黒い聖域

久遠

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聖域の闇 第一章・因縁(5)

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 高尾山の瑞真寺では、執事長の葛城信之を前に、栄覚門主が苦渋に満ちた顔をしていた。寝耳に水の報告を受けていたのである。
「野津が枕木山に入っただと」
「中原宗務次長から御門主のお耳に入れるようにとの連絡がありました」
「伐採の件は三年前に決着が付いたというのに、なぜ今頃になって……」
 栄覚は唇を噛んだ。まさか勅使河原が、野津の実娘である芸者小梅を利用して、森岡を罠に陥れようとしていたことなど知る由もなかった。
「同行者がいるようです」
「誰だ」
「記帳には坂根と足立とありました。二人とも二十代の若者だそうです」
「何者だ」
「わかりせん。宗務院も初顔だそうで……」
「拙いな」
 栄覚は口の端を歪めた。
「枕木山には何かございますので」
「今はまだ言えぬ」
 探るような目で訊いた葛城に、栄覚は厳しい口調で返した。
「差し出がましい口を利きました」
 葛城は怯むように詫びた。以前、栄覚から聞いた家宝と関わりがあるのではとの直感を働かせていたが口にすることはできない。
「では、いかがしましょうか」
 遠慮がちに指示を仰いだ。
「今日のところは様子を見る」
――何も気づかれずに済めば良いが、もしものことがれば口止めせねばなるまいな。
 栄覚は心の中で呟いた。
「念のため、鬼庭に若い者を寄こすよう連絡してくれ」
「虎鉄組に? 勅使河原会長を介しますか」
「いや、勅使河原は拙い。中原上人に善処してもらうよう頼んでくれ」
「承知しました」
――枕木山の秘事は、勅使河原会長にも秘匿しておられるのか。ますます怪しい……。
 葛城は確信に近い思いを抱きながら、携帯を手にした。
 電話を掛け終えた葛城に、
「ところで執事長、例の件だが、進捗はどうか」
 と、栄覚が訊いた。
「残念ながら、未だ何の手掛かりも掴めておりません」
「『雲』からの報告もないか」
「何も」
 ありません、と葛城が申し訳なさそうに頭を下げた。
「よいよい。こればかりは神村が動かねばどうにもならない。傍におる雲に掴めぬというのであれば、致し方あるまいな。だが、神村が我が父であり師でもある栄興上人から受け継いで足掛け十五年。もうそろそろ動きがあっても良い頃だ」
「少なくとも、天真宗の僧侶ではないのでしょう」
「そうだな。立国会からもそのような報告は無いしな」
「そういえば、過日神村上人は高野山を訪ねたと耳に致しましたが……」
「高野山……堀部真快大阿闍梨か」
 栄覚は呻くように言った。
「元は大阿闍梨から我が父に継承され、父から神村に伝承されたものだからな。再び高野山に戻っても不思議はないのう」
「そのようなものですか」
 葛城のような凡僧にとっては、想像も付かない次元の話ではある。
「しかし、御先代様が御門主に伝承されておられれば、このような苦労はなされませんものを……」
 と言った葛城の顔から、サァーと血の気が引いていった。
 栄覚が睨み付けていたのである。
「こ、これは、とんだ失言を致しました。お許し下さい」
 葛城は、泡を食ったように額を畳に擦り付けた。
「執事長、たとえ貴方でも我が父への批判、中傷は許しませんぞ」
 心臓を突き刺すような冷たい声だった。
 葛城を咎めた栄覚だったが、その実、栄興前門主に密教奥義伝承を願った際の、
『お前など、神村上人の足元にも遠く及ばぬ。身の程を知れ』
 との叱責が蘇り、忸怩たる思いに身体を震わせていた。
――あのときの屈辱は決して忘れはせぬ。
 栄覚は奥歯を噛みしめた。
「こ、今後は肝に命じまして……」
 葛城は声を震わせて詫びた。
「いや、わかれば良いのです」
 穏やかな口調に戻った栄覚は、
「真の野望を成就するためには、是非とも密教奥義を我が手中に収めねばならない。たとえ高野山に戻っても、何らかの手立てを講ぜねばなるまいな」
 と意を決した声で言った。
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