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欲望の果 第三章・人徳(8)
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日付けが変わった深夜三時過ぎ、森岡の携帯が鳴った。
受信を確認すると片桐瞳からであった。大阪都島にある茜のマンションのベッドに横たわっていた森岡は、躊躇う事なく携帯を繋げた。瞳がこのような時刻に電話してくることなど尋常ではないからである。
「洋ちゃん……」
はたして、森岡の耳に瞳の悲痛な声が漏れ伝わった。
森岡は、蒲生亮太一人を呼び起こすと、茜に事情を話し、京都中京区の瞳のマンションに向かった。瞳とは決してやましい関係ではないし、茜はこのようなことで悋気する女性でもない。
瞳のマンションに到着した森岡は、玄関先まで護衛した蒲生を車に返し、一人で彼女の部屋に入った。
玄関のドアを開けて招じ入れた瞳の姿に、森岡はただならぬ異変を感じた。
「何があった?」
森岡は慎重に声を掛けた。
「……」
だが、瞳は口を開こうとはしなかった。
「言いたくなければ言わんでええで」
森岡は子供をあやすかのように言った。
「私……私……」
瞳は尚も躊躇った。
「無理するな。けど、俺にできることやったらなんでも力になるで」
森岡は優しく囁いた。
すると、ようやく重い口が開いた。
「私、二人の男に乱暴されたの」
「な……」
乱暴という言葉の意味を理解した森岡は言葉を失った。このようなときに掛ける、気の利いた言葉など浮かぶはずもない。
しばらく重苦しい沈黙のときが流れた。
やがて、瞳は搾り出すように話始めた。
この夜、彼女は0時過ぎに店を閉めた後、男性客とのアフターに付き合い、深夜二時頃までカラオケで遊んだ。男性客とホステスを残し、先に自宅マンションに戻ったところ、玄関先に止まっていた車から降りてきた二人の見知らぬ男に呼び止められた。
二人は、彼女が片桐瞳だと確認すると、突然一人の男が口を塞ぎ、取り出した刃物を咽元に付き付けた。彼女は車に押し込められて、山科辺りの山奥まで拉致されると、車中で強姦されたのだと言った。
彼女はいつもの気心の知れた個人タクシーを呼び、マンションに戻ると、身体を洗浄した。警察に被害届を出そうと思ったが、なぜだか森岡の顔が頭に浮かんだというのである。
森岡は、瞳が落ち着いたのを見計らって、犯人の手掛かりとなる材料を聞き出した。
悪夢のような惨劇の中で、瞳は気丈にも冷静に二人の男の特徴を観察していた。
一人は四十歳半ばの小太りで禿頭、もう一人は三十歳過ぎの長身で男前。
二人とも関東弁を話していたが、若い方は言葉の端々に、時折関西弁が混じっていたということ。
車のナンバーが目黒だったということ。
そして、二人の会話に中に『やっちゃん』という言葉が出たということであった。
関東弁ということから推測すると、東京から京都へやって来ての凶行であり、素顔を晒しても、自分たちまでは辿り着けないとの読みだと思われた。
森岡はしばらく思案した後、
「もしかしたら、俺のせいかもしれん」
と呻くように言った。
「え? どういうこと」
瞳は怪訝そうな顔をした。
「はっきりとは言えんが、もし俺のせいだとしたら、落とし前はきっちりと俺が付ける」
「……」
「だから、だから間違っても馬鹿なことは考えるなよ」
森岡はやさしく肩を抱いた。
「これぐらい、へっちゃらよ」
瞳は悲しみを仕舞い込むような笑顔で言った。
一人の女性として、辛酸を舐めながら生き抜いてきた両眼には凛とした力強さが残っていた。
――この分なら、大丈夫だな。
森岡は安堵の呟きを漏らした。
森岡は、瞳を吹田市の北摂高度救命救急センターに隣接する千里総合病院へ連れて行き、処置を受けさせた。彼が凶刃に倒れ、入院していたとき懇意になった医師に連絡を取り、信頼できる女医を待機してもらったのである。
診察の間、森岡は事件を推量した。
男たちが瞳の本人確認をしたということは、突発的ではなく、計画的だったということになる。瞳の話から、彼女自身が恨みを買うとすれば、坂東明園ぐらいであった。しかし、男たちの言葉が関東弁だったということを考慮すると、その可能性は低くいと見るべきで、森岡が瞳に、自分のせいかもしれないと言ったのはこのためである。瞳に比べれば、 彼の方が恨みを買う可能性は断然高い。
森岡の脳裡に真っ先に浮かんだのが筧克至である。
彼であれば、人生を狂わされた恨みを抱いていたとしてもおかしくはない。しかも、あれほど恫喝されたにも拘らず、天真宗総本山をうろついたりしている。森岡は、筧が何を企んでいるのか気になった。気にはなったが、ここで森岡は残る手掛かりが心に浮かんだ。
――やっちゃん……。
二人の男の、どちらかの呼び名なのか、それとも第三者のそれなのか。森岡は脳の深層部に、どこかで見聞きしたような引っ掛かりを憶えたが、どうしても記憶を呼び起こせなかった。
受信を確認すると片桐瞳からであった。大阪都島にある茜のマンションのベッドに横たわっていた森岡は、躊躇う事なく携帯を繋げた。瞳がこのような時刻に電話してくることなど尋常ではないからである。
「洋ちゃん……」
はたして、森岡の耳に瞳の悲痛な声が漏れ伝わった。
森岡は、蒲生亮太一人を呼び起こすと、茜に事情を話し、京都中京区の瞳のマンションに向かった。瞳とは決してやましい関係ではないし、茜はこのようなことで悋気する女性でもない。
瞳のマンションに到着した森岡は、玄関先まで護衛した蒲生を車に返し、一人で彼女の部屋に入った。
玄関のドアを開けて招じ入れた瞳の姿に、森岡はただならぬ異変を感じた。
「何があった?」
森岡は慎重に声を掛けた。
「……」
だが、瞳は口を開こうとはしなかった。
「言いたくなければ言わんでええで」
森岡は子供をあやすかのように言った。
「私……私……」
瞳は尚も躊躇った。
「無理するな。けど、俺にできることやったらなんでも力になるで」
森岡は優しく囁いた。
すると、ようやく重い口が開いた。
「私、二人の男に乱暴されたの」
「な……」
乱暴という言葉の意味を理解した森岡は言葉を失った。このようなときに掛ける、気の利いた言葉など浮かぶはずもない。
しばらく重苦しい沈黙のときが流れた。
やがて、瞳は搾り出すように話始めた。
この夜、彼女は0時過ぎに店を閉めた後、男性客とのアフターに付き合い、深夜二時頃までカラオケで遊んだ。男性客とホステスを残し、先に自宅マンションに戻ったところ、玄関先に止まっていた車から降りてきた二人の見知らぬ男に呼び止められた。
二人は、彼女が片桐瞳だと確認すると、突然一人の男が口を塞ぎ、取り出した刃物を咽元に付き付けた。彼女は車に押し込められて、山科辺りの山奥まで拉致されると、車中で強姦されたのだと言った。
彼女はいつもの気心の知れた個人タクシーを呼び、マンションに戻ると、身体を洗浄した。警察に被害届を出そうと思ったが、なぜだか森岡の顔が頭に浮かんだというのである。
森岡は、瞳が落ち着いたのを見計らって、犯人の手掛かりとなる材料を聞き出した。
悪夢のような惨劇の中で、瞳は気丈にも冷静に二人の男の特徴を観察していた。
一人は四十歳半ばの小太りで禿頭、もう一人は三十歳過ぎの長身で男前。
二人とも関東弁を話していたが、若い方は言葉の端々に、時折関西弁が混じっていたということ。
車のナンバーが目黒だったということ。
そして、二人の会話に中に『やっちゃん』という言葉が出たということであった。
関東弁ということから推測すると、東京から京都へやって来ての凶行であり、素顔を晒しても、自分たちまでは辿り着けないとの読みだと思われた。
森岡はしばらく思案した後、
「もしかしたら、俺のせいかもしれん」
と呻くように言った。
「え? どういうこと」
瞳は怪訝そうな顔をした。
「はっきりとは言えんが、もし俺のせいだとしたら、落とし前はきっちりと俺が付ける」
「……」
「だから、だから間違っても馬鹿なことは考えるなよ」
森岡はやさしく肩を抱いた。
「これぐらい、へっちゃらよ」
瞳は悲しみを仕舞い込むような笑顔で言った。
一人の女性として、辛酸を舐めながら生き抜いてきた両眼には凛とした力強さが残っていた。
――この分なら、大丈夫だな。
森岡は安堵の呟きを漏らした。
森岡は、瞳を吹田市の北摂高度救命救急センターに隣接する千里総合病院へ連れて行き、処置を受けさせた。彼が凶刃に倒れ、入院していたとき懇意になった医師に連絡を取り、信頼できる女医を待機してもらったのである。
診察の間、森岡は事件を推量した。
男たちが瞳の本人確認をしたということは、突発的ではなく、計画的だったということになる。瞳の話から、彼女自身が恨みを買うとすれば、坂東明園ぐらいであった。しかし、男たちの言葉が関東弁だったということを考慮すると、その可能性は低くいと見るべきで、森岡が瞳に、自分のせいかもしれないと言ったのはこのためである。瞳に比べれば、 彼の方が恨みを買う可能性は断然高い。
森岡の脳裡に真っ先に浮かんだのが筧克至である。
彼であれば、人生を狂わされた恨みを抱いていたとしてもおかしくはない。しかも、あれほど恫喝されたにも拘らず、天真宗総本山をうろついたりしている。森岡は、筧が何を企んでいるのか気になった。気にはなったが、ここで森岡は残る手掛かりが心に浮かんだ。
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