もしていなければ子供も産んでいないという、人間として女性としていかにも未熟、半端な者がどうして役に立ちましょう。私は、その方の子を産み、手放すことによって、女として母としての辛酸を舐めたいと思います』
住職は彼女の覚悟のほどを両親に報告したが、尋常ならざる娘のこと、何か窺い知れない深い思惑があってのことでしょう。しかも子供の頃より一旦言い出したら後へは引かない強情者であるから好きなようにさせたい、という返事が返ってきた。
女性は一つだけ条件を申し出た。洋一を気に入ること、というのは当然だったが、彼女は洋一にも拒否する権利を与えて欲しいと申し出たのである。
而して、この奇妙な企ては成立した。
女性と洋一は、共にお互いを気に入ったのである。いや厳密に言えば、洋一の方はまるで催眠術を掛けられたかのように、彼女に従順であるしかなかったという。
二人が奥の院の一室で同棲生活を始めて二十日が経った頃、突如女性は貴方の子を懐妊しましたと告げて、跡形もなく姿を消した。
周囲は何が何だか理解に苦しんだが、ともかく彼女の言を信じて、七ヶ月後小夜子が奥の院に入ることになった。世間へは、奥の院の功徳で懐妊した小夜子が、仏の御加護によって恙なく灘屋の後継を産むためだと説明した。
それから三ヶ月が経った頃、小夜子が男の赤子を抱いて灘屋に戻って来たのである。
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