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聖域の闇 第二章・監禁(7)
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同じ日の夜、立国会のパーティーを終えた勅使河原公彦は、同じパリストンホテル高輪で虎鉄会の組長である鬼庭徹朗(おににわてつろう)を、それこそ鬼の形相で詰問していた。
「森岡の部下を拉致監禁しただと? 何て馬鹿なことをしてくれたのだ。俺の計略が台無しになったではないか!」
「まあまあ、少し落ち着いてくれ」
鬼庭はあまりの剣幕に、そう宥めると、
「あんたの計略とは何だ」
と訊いた。
「父親の借金をたてに、芸者の娘を絡めて森岡のキャンダルを仕組んだのだ。それをお前がぶち壊した」
勅使河原公彦は、岡崎家で小梅の身の上話を聞いているうち、森岡を嵌める計略を思い付いたのだと付け加えた。
「森岡のスキャンダルだと? いったい何のためだ」
「あいつに多額の損失を被らせるためだ」
鬼庭は首を傾げた。
「損失だと? わかるように話してくれないか」
「森岡は近い将来、自社を上場させる予定でいる。その際、当然奴も持ち株を売却する。奴の会社は資本金が五億円、一株五万円として一億株だが、そのほとんどは奴が所有しているはずだ。仮に、持ち株の半分の五千株を売ったとして、一株が五百万ならば、二百五十億を手にすることになる。しかも税金はほとんど無しだ」
そこまで言って、勅使河原は鬼庭を見据えた。
「それぐらいはお前だって知っているだろう」
「創業者利得ってやつだな」
うむ、と勅使河原は肯いた。
「最初は上場そのものを妨害しようと考えたが、さすがにそれは無理な相談だ。そこでだ、もし上場前に森岡のスキャンダルを大々的に流布すれば、上場時の株を下落させることができる。もし、半値の二百五十万に下がれば、奴は百二十五億を損することになる」
「それはわかった。しかし、それが御門主とどういう関わりがあるのだ」
「御門主とは一切関係ない。俺の個人的な恨みだ」
「森岡との間に何かあったのか」
勅使河原は忌々しそうに歯噛みした。
「奴のせいで味一番の乗っ取りに失敗した。御蔭で俺は数百億を儲け損なったのだ」
勅使河原は、福地正勝社長の解任案可決で終わるはずだった味一番の取締役会が不調に終わった理由を知った。
取り込んでいた役員の一人から、東京菱芝銀行の瀬尾会長の関与があったことを聞き出したのだ。この時点で、勅使河原の脳裡に森岡の影は浮かんでいない。味一番のメインバンクは東京菱芝銀行であるから、福地自身が泣き付いたのだろうと推察していた。
ところが須之内高邦から、福地正勝の救済に奔走したのは森岡だったと聞いて、取締役会の裏工作にも一枚噛んでいたのではないかとの疑念が俄かに生じた。いや、そもそも福地正勝が森岡洋介を後継者にと願わなければ、須之内高邦が後を継いでいたのだという妄念にも囚われた。
ちなみに、須之内高邦が森岡の暗躍を知ったのは、むろん妻早苗の口からである。
「そう言うことか」
鬼庭が得心したように肯いた。
「島根で奴を襲わせたのも、御門主の為だと言っておきながら、その実は自身の意趣返しも含んでいたのだな」
「正直に言えば、そうだ」
「そうなら、いっそのこと殺してしまえば良かったのではないか。傷を負わせるだけだなどと中途半端なことをいうからしくじったのだ」
「なんだと」
勅使河原が冷たい目で睨んだ。
「殺しなら外国人を使えた」
「安く上がったと言いたいのだな」
勅使河原は皮肉を込めて言った。
実際、組員が殺人を犯して懲役となると金が掛かった。弁護士費用はもちろんのこと、もし妻子がいれば、服役中の生活費を看なければならなかったし、たとえ独身であっても、出所後の慰労金など多額の金が必要だった。それどころか使用者責任を問われる可能性すらあった。
その点、たとえば中国人であれば、百万円で事足りる場合もあるので、旅費や滞在費を入れても多寡が知れているし、国外逃亡すれば迷宮入りとなる。
「最初は俺もそのつもりだった。奴さえ消してしまえば、福地も気力を無くすに違いない。須之内は使えなくなったが、二人の娘婿だろうと誰だろうと、俺の軍門に降らせるのは簡単だからな」
「ならばなぜ……」
気が変わったのか、と鬼庭は訊いた。
「背後に思わぬ大物が控えていたのだ」
勅使河原は顔を歪めた。
「その後の調べで、東京菱芝銀行の瀬尾会長を動かしたのは松尾正之助だとわかったのだ」
「松尾? あの世界の、か」
「そうだ。松尾が福地に肩入れしているのであれば、たとえ森岡を消しても、そう簡単に味一番は手に入れることができない。なにせ、松尾は日本経済界の首領だからな。味一番が手に入る確たる見込みがないのに、殺害という危険を犯すことなど割に合わない」
「そうかといって、すごすごと退散するのも口惜しかったということか」
「だが、それも失敗した」
勅使河原は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「まさに恨み骨髄だな」
鬼庭は皮肉混じりに言った。
勅使河原が鬼庭を睨み付ける。
「だから、今度は手を変えて、奴に同じ思いをさせたかったのだ。それをお前がご破産にした」
鬼庭徹朗は、神戸神王組、東京稲田連合に次ぐ巨大暴力団の組長である。その彼を睨み付けることができるのだから、勅使河原の持つ力の大きさが窺えるというものだろう。実際、巨大壇信徒会の社会的権力は大きい。何せ多数の信徒の心を掴んでいるうえ、布施という名の元に巨額資金を調達できるのだ。
「それは悪いことをしたと思うが、俺の知らないことだし、それに今回のことは御門主の依頼だからな」
と、鬼庭は弁解した。
「御門主が森岡の部下を拉致しろとお命じになったのか」
いや、と鬼庭は口籠った。
「拉致までは命じておられない。恫喝するだけのはずが、経緯上そうなった」
ふん、と勅使河原が鼻先で笑った。
「何が経緯上だ。お前だって、神栄会の峰松に五千万を毟り取られた腹いせだろうが」
「……」
鬼庭は反論できなかった。図星なのである。
「森岡の部下を拉致監禁しただと? 何て馬鹿なことをしてくれたのだ。俺の計略が台無しになったではないか!」
「まあまあ、少し落ち着いてくれ」
鬼庭はあまりの剣幕に、そう宥めると、
「あんたの計略とは何だ」
と訊いた。
「父親の借金をたてに、芸者の娘を絡めて森岡のキャンダルを仕組んだのだ。それをお前がぶち壊した」
勅使河原公彦は、岡崎家で小梅の身の上話を聞いているうち、森岡を嵌める計略を思い付いたのだと付け加えた。
「森岡のスキャンダルだと? いったい何のためだ」
「あいつに多額の損失を被らせるためだ」
鬼庭は首を傾げた。
「損失だと? わかるように話してくれないか」
「森岡は近い将来、自社を上場させる予定でいる。その際、当然奴も持ち株を売却する。奴の会社は資本金が五億円、一株五万円として一億株だが、そのほとんどは奴が所有しているはずだ。仮に、持ち株の半分の五千株を売ったとして、一株が五百万ならば、二百五十億を手にすることになる。しかも税金はほとんど無しだ」
そこまで言って、勅使河原は鬼庭を見据えた。
「それぐらいはお前だって知っているだろう」
「創業者利得ってやつだな」
うむ、と勅使河原は肯いた。
「最初は上場そのものを妨害しようと考えたが、さすがにそれは無理な相談だ。そこでだ、もし上場前に森岡のスキャンダルを大々的に流布すれば、上場時の株を下落させることができる。もし、半値の二百五十万に下がれば、奴は百二十五億を損することになる」
「それはわかった。しかし、それが御門主とどういう関わりがあるのだ」
「御門主とは一切関係ない。俺の個人的な恨みだ」
「森岡との間に何かあったのか」
勅使河原は忌々しそうに歯噛みした。
「奴のせいで味一番の乗っ取りに失敗した。御蔭で俺は数百億を儲け損なったのだ」
勅使河原は、福地正勝社長の解任案可決で終わるはずだった味一番の取締役会が不調に終わった理由を知った。
取り込んでいた役員の一人から、東京菱芝銀行の瀬尾会長の関与があったことを聞き出したのだ。この時点で、勅使河原の脳裡に森岡の影は浮かんでいない。味一番のメインバンクは東京菱芝銀行であるから、福地自身が泣き付いたのだろうと推察していた。
ところが須之内高邦から、福地正勝の救済に奔走したのは森岡だったと聞いて、取締役会の裏工作にも一枚噛んでいたのではないかとの疑念が俄かに生じた。いや、そもそも福地正勝が森岡洋介を後継者にと願わなければ、須之内高邦が後を継いでいたのだという妄念にも囚われた。
ちなみに、須之内高邦が森岡の暗躍を知ったのは、むろん妻早苗の口からである。
「そう言うことか」
鬼庭が得心したように肯いた。
「島根で奴を襲わせたのも、御門主の為だと言っておきながら、その実は自身の意趣返しも含んでいたのだな」
「正直に言えば、そうだ」
「そうなら、いっそのこと殺してしまえば良かったのではないか。傷を負わせるだけだなどと中途半端なことをいうからしくじったのだ」
「なんだと」
勅使河原が冷たい目で睨んだ。
「殺しなら外国人を使えた」
「安く上がったと言いたいのだな」
勅使河原は皮肉を込めて言った。
実際、組員が殺人を犯して懲役となると金が掛かった。弁護士費用はもちろんのこと、もし妻子がいれば、服役中の生活費を看なければならなかったし、たとえ独身であっても、出所後の慰労金など多額の金が必要だった。それどころか使用者責任を問われる可能性すらあった。
その点、たとえば中国人であれば、百万円で事足りる場合もあるので、旅費や滞在費を入れても多寡が知れているし、国外逃亡すれば迷宮入りとなる。
「最初は俺もそのつもりだった。奴さえ消してしまえば、福地も気力を無くすに違いない。須之内は使えなくなったが、二人の娘婿だろうと誰だろうと、俺の軍門に降らせるのは簡単だからな」
「ならばなぜ……」
気が変わったのか、と鬼庭は訊いた。
「背後に思わぬ大物が控えていたのだ」
勅使河原は顔を歪めた。
「その後の調べで、東京菱芝銀行の瀬尾会長を動かしたのは松尾正之助だとわかったのだ」
「松尾? あの世界の、か」
「そうだ。松尾が福地に肩入れしているのであれば、たとえ森岡を消しても、そう簡単に味一番は手に入れることができない。なにせ、松尾は日本経済界の首領だからな。味一番が手に入る確たる見込みがないのに、殺害という危険を犯すことなど割に合わない」
「そうかといって、すごすごと退散するのも口惜しかったということか」
「だが、それも失敗した」
勅使河原は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「まさに恨み骨髄だな」
鬼庭は皮肉混じりに言った。
勅使河原が鬼庭を睨み付ける。
「だから、今度は手を変えて、奴に同じ思いをさせたかったのだ。それをお前がご破産にした」
鬼庭徹朗は、神戸神王組、東京稲田連合に次ぐ巨大暴力団の組長である。その彼を睨み付けることができるのだから、勅使河原の持つ力の大きさが窺えるというものだろう。実際、巨大壇信徒会の社会的権力は大きい。何せ多数の信徒の心を掴んでいるうえ、布施という名の元に巨額資金を調達できるのだ。
「それは悪いことをしたと思うが、俺の知らないことだし、それに今回のことは御門主の依頼だからな」
と、鬼庭は弁解した。
「御門主が森岡の部下を拉致しろとお命じになったのか」
いや、と鬼庭は口籠った。
「拉致までは命じておられない。恫喝するだけのはずが、経緯上そうなった」
ふん、と勅使河原が鼻先で笑った。
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「……」
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