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黒幕の影 第六章・醜聞(8)
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東京青山にあるギャルソン本社の会長室では、柿沢康弘が歯軋りしながら、森岡への反撃策を練っていた。
柿沢は、吉永幹子と筧克至が理由も告げずに寺院ネットワーク事業から撤退したのは、森岡の策略によるものだと推察していた。世間知らずの、我儘放題で育った彼は、その分歪なプライドを纏っていた。
その彼にしてみれば、二十歳も年下の若造に、良いようにあしらわれるのは、己の沽券に関わるのである。
世の中で、柿沢のような手合いほど始末に負えないものはない。自身の能力を横に置き、プライドだけが異常に高く、見え透いた追従には舞い上がり、親身な忠告には嫌悪を抱く輩である。
森岡を恐れた筧は、一身上の都合とだけ言い残して姿を消していた。つまり、森岡の背後には巨大な闇社会が控えていることを柿沢は知らなかった。それが、彼を無謀な行動に走らせようとしていたのである。
その夜、柿沢は銀座のクラブに二人の男を呼び出し、ある依頼をしていた。一人の男は、二十年もの昔、柿沢が放蕩無頼に生きていた頃からの遊び仲間であり、現在でも腐れ縁で繋がっている男であった。
極道者ではないが、堅気というのでもない。言わば社会の表と裏の間で生きる男たちで、たとえばクラブやホステスから依頼を受けての、ツケの取立てや、借金の返済交渉などを代行する。
極道者ではないので、暴力団対策法の網の目からは逃れ、そうかといってそれなりに強面であるから、使う側は重宝するのである。この場合の手数料は、三割から場合によって折半と、かなりの高額であり、金回りは意外と良かった。
柿沢はこの種の手合いを従え、お山の大将気取りなのである。
「とにかく、その森岡という男が気に食わないのだ」
柿沢はいかにも憎々しげに言った。
「その男を痛めつければ良いのか」
昔馴染みの男が訊いた。四十歳過ぎの小太りで禿げ頭の男である。
「いや。奴は、そうそう一人きりでいることはないだろうから、ちょっとそれは難しいかもしれない」
「じゃあ、どうしますか」
もう一人の、弟分らしき男が訊いた。年は三十代前半、長身で俳優のような色男である。
「奴の弱点を突けたら良いのだが」
「弱点ねえ……たとえば、女房、子供はいないのか」
小太りの男が考え込むように言った。
「独身らしいから、家族はいないだろうが、そうだな、女はいるかもしれない」
「じゃあ、その女を甚振るっていうのはどうだ」
小太りの男は、そう言って舌なめずりをした。
「強姦か、それは良い。奴に悔しい思いをさせられるかもしれない」
柿沢は下劣な笑みを浮かべて言った。
「俺たちには楽しみな仕事ですね」
色男は、誰に対してというのでもないせせら笑いをした。この男、見た目が良いだけにずいぶんと女性を食い物にしてきたことが窺える。
「じゃあ、女の件は俺の方で調べてみよう。わかったら、すぐに連絡する」
柿沢の目が邪悪の光を湛えていた。
柿沢と別れた二人の男は、河岸を変えて飲んでいた。
「あははは……」
小太りの男が、堪え切れないように笑った。
「どうしたのですか。いきなり」
色男が怪訝そうに訊いた。
「やっと、チャンスが回って来たからさ」
「チャンス? 何のことですか」
「さっきの話だ。柿沢の馬鹿が、とうとう弱みを握らせてくれた」
そう言うと、小太りの男は、胸ポケットからボイスレコーダーを取り出した。
「さっきの会話を録音しておいた」
「何のために?」
色男が不審げに訊いた。
「お前も鈍いなあ。これで、あの馬鹿を恐喝すれば、俺たちは一生金に不自由しないということさ」
小太りの男は喜々として言った。
「なるほど」
と、ようやく得心した色男の面がすぐに曇った。
「しかし、兄貴。聞いた話の限りでは、森岡という男、なかなかの切れ者のようですが、足が付いて報復されるということはないでしょうね」
だが、小太りの男の面には余裕の笑みが張り付いていた。
「それは全く心配いらない。俺のバックには強力な組織がある」
「極亜会ですか」
二人は、主に稲田連合・石黒組傘下の極亜会の仕事を請け負っていた。
「極亜会も頼りになるが、所詮は石黒組の枝にしか過ぎない」
「たしかに」
色男は不安げに肯いた。
「心配するな。いざとなれば、極亜会のような半端な組など足元にも及ばないもっと凄い人脈があるのだ」
「もっと凄いと言いますと、石黒組の幹部ですか」
違う、と小太りの男は首を横に振った。
「神王組の河瀬という最高幹部だ」
「し、神王組……?」
色男は意外な名に声が裏返った。
「確か、今は筆頭若頭補佐だから、ナンバー五ぐらいと思う」
神王組の序列は、組長、若頭、舎弟頭、本部長、筆頭若頭補佐の順だった。
「神王組のナンバー五ですか。しかし、どうして」
「コネがあるかというのだろう」
色男は黙って顎を引いた。
「実は、その河瀬と深い縁のある阿波野という男の事業に、あの馬鹿から五億円を引っ張り出したのが、この俺なのだ」
小太りの男は右手の親指を反り返し、張った胸に突き当てた。
「五億も」
「あいつは根っからの馬鹿だからな。美味しそうな話にはダボハゼのように食い付く」
小太りの男は嘲笑するように言った。
「結局、事業は失敗したが、それは俺のせいではないからな。大きな貸しは残っている」
「それで、河瀬と阿波野の深い縁というのは?」
「聞いて驚くなよ」
と言うと、小太りの男は顔を色男に近づけた。
「河瀬は、阿波野の父親が組長をしていたときの若頭だったということらしい」
「……」
色男は瞬時には理解できなかった。
「つまり、河瀬は阿波野が継ぐべき組を譲って貰ったということだ」
「それが、今や神王組のナンバー五なのですか」
「そういうことだ。だから、河瀬は阿波野の頼みは断れないというわけなのだ」
小太りの男は自慢げな顔で言い切った。
「なるほど、そういうことでしたら、たしかに強力な後ろ盾ですね」
ようやく、色男は安堵した顔つきになった。
柿沢は、吉永幹子と筧克至が理由も告げずに寺院ネットワーク事業から撤退したのは、森岡の策略によるものだと推察していた。世間知らずの、我儘放題で育った彼は、その分歪なプライドを纏っていた。
その彼にしてみれば、二十歳も年下の若造に、良いようにあしらわれるのは、己の沽券に関わるのである。
世の中で、柿沢のような手合いほど始末に負えないものはない。自身の能力を横に置き、プライドだけが異常に高く、見え透いた追従には舞い上がり、親身な忠告には嫌悪を抱く輩である。
森岡を恐れた筧は、一身上の都合とだけ言い残して姿を消していた。つまり、森岡の背後には巨大な闇社会が控えていることを柿沢は知らなかった。それが、彼を無謀な行動に走らせようとしていたのである。
その夜、柿沢は銀座のクラブに二人の男を呼び出し、ある依頼をしていた。一人の男は、二十年もの昔、柿沢が放蕩無頼に生きていた頃からの遊び仲間であり、現在でも腐れ縁で繋がっている男であった。
極道者ではないが、堅気というのでもない。言わば社会の表と裏の間で生きる男たちで、たとえばクラブやホステスから依頼を受けての、ツケの取立てや、借金の返済交渉などを代行する。
極道者ではないので、暴力団対策法の網の目からは逃れ、そうかといってそれなりに強面であるから、使う側は重宝するのである。この場合の手数料は、三割から場合によって折半と、かなりの高額であり、金回りは意外と良かった。
柿沢はこの種の手合いを従え、お山の大将気取りなのである。
「とにかく、その森岡という男が気に食わないのだ」
柿沢はいかにも憎々しげに言った。
「その男を痛めつければ良いのか」
昔馴染みの男が訊いた。四十歳過ぎの小太りで禿げ頭の男である。
「いや。奴は、そうそう一人きりでいることはないだろうから、ちょっとそれは難しいかもしれない」
「じゃあ、どうしますか」
もう一人の、弟分らしき男が訊いた。年は三十代前半、長身で俳優のような色男である。
「奴の弱点を突けたら良いのだが」
「弱点ねえ……たとえば、女房、子供はいないのか」
小太りの男が考え込むように言った。
「独身らしいから、家族はいないだろうが、そうだな、女はいるかもしれない」
「じゃあ、その女を甚振るっていうのはどうだ」
小太りの男は、そう言って舌なめずりをした。
「強姦か、それは良い。奴に悔しい思いをさせられるかもしれない」
柿沢は下劣な笑みを浮かべて言った。
「俺たちには楽しみな仕事ですね」
色男は、誰に対してというのでもないせせら笑いをした。この男、見た目が良いだけにずいぶんと女性を食い物にしてきたことが窺える。
「じゃあ、女の件は俺の方で調べてみよう。わかったら、すぐに連絡する」
柿沢の目が邪悪の光を湛えていた。
柿沢と別れた二人の男は、河岸を変えて飲んでいた。
「あははは……」
小太りの男が、堪え切れないように笑った。
「どうしたのですか。いきなり」
色男が怪訝そうに訊いた。
「やっと、チャンスが回って来たからさ」
「チャンス? 何のことですか」
「さっきの話だ。柿沢の馬鹿が、とうとう弱みを握らせてくれた」
そう言うと、小太りの男は、胸ポケットからボイスレコーダーを取り出した。
「さっきの会話を録音しておいた」
「何のために?」
色男が不審げに訊いた。
「お前も鈍いなあ。これで、あの馬鹿を恐喝すれば、俺たちは一生金に不自由しないということさ」
小太りの男は喜々として言った。
「なるほど」
と、ようやく得心した色男の面がすぐに曇った。
「しかし、兄貴。聞いた話の限りでは、森岡という男、なかなかの切れ者のようですが、足が付いて報復されるということはないでしょうね」
だが、小太りの男の面には余裕の笑みが張り付いていた。
「それは全く心配いらない。俺のバックには強力な組織がある」
「極亜会ですか」
二人は、主に稲田連合・石黒組傘下の極亜会の仕事を請け負っていた。
「極亜会も頼りになるが、所詮は石黒組の枝にしか過ぎない」
「たしかに」
色男は不安げに肯いた。
「心配するな。いざとなれば、極亜会のような半端な組など足元にも及ばないもっと凄い人脈があるのだ」
「もっと凄いと言いますと、石黒組の幹部ですか」
違う、と小太りの男は首を横に振った。
「神王組の河瀬という最高幹部だ」
「し、神王組……?」
色男は意外な名に声が裏返った。
「確か、今は筆頭若頭補佐だから、ナンバー五ぐらいと思う」
神王組の序列は、組長、若頭、舎弟頭、本部長、筆頭若頭補佐の順だった。
「神王組のナンバー五ですか。しかし、どうして」
「コネがあるかというのだろう」
色男は黙って顎を引いた。
「実は、その河瀬と深い縁のある阿波野という男の事業に、あの馬鹿から五億円を引っ張り出したのが、この俺なのだ」
小太りの男は右手の親指を反り返し、張った胸に突き当てた。
「五億も」
「あいつは根っからの馬鹿だからな。美味しそうな話にはダボハゼのように食い付く」
小太りの男は嘲笑するように言った。
「結局、事業は失敗したが、それは俺のせいではないからな。大きな貸しは残っている」
「それで、河瀬と阿波野の深い縁というのは?」
「聞いて驚くなよ」
と言うと、小太りの男は顔を色男に近づけた。
「河瀬は、阿波野の父親が組長をしていたときの若頭だったということらしい」
「……」
色男は瞬時には理解できなかった。
「つまり、河瀬は阿波野が継ぐべき組を譲って貰ったということだ」
「それが、今や神王組のナンバー五なのですか」
「そういうことだ。だから、河瀬は阿波野の頼みは断れないというわけなのだ」
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