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聖域の闇 第五章・秘宝(1)
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天真宗が所有する枕木山に重大な秘密の臭いを嗅ぎ取った森岡は、まず景山律堂にその旨を訊ねたが、これといった目ぼしい答えは返ってこなかった。次いで、榊原壮太郎に調査を依頼したが、さしもの彼でも総本山は勝手が違うようで、期待した成果は得られなかった。
末弟である栄相の、己の血脈者による法統継承という反逆にも等しい野望を見抜いた宗祖栄真大聖人は、遺言によって血脈者による後継を否定しただけでなく、栄相及び彼の子孫が妙顕山に子院を建立することすらも認めなかった。
そこで栄相は、妙顕山の西方に位置する枕木山に小さな庵を構えた。交通や連絡手段の困難な時代である。在野に下り、総本山の動向が掴み難くなってしまえば、総本山内に足掛かりを築くことさえ困難になると、危惧してのことだった。
栄相の子孫は捲土重来を期して慎ましやかな草庵生活を続け、ついに室町時代に入り、護山である高尾山に瑞真寺を建立することに成功した。
だが、天真宗所有の山とはいえ、総本山どころか護山でもない枕木山の草庵である。瑞真寺建立の代償として、時代の流れと共に世間はもちろんのこと、総本山からも忘れ去られる運命を辿ったのである。
景山と榊原から目ぼしい情報が得られなかった森岡は、次の手立てとして、京都祇園のお茶屋吉力に大河内法悦を招待した。京都大本山傳法寺の元貫主だった高僧である。
大河内は別格大本山法国寺貫主の座を巡って、久田帝玄と総務藤井清堂の実弟清慶との板挟みになり、苦渋の末、傳法寺の貫主の座を辞していた。森岡の依頼を受けた永井宗務総長の因果を含める巧妙な示唆によってである。
したがって大河内にとって森岡は、いわば不倶戴天の敵と言えなくもなかったが、予想に反して快く面談に応じてくれた。
お茶屋吉力は、古都京都でも一、二を争う老舗の名店で、当然のことながら一見はお断りの店である。いかに著名人あっても社会的地位が高い者でも、店が認めた人物からの紹介がなければ敷居を跨ぐことはできない。
大阪梅田の幸苑と同様、森岡は大学時代に神村の相伴で何度も訪れていた。神村の有力な支援者の中に京都の老舗人形店の社長がいたのだが、彼の饗応がこの吉力だった関係で、森岡は女将の和泉貴子(いずみたかこ)とも昵懇だった。
女将は戦国時代、宇治会合衆の一人だった和泉家の子孫である。会合衆とは、自治都市宇治の運営にあたって指導的役割を果たした合議制の機関のことで、簡単に言えば京都でも名立たる豪商の一人だったということである。
「過日は、大変ご迷惑をお掛けしました」
森岡は開口一番、あらためて謝罪した。
「そのことはもう良い」
大河内は磊落に笑い返した。
「また、本日はこのような場にお呼び立て致しまして申し訳けございません」
品行方正な大河内が、華美な饗応を嫌っていることを森岡は知っていた。
いや構わない、と大河内は顔の前で手を振った。
「私も神村上人や御前様の懐刀には興味があった。それに傳法寺の貫主を辞したことだし、観世音寺はすでに愚息が継いでいるから、いまさら世間を憚ることもない」
大河内はそう言うと苦笑いを浮かべた。
「ただ、隠居の身で夜の外出は肩身が狭いがの」
観世音寺というのは大河内家所有の単立寺院である。
「重ね重ね申し訳ありません」
森岡は再度頭を下げた。大河内は皮肉を言うような人間ではないとわかっているが、神村のためとはいえ、彼を今の境遇に追い遣ったことに対する良心の呵責があった。
「冗談じゃよ、森岡君。それどころか、愚息を無量会の仲間に入れて貰ったお蔭で、子々孫々の生計に憂いが無くなったと感謝している」
大河内は身を正して礼を言った。
森岡は、岩清水哲弦が取り組んでいた京都堀川にある無縁仏移設に絡んで、別格大本山法国寺の裏山に大規模な霊園事業を展開しようとしていた。その霊園を供養管理する四ヶ寺からなる無量会に観世音寺を参入させたのである。最終的には、一寺院当たり、年間一千万円以上の供養料が見込まれる大規模事業であった。
「霊園開発は順調に進んでおりますので、早ければ来年から多少の供養料が入ると思います。後は順次拡大して行く予定ですのでご安心下さい」
「君のことだ。間違いはないと安心している。私も身軽になったことだし、のんびりと余生を送ることに決めたよ」
大河内は晴れ晴れとした顔つきで言った。
「さて、世間がそのように放ってくれましょうか。まだまだお上人の出番はあるように思えますが」
森岡は追従したのではない。なんとなく、この先大河内に頼る場面がありそうな予感が働いていた。
「ふふふ……」
大河内は声もなく笑うと、
「それはそうと、今日の用件は何かな」
と本題に入れと促した。
「実は、お上人にお尋ねしたいことがございまして」
「それは珍しい。神村上人の知らないことを私が知っているとも思えないが」
「それが、枕木山についてなのです」
「枕木山? 総本山の」
はい、と森岡は期待の視線を大河内を向けた。
大河内は、長らく宗門の大学である立国大学で教鞭を取っていた。専攻は宗教史
である。当然のことながら、その中心は天真宗ということになる。また、在野の僧侶にしては珍しく、妙顕修行堂で三度の荒行を満行している。つまり、総本山について博学である可能性が高いと推察できた。
「枕木山について何が知りたいのかな」
「何か秘伝といいますか、秘密のようなことはないでしょうか」
「秘密のう」
大河内は腕組みをしてしばらく考え込んだ後、
「中腹に古い史跡があるが、そのことかな」
と探るような目で森岡を見た。
末弟である栄相の、己の血脈者による法統継承という反逆にも等しい野望を見抜いた宗祖栄真大聖人は、遺言によって血脈者による後継を否定しただけでなく、栄相及び彼の子孫が妙顕山に子院を建立することすらも認めなかった。
そこで栄相は、妙顕山の西方に位置する枕木山に小さな庵を構えた。交通や連絡手段の困難な時代である。在野に下り、総本山の動向が掴み難くなってしまえば、総本山内に足掛かりを築くことさえ困難になると、危惧してのことだった。
栄相の子孫は捲土重来を期して慎ましやかな草庵生活を続け、ついに室町時代に入り、護山である高尾山に瑞真寺を建立することに成功した。
だが、天真宗所有の山とはいえ、総本山どころか護山でもない枕木山の草庵である。瑞真寺建立の代償として、時代の流れと共に世間はもちろんのこと、総本山からも忘れ去られる運命を辿ったのである。
景山と榊原から目ぼしい情報が得られなかった森岡は、次の手立てとして、京都祇園のお茶屋吉力に大河内法悦を招待した。京都大本山傳法寺の元貫主だった高僧である。
大河内は別格大本山法国寺貫主の座を巡って、久田帝玄と総務藤井清堂の実弟清慶との板挟みになり、苦渋の末、傳法寺の貫主の座を辞していた。森岡の依頼を受けた永井宗務総長の因果を含める巧妙な示唆によってである。
したがって大河内にとって森岡は、いわば不倶戴天の敵と言えなくもなかったが、予想に反して快く面談に応じてくれた。
お茶屋吉力は、古都京都でも一、二を争う老舗の名店で、当然のことながら一見はお断りの店である。いかに著名人あっても社会的地位が高い者でも、店が認めた人物からの紹介がなければ敷居を跨ぐことはできない。
大阪梅田の幸苑と同様、森岡は大学時代に神村の相伴で何度も訪れていた。神村の有力な支援者の中に京都の老舗人形店の社長がいたのだが、彼の饗応がこの吉力だった関係で、森岡は女将の和泉貴子(いずみたかこ)とも昵懇だった。
女将は戦国時代、宇治会合衆の一人だった和泉家の子孫である。会合衆とは、自治都市宇治の運営にあたって指導的役割を果たした合議制の機関のことで、簡単に言えば京都でも名立たる豪商の一人だったということである。
「過日は、大変ご迷惑をお掛けしました」
森岡は開口一番、あらためて謝罪した。
「そのことはもう良い」
大河内は磊落に笑い返した。
「また、本日はこのような場にお呼び立て致しまして申し訳けございません」
品行方正な大河内が、華美な饗応を嫌っていることを森岡は知っていた。
いや構わない、と大河内は顔の前で手を振った。
「私も神村上人や御前様の懐刀には興味があった。それに傳法寺の貫主を辞したことだし、観世音寺はすでに愚息が継いでいるから、いまさら世間を憚ることもない」
大河内はそう言うと苦笑いを浮かべた。
「ただ、隠居の身で夜の外出は肩身が狭いがの」
観世音寺というのは大河内家所有の単立寺院である。
「重ね重ね申し訳ありません」
森岡は再度頭を下げた。大河内は皮肉を言うような人間ではないとわかっているが、神村のためとはいえ、彼を今の境遇に追い遣ったことに対する良心の呵責があった。
「冗談じゃよ、森岡君。それどころか、愚息を無量会の仲間に入れて貰ったお蔭で、子々孫々の生計に憂いが無くなったと感謝している」
大河内は身を正して礼を言った。
森岡は、岩清水哲弦が取り組んでいた京都堀川にある無縁仏移設に絡んで、別格大本山法国寺の裏山に大規模な霊園事業を展開しようとしていた。その霊園を供養管理する四ヶ寺からなる無量会に観世音寺を参入させたのである。最終的には、一寺院当たり、年間一千万円以上の供養料が見込まれる大規模事業であった。
「霊園開発は順調に進んでおりますので、早ければ来年から多少の供養料が入ると思います。後は順次拡大して行く予定ですのでご安心下さい」
「君のことだ。間違いはないと安心している。私も身軽になったことだし、のんびりと余生を送ることに決めたよ」
大河内は晴れ晴れとした顔つきで言った。
「さて、世間がそのように放ってくれましょうか。まだまだお上人の出番はあるように思えますが」
森岡は追従したのではない。なんとなく、この先大河内に頼る場面がありそうな予感が働いていた。
「ふふふ……」
大河内は声もなく笑うと、
「それはそうと、今日の用件は何かな」
と本題に入れと促した。
「実は、お上人にお尋ねしたいことがございまして」
「それは珍しい。神村上人の知らないことを私が知っているとも思えないが」
「それが、枕木山についてなのです」
「枕木山? 総本山の」
はい、と森岡は期待の視線を大河内を向けた。
大河内は、長らく宗門の大学である立国大学で教鞭を取っていた。専攻は宗教史
である。当然のことながら、その中心は天真宗ということになる。また、在野の僧侶にしては珍しく、妙顕修行堂で三度の荒行を満行している。つまり、総本山について博学である可能性が高いと推察できた。
「枕木山について何が知りたいのかな」
「何か秘伝といいますか、秘密のようなことはないでしょうか」
「秘密のう」
大河内は腕組みをしてしばらく考え込んだ後、
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と探るような目で森岡を見た。
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