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修羅の道 第七章・法力(2)
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それは、久田帝玄の法国寺晋山式の余韻が冷めやらぬ頃であった。
里見が宝物殿に入ってみると、宗祖栄真大聖人の直筆の書や手紙に加え、栄真手ずから彫ったという釈迦立像といった宝物が五点消えて無くなっていたというのだ。闇ルートに流通すれば三億円は下らないと思われた。
法国寺は、総本山真興寺に次ぐ格式高い寺院である。宝物殿には国宝級の宝物が数多く保管されていた。
里見は毎朝宝物殿を訪れ、施錠の確認や周囲を見回して、不審な形跡がないかを確認し、十日に一度は中に入って現物を検めていた。
里見は血の気の失せた面で帝玄に報告するが、予想に反して彼は警察に通報するよう指示をしなかった。当初は、騒ぎが表沙汰になり、責任問題に発展することを恐れたためで、いずれ内々に捜査を依頼するものだと思っていた。ところが、帝玄にはいっこうにその気配が感じられない。
平静を取り戻した里見は、よくよく思い返してみた。すると、不審な点がいくつも浮かび上がった。
まず、鍵を壊したような形跡が無く、警報音も聞いてはいなかった。つまり、泥棒は合鍵を用意し、警報装置を遮断するという周到な準備をしていたことになる。
また、他にも多数宝物はあったが、それらに手は付けられていなかった。紛失した品から推測すれば、たとえ一人であっても、充分に手は余っていたはずなのに、何故五点だけなのだろうかという疑問も残った。
様々な状況から判断すると、とても泥棒が入ったようには思えなくなった。
宝物殿の鍵は、貫主の帝玄と執事長の里見の二人だけしか所持していない。
里見は紛失の報告のときの冷静な反応を考えてみても、帝玄が怪しいと疑ったが、確証がないうえに帝玄がその様な所業をする動機がわからず、誰にも話すことができずにいたというのだ。
だが半月が経って、突如として執事長の職を解任されたことにより、このままでは自分が濡れ衣を着せられるのではないかという不安に駆られ、保身のためには、とにかくこの事実を誰かに伝えておかなければという思いに至った。
しかし、宗門内における帝玄の威光を考えると、迂闊に同僚らには相談することができない。そこで、自坊楽光寺を通じて親交のあった榊原壮太郎を頼ったという次第だった。
森岡は熟考を重ねた。
脳細胞をフル稼働して、必死に考えを巡らした。里見の話が真実ならば、帝玄が持ち出したに違いない。
問題はその動機である。
今回もたらされた二つの情報と、帝玄の仮病と思しき行動がどのように関連しているのか、いないのか。 そして彼が我々を裏切るとすれば、いったいどのような理由によってなのか。
ともかく、この情報も神村の耳には入れまい、と森岡は心に決めていた。
何といっても、久田帝玄は最重要人物である。神村の行く末においても不可欠の人物である。したがって、たとえ帝玄が神村に対する裏切りを考えていたとしても、未然に防ぐことができれば、彼は己ひとりの胸の内に納めておくつもりだった。
僅か一時間ほどの思案にも拘らず、森岡は猛烈な疲弊に襲われていた。女性秘書が十五時のコーヒーを入れたときには、ソファーにその身を横たえていたほどであった。
このとき、森岡は帝玄の本心を確かめるため、直談判する決意を固めていた。
一切の面会を拒絶している帝玄だが、森岡は、
――もしや、御前様は自分を待っておられるのではないか。
という奇妙な観念に囚われていた。
何の確証もない、ただの希望的観測に過ぎないのだが、帝玄が京都ではなく、わざわざ吹田にある北摂高度救命救急センターに搬送されたのは、彼のサインではないか、つまり自分が凶刃に倒れた件を知っている帝玄の、理事長を介せという信号ではないかと思い至った。
もう一つ、片桐瞳から帝玄が自分の近況を知りたがっていたとの連絡を受けていたことも、その思いを増長させていた。
そうとなれば一刻も早く、と心焦る森岡だったが、彼にはその前にやるべき事が一つあった。
里見が宝物殿に入ってみると、宗祖栄真大聖人の直筆の書や手紙に加え、栄真手ずから彫ったという釈迦立像といった宝物が五点消えて無くなっていたというのだ。闇ルートに流通すれば三億円は下らないと思われた。
法国寺は、総本山真興寺に次ぐ格式高い寺院である。宝物殿には国宝級の宝物が数多く保管されていた。
里見は毎朝宝物殿を訪れ、施錠の確認や周囲を見回して、不審な形跡がないかを確認し、十日に一度は中に入って現物を検めていた。
里見は血の気の失せた面で帝玄に報告するが、予想に反して彼は警察に通報するよう指示をしなかった。当初は、騒ぎが表沙汰になり、責任問題に発展することを恐れたためで、いずれ内々に捜査を依頼するものだと思っていた。ところが、帝玄にはいっこうにその気配が感じられない。
平静を取り戻した里見は、よくよく思い返してみた。すると、不審な点がいくつも浮かび上がった。
まず、鍵を壊したような形跡が無く、警報音も聞いてはいなかった。つまり、泥棒は合鍵を用意し、警報装置を遮断するという周到な準備をしていたことになる。
また、他にも多数宝物はあったが、それらに手は付けられていなかった。紛失した品から推測すれば、たとえ一人であっても、充分に手は余っていたはずなのに、何故五点だけなのだろうかという疑問も残った。
様々な状況から判断すると、とても泥棒が入ったようには思えなくなった。
宝物殿の鍵は、貫主の帝玄と執事長の里見の二人だけしか所持していない。
里見は紛失の報告のときの冷静な反応を考えてみても、帝玄が怪しいと疑ったが、確証がないうえに帝玄がその様な所業をする動機がわからず、誰にも話すことができずにいたというのだ。
だが半月が経って、突如として執事長の職を解任されたことにより、このままでは自分が濡れ衣を着せられるのではないかという不安に駆られ、保身のためには、とにかくこの事実を誰かに伝えておかなければという思いに至った。
しかし、宗門内における帝玄の威光を考えると、迂闊に同僚らには相談することができない。そこで、自坊楽光寺を通じて親交のあった榊原壮太郎を頼ったという次第だった。
森岡は熟考を重ねた。
脳細胞をフル稼働して、必死に考えを巡らした。里見の話が真実ならば、帝玄が持ち出したに違いない。
問題はその動機である。
今回もたらされた二つの情報と、帝玄の仮病と思しき行動がどのように関連しているのか、いないのか。 そして彼が我々を裏切るとすれば、いったいどのような理由によってなのか。
ともかく、この情報も神村の耳には入れまい、と森岡は心に決めていた。
何といっても、久田帝玄は最重要人物である。神村の行く末においても不可欠の人物である。したがって、たとえ帝玄が神村に対する裏切りを考えていたとしても、未然に防ぐことができれば、彼は己ひとりの胸の内に納めておくつもりだった。
僅か一時間ほどの思案にも拘らず、森岡は猛烈な疲弊に襲われていた。女性秘書が十五時のコーヒーを入れたときには、ソファーにその身を横たえていたほどであった。
このとき、森岡は帝玄の本心を確かめるため、直談判する決意を固めていた。
一切の面会を拒絶している帝玄だが、森岡は、
――もしや、御前様は自分を待っておられるのではないか。
という奇妙な観念に囚われていた。
何の確証もない、ただの希望的観測に過ぎないのだが、帝玄が京都ではなく、わざわざ吹田にある北摂高度救命救急センターに搬送されたのは、彼のサインではないか、つまり自分が凶刃に倒れた件を知っている帝玄の、理事長を介せという信号ではないかと思い至った。
もう一つ、片桐瞳から帝玄が自分の近況を知りたがっていたとの連絡を受けていたことも、その思いを増長させていた。
そうとなれば一刻も早く、と心焦る森岡だったが、彼にはその前にやるべき事が一つあった。
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