鈴蛍

久遠

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 あっという間だった。
 激情は、洋平の心の器を超えて溢れ出てしまい、いとも簡単に心そのものを壊してしまった。彼女の死を受け止め切れない彼の心は、現実から逃避し、正常な思考回路を失い、全くの無になってしまったのである。
 美鈴がもうこの世には存在しないとはどういうことなのか?
 洋平は、離れていて逢うことができないということと、この世から消えてしまったということの区別がつかなくなった。

 どれだけ時間が過ぎたかわからない。
 洋平は、美鈴の声が聞えたようで、顔を上げたが、風の泣き声が耳に届いただけだった。
 現実に引き戻された洋平に、再び悲しみが襲い掛かってきた。
 洋平は、再び哭いた。拭いても、拭いても涙は止めどなく溢れ、ジャンパーの両 袖は濡れ雑巾のようになっていた。
 時はさらに過ぎ去った。
 永遠かと思われた悲しみの時にも、終焉というものがあるのだろうか。嗚咽はしだいに治まり、涙も流れなくなった。だがそれは、悲しみが薄れたのではなく、心が悲しみに麻痺してしまっただけのことだった。
 洋平には、美鈴の手紙を読む勇気などなかったが、さりとて、彼女の最後の手紙を読まずに遣り過ごす訳にもいかなかった。彼は、より深い悲しみに襲われることを承知しながら、どうせ悲しいのなら、いっそのこと、今その悲しみの全てを受けてしまおうと、覚悟を決めた。
 洋平は、同封してあった手紙を、ゆっくりと取り出して読み始めた。

「洋君、こんにちは。長い間、返事のお手紙を書かなくてごめんなさい。
 汚い字でびっくりしたでしょう。私、病気になって、こんな字しか書けなくなって、恥ずかしいのでお手紙書きませんでした。でも、もうすぐ汚い字でも書けなくなりそうなので、最後にこのお手紙を書きました。どうしても、洋君に謝っておきたいことがあったのです。
 それはね、昨年の夏、海水浴の集合場所で、初めて洋君を知ったように振舞っていたけれど、本当は違うのです。
 私は、昨年のお正月にも美保浦に行っていました。獅子舞が、二回おうちに来たんだけど、そのとき、二階のお部屋から、大きな太鼓を叩いている男の子を見ました。前髪を風になびかせ、ちょっと口を尖らせて、とても上手に太鼓を叩いていた男の子は、すごく格好良かった。私は、従姉のお姉さんから、その男の子が洋君だと教えてもらいました。
 お姉さんは、洋君のお姉さんとお友達で、おうちにもよく遊びに行ったりしていて、洋君を小さい頃から知っていたので、いろいろな話をしてくれました。
 とっても頭が良くて、運動も得意で、近所の小さい子供たちを集めて一緒に遊んだり、勉強を教えてあげたりしている、とてもやさしい男の子だとも聞きました。 他にもたくさん洋君のことを聞きました。お姉さんの話を聞いているうちに、私の胸は、洋君のことでいっぱいになっていきました。自慢じゃないけど、私は男の子に人気がありました。でも、一度も話をしたことのない洋君のことが好きになってしまいました。
 私は、ずっと前に洋君を知っていました。うそをついてごめんなさい。いつか、どっちが先に好きになったか、口げんかしたけど、私の方が先に好きになっていた のです。
 それで、昨年の夏には、どうしても洋君に逢いたかったので、両親にお願いをして、一人で早く美保浦に行ったのです。お姉さんから、洋君はいつも海水浴に行くということを聞いたので、あの日、あの場所で待っていたのです。
 私は、洋君がやって来たとき、緊張して胸が張り裂けるかと思うくらいどきどきしていました。小浜で、私がどうやって洋君に話し掛けようかと思いながら海を見つめていたとき、洋君が傍に座ってくれたので、勇気を出して話し掛けたたのです。
 だから、初めて洋君のおうちに行った日、お姉さんが、洋君が私のことを好きだって言ってくれたとき、『やったあー』と大声で叫びたいぐらいにとてもうれしかった。
 その日から、毎日、毎日洋君と一緒で楽しかった。一緒に勉強したし、魚釣りに連れて行ってくれた。畑で食べたうり、とてもおいしかった。盆踊りの稽古楽しかった。あの蛍すごかったね。いまでもはっきりと目に残っているよ。
 洋君と過ごした思い出の中でも、最後の夜の二人だけの冒険と納屋でのことは、特別な宝物として心にしまっています。
 もう一つ、美保浦神社と地主さんに、何をお願いしたか告白するね。それはね、美保浦神社には『洋君が私のことを好きになりますように』ってお願いをしたの。だって、美保浦神社は出雲大社と関係があるのでしょう。だから、洋君と結ばれますようにとお祈りをしたの。
 地主さんには『洋君がずっと私のことを好きでいますように』とお祈りしました。『これから先も、洋君の気持ちが変わることのないようにして下さい』って、 洋君の守護霊様にお願いをしたのです。
 あのときは恥ずかしくて言えなかったけれど、今なら言えるから……。二つとも私の願いは叶いました。洋君も私を好きになってくれたし、私はもうすぐ消えてなくなっちゃうから、洋君に好かれたままで終われそうです。
 洋君、最後にお願いがあります。
 鈴のこと忘れないでください。いつもでなくていいから、ときどき思い出してね。鈴ね、毎年お盆になったら、蛍になって洋君のおうちのお庭を飛んでいるから、そのときは鈴を思い出してね。
 洋君、がんばって勉強して大きな人になってね。世の中のためになる人になってね。鈴は、お空の上からいつでも洋君を見ているよ。お盆の夜、洋君が話してくれた神話のように、いつまでも洋君を見守っているよ。だから、鈴の分まで思いっきりすてきに生きてね。
 洋君、去年の夏休み、いつも一緒にいてくれてありがとう。鈴を好きになってくれてありがとう。洋君が納屋で言ってくれた言葉、とてもうれしかった。心に刻んで、何度も何度も思い出しています。
 鈴も洋君が大好きでした。一緒にいた時間はとても短かったけれど、鈴は洋君と出逢えてとても幸せでした。
 鈴も、もっともっと長く、洋君と一緒に生きたかったけれど、約束を守れそうもありません。もう洋君と逢えそうもありません。この手紙が洋君に届いたときには、鈴はもうこの世からいなくなっていると思います。
 洋君、こんな手紙が最後の手紙になってごめんなさい。本当にごめんなさい。そして、心からありがとう。

 私の大好きな洋君へ                       美鈴   


 鈴ちゃん……、洋平は呻きながら、指で便箋の端を弾いた。そこには拳を突き出した挿絵が書いてあった。
 また涙が止まらなくなった。
 せっかく堪えていたのに、また涙が止まらなくなった。散々哭き尽くして、もう涙は残っていないはずなのに……。
 洋平は哭いた。身体中の水分という水分が全て涙に変わってしまったのかと思うほど哭いた。生まれてからこれまで、ほとんど哭かなかった分と、これから先の一生で哭く分の全ての涙を、今ここで出しつくしてしまうのかと思うほど哭いた。
 汚い字だった。あれほど綺麗だった字は影も形もなく、ようやく読めるほどの汚い字だった。だが、この手紙に込められた魂の叫びは、洋平の琴線に触れ、激しく魂を揺さぶった。
 ところどころ、文字が滲んでいた。
 きっと、泣きながら書いたのだろう。辛かっただろう、悲しかっただろう、怖かっただろう。
 洋平は、この手紙をどんな想いで書いていたのだろうかと思うと、愛おしくやるせなかった。
 洋平の頭の中を、美鈴と一緒に過ごしたあの夏休みの、ありとあらゆる場面が、次から次へと浮かんでは消えた。そして、彼の心に棘のように刺さっていた疑問が、まるで差し出した手のひらに落ちては消え、消えてはまた落ちる雪のように、一つ一つ解けていった。

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