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聖域の闇 第八章・開帳(14)
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宴もたけなわになった頃、誰かが自坊の御本尊の謂れを話した。総本山は別格としても、集まったのは皆大本山の貫主たちである。各寺院は秘蔵書、秘仏に事欠かなかった。
各々がひとしきり秘蔵物を披瀝した後、最後に栄経の番になった。当然のことながら、栄経は宗祖栄真大聖人が最初に彫った釈迦立像を自慢げに話した。
極め付けの秘蔵仏である。
総本山の宗務総長以外の貫主たちは一様に溜息を吐いた。とくに国真寺貫主栄隆の落胆ぶりは目を覆うばかりであった。国真寺は大本山の中では、とりわけ栄真大聖人の真筆、遺品が少なかったのである。
他の大本山の貫主たちは、国真寺を気の毒に思い、栄隆と目を合わせることを憚ったが、日頃不遇にあった栄経門主は、その鬱憤を晴らすかの如く、ここぞとばかりに勝ち誇った態度を取ってしまった。栄隆と目が合った途端、薄笑いを浮かべてしまったのである。
侮辱されたと受け取った栄隆は腸の煮え返る怒りを覚えたが、座を考え、その場は耐えた。しかし、国真寺へ帰途の途中、随行していた若い執事につい愚痴を漏らしてしまった。
当時は現代と比べようもなく師弟の絆が深い時代である。師の話に憤慨した若い執事は、その数日後に国真寺を出奔した。
若い執事は還俗し、名を駒吉とあらため、寺院の下働きをする小者になった。出奔した目的は瑞真寺の御本尊の強奪である。当初は、瑞真寺へ忍び込もうと考えたが、厨子は施錠されているうえ、そもそも高尾山に隔離された瑞真寺へは近づくことさえ容易ではない。
そこで、二年後の目黒澄福寺での出開帳に狙いを付けた。駒吉は首尾よく澄福寺の下働きに入り込むことに成功した。だが、思っていた以上に警護が厳しく、駒吉は成す術がなかった。
落胆した駒吉に吉報が届いたのは、それから三ヶ月後のことだった。翌年、鎌倉の長厳寺でもう一度瑞真寺の御本尊の出開帳があるというのだ。
駒吉は天の配剤に感謝した。
この機会を逃すと三十二年後の出開帳を待たねばならなくなる。そのとき、五十歳を超えている自身の生死はともかく、瑞真寺門主の栄経、つまり師の栄隆に恥を掻かせた張本人は間違いなく亡くなっている。
駒吉は、栄経に煮え湯を飲ませる最後の好機だと腹を括った。
伝手を頼って長厳寺の下働きに入り込んだ駒吉は、まずは仲間になりそうな者を探した。そうして浮かび上がったのが、鏑木新右衛門(かぶらぎしんえもん)という侍であった。
鏑木新右衛門は、長年に亘り長厳寺が催す祭礼の際の警護役を務めていた。仲間として警護役ほど最適な者はいない。開帳の間は常に御本尊の傍らにいるのだ。しかも鏑木は長厳寺から信頼を得ていた。いわば警察官が泥棒をするようなものである。また、病弱の妻女を抱え、相当な借財を負っていたのも都合が良かった。
駒吉は鏑木に仔細を話し、金と御本尊の強奪を持ち掛けた。
鏑木は悩んだ末に企みに乗ることにした。鏑木は、親戚から資金援助があったと偽り、療養と称して前もって妻を長厳寺の長屋から箱根の温泉宿に移して置き、奪った二百両を持って西国へと逃避した。二百両というのは、妻の薬代を入れても、夫婦二人が十年以上は暮らせる額であった。
一方、御本尊を手に入れた駒吉は、まっしぐらに国真寺へと向かった。
仔細を聞いた栄隆は、思いも寄らぬ仕儀に困惑したものの、すぐに駒吉、いや元執事の忠誠に感激した。
しかし、栄隆が難しい立場に立たされたのも事実である。宗粗栄真大聖人の彫った御本尊を強奪する所業はこのうえない蛮行なのだ。
といって、いまさら瑞真寺へ返還するわけにもいかない。世間の知るところとなれば、国真寺の名誉は地に落ちる。むろん、元執事の悪事だなどという抗弁は通らない。
おそらくは、大本山の寺格を剥奪される処分が下されるに違いない。
悩んだ末に、強奪した釈迦立像を国真寺の御本尊とする腹を固めた栄隆は、その由諸を栄真大聖人が第二回京都巡教の折りと、史実を偽ったのである。
この秘事は国真寺の歴代貫主のみに受け継がれ、決して外に漏れることはなかった。
そういう次第で、大本山国真寺の当代貫主作野の、
『宗祖様が手ずから彫った最古の御本尊』
という言は間違いではなかったのである。
各々がひとしきり秘蔵物を披瀝した後、最後に栄経の番になった。当然のことながら、栄経は宗祖栄真大聖人が最初に彫った釈迦立像を自慢げに話した。
極め付けの秘蔵仏である。
総本山の宗務総長以外の貫主たちは一様に溜息を吐いた。とくに国真寺貫主栄隆の落胆ぶりは目を覆うばかりであった。国真寺は大本山の中では、とりわけ栄真大聖人の真筆、遺品が少なかったのである。
他の大本山の貫主たちは、国真寺を気の毒に思い、栄隆と目を合わせることを憚ったが、日頃不遇にあった栄経門主は、その鬱憤を晴らすかの如く、ここぞとばかりに勝ち誇った態度を取ってしまった。栄隆と目が合った途端、薄笑いを浮かべてしまったのである。
侮辱されたと受け取った栄隆は腸の煮え返る怒りを覚えたが、座を考え、その場は耐えた。しかし、国真寺へ帰途の途中、随行していた若い執事につい愚痴を漏らしてしまった。
当時は現代と比べようもなく師弟の絆が深い時代である。師の話に憤慨した若い執事は、その数日後に国真寺を出奔した。
若い執事は還俗し、名を駒吉とあらため、寺院の下働きをする小者になった。出奔した目的は瑞真寺の御本尊の強奪である。当初は、瑞真寺へ忍び込もうと考えたが、厨子は施錠されているうえ、そもそも高尾山に隔離された瑞真寺へは近づくことさえ容易ではない。
そこで、二年後の目黒澄福寺での出開帳に狙いを付けた。駒吉は首尾よく澄福寺の下働きに入り込むことに成功した。だが、思っていた以上に警護が厳しく、駒吉は成す術がなかった。
落胆した駒吉に吉報が届いたのは、それから三ヶ月後のことだった。翌年、鎌倉の長厳寺でもう一度瑞真寺の御本尊の出開帳があるというのだ。
駒吉は天の配剤に感謝した。
この機会を逃すと三十二年後の出開帳を待たねばならなくなる。そのとき、五十歳を超えている自身の生死はともかく、瑞真寺門主の栄経、つまり師の栄隆に恥を掻かせた張本人は間違いなく亡くなっている。
駒吉は、栄経に煮え湯を飲ませる最後の好機だと腹を括った。
伝手を頼って長厳寺の下働きに入り込んだ駒吉は、まずは仲間になりそうな者を探した。そうして浮かび上がったのが、鏑木新右衛門(かぶらぎしんえもん)という侍であった。
鏑木新右衛門は、長年に亘り長厳寺が催す祭礼の際の警護役を務めていた。仲間として警護役ほど最適な者はいない。開帳の間は常に御本尊の傍らにいるのだ。しかも鏑木は長厳寺から信頼を得ていた。いわば警察官が泥棒をするようなものである。また、病弱の妻女を抱え、相当な借財を負っていたのも都合が良かった。
駒吉は鏑木に仔細を話し、金と御本尊の強奪を持ち掛けた。
鏑木は悩んだ末に企みに乗ることにした。鏑木は、親戚から資金援助があったと偽り、療養と称して前もって妻を長厳寺の長屋から箱根の温泉宿に移して置き、奪った二百両を持って西国へと逃避した。二百両というのは、妻の薬代を入れても、夫婦二人が十年以上は暮らせる額であった。
一方、御本尊を手に入れた駒吉は、まっしぐらに国真寺へと向かった。
仔細を聞いた栄隆は、思いも寄らぬ仕儀に困惑したものの、すぐに駒吉、いや元執事の忠誠に感激した。
しかし、栄隆が難しい立場に立たされたのも事実である。宗粗栄真大聖人の彫った御本尊を強奪する所業はこのうえない蛮行なのだ。
といって、いまさら瑞真寺へ返還するわけにもいかない。世間の知るところとなれば、国真寺の名誉は地に落ちる。むろん、元執事の悪事だなどという抗弁は通らない。
おそらくは、大本山の寺格を剥奪される処分が下されるに違いない。
悩んだ末に、強奪した釈迦立像を国真寺の御本尊とする腹を固めた栄隆は、その由諸を栄真大聖人が第二回京都巡教の折りと、史実を偽ったのである。
この秘事は国真寺の歴代貫主のみに受け継がれ、決して外に漏れることはなかった。
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という言は間違いではなかったのである。
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