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外は昨年と同じく雨が落ちていた。洋平は夜空を仰いで、降りしきる雨粒を顔に受けながら、漆黒の闇の向こうにいるであろう美鈴に向けて、届けとばかりに吼え続けた。
通りかかった村人は、慟哭している彼の姿に何事かと思い、一瞬声を掛けそうになったが、恵比寿の総領のただならぬ様子に、とうてい手に負えることではないと感じ取ったのか、無言のまま立ち去って行った。
洋平は雨に打たれながら立ち竦んでいた。まるで悲しみの全てを流し尽してくれることを願うかのように……。
その彼の耳に、海岸の方角から盆踊りの口説きとリズムを取る太鼓の音が入り込んできた。雨の中、踊り手はいないものの、景気付けに流しているものらしかった。
人生の機微をなぞらえた詞と、そこはかとない哀愁を漂わせる旋律、そして耳に残る懐かしい鼓動にも似た太鼓の音が、自然と身体の中に染み入り、心の痛みを癒してくれた。
それは赤児のときに母の背で聞いた子守唄のような、お腹の中で聞いていた胸の鼓動を確認したときような安らぎだった。
やがて、大工屋の家の中からも口説きが聞こえて来た。
美保浦において、初盆を迎えた家は集まった者皆が踊って、故人の魂を慰めるのが慣わしだった。
美鈴のための盆踊りが始まったのだ。
洋平も哭いてばかりいられなかった。彼は家の中に戻ると、一足先に浴衣から精霊舟に乗り込む装いに着替え、踊りの輪の中に入っていった。
昨年の恵比寿家とはまるっきり違っていた。踊りの輪に笑顔は一つもなく、誰もが幼い魂を精魂込めて慰めようと無心に踊っていた。大人たちの見慣れぬ形相に臆したのか、これまではしゃいでいた幼子たちも、ある者は神妙に踊りを見つめ、またある者はその場を遠く離れて行った。
三十分ほどでカセットからの節が途切れ、一通りの踊りは終わりを告げた。夜とはいえ、身体中が汗まみれになった。
皆が団扇を仰いで涼を取り、冷えたビールを飲んで喉を潤す中、洋平が思わず行動に出た。
正座をすると、意を決したように口を開いたのである。
「皆さん、お疲れでしょうが、もう一回踊ってもらえませんか、お願いしますけん」
洋平は頭を畳に擦り付けた。彼は一心不乱に踊り続けたかった。美鈴の魂を慰めるためにも、己の悲しみを消化するためにも、ただひたすら踊っていたかった。
「おらもお願いしますけん」
洋平の心情を察した隆夫が一緒に頭を下げた。
とんでもない申し出に、一同は困惑した様子で、しばらくは静まり返っていたが、そのうち親戚の誰かが声を上げた。
「おお、そうじゃ、そうじゃ、一回だけでは幼い魂は慰められんわい」
すると別の者が、
「恵比寿の総領さんに頭を下げてもろうて、否とは言えんじゃろ。もう一回と言わず、二回でも三回でも踊っちゃらいや」
と続けた。
その言葉がきっかけとなって、
「何度でも踊っちゃらい」
とか、
「交代で踊り続けりゃえんじゃないか」
とか口々に言い出して、美鈴のための盆踊りを続けることになった。
口にしなかったが、誰もがこの辛い初盆に酒を酌み交わす気分ではなかったのである。
はあ、美保浦の五本松。
一本切りゃあ、四本。
(あほら、しゃんしゃと)
あとは切られぬ夫婦松。
しょこほいの夫婦松ほい。
(よーいやな、やあーてごしぇ)
はあ、美保浦に生まれて。
美保浦にそだあーつ。
(あほら、しゃんしゃと)
美保浦良いとこ、死ぬまでおる。
しょこほいの死ぬまでほい。
(よーいやな、やあーてごしぇ)
美鈴が咽び泣いているかのような霧雨に変わっていた。花火大会は明日に延期となり、盆踊りも様子見となっていた。外に出る自由を奪われ、手持無沙汰になった幼子たちが、途中から輪の中に混じりだした。
残酷にも、この場の情景の一つ一つが美鈴のいた昨年のそれと重なり合い、洋平の胸を締め付けていった。
二十時から始まった盆踊りは、休憩を取りながら零時までの四時間の間に六度行われ、洋平と隆夫は六度とも踊り切った。
踊り手の想いが天に届いたのか、美鈴の霊魂が諌められたかのように雨は弱まって行き、日付が変わる前にはすっかり上がっていた。
最後の踊りの途中に訪れた住職は、仔細を聞いて、それほど踊ったという話はこれまでに訊いたことがないと感服し、自らも踊りの輪に入った。
住職は、毎年夕方から初盆の家々を読経して回り、最後に寄った家の精霊舟を見送るため、同船して沖に出ることになっていた。その年、初盆を迎えた各家の中で、最も縁深い家の仏様と同船するのがしきたりで、今年は大工屋と決まっていた。
通りかかった村人は、慟哭している彼の姿に何事かと思い、一瞬声を掛けそうになったが、恵比寿の総領のただならぬ様子に、とうてい手に負えることではないと感じ取ったのか、無言のまま立ち去って行った。
洋平は雨に打たれながら立ち竦んでいた。まるで悲しみの全てを流し尽してくれることを願うかのように……。
その彼の耳に、海岸の方角から盆踊りの口説きとリズムを取る太鼓の音が入り込んできた。雨の中、踊り手はいないものの、景気付けに流しているものらしかった。
人生の機微をなぞらえた詞と、そこはかとない哀愁を漂わせる旋律、そして耳に残る懐かしい鼓動にも似た太鼓の音が、自然と身体の中に染み入り、心の痛みを癒してくれた。
それは赤児のときに母の背で聞いた子守唄のような、お腹の中で聞いていた胸の鼓動を確認したときような安らぎだった。
やがて、大工屋の家の中からも口説きが聞こえて来た。
美保浦において、初盆を迎えた家は集まった者皆が踊って、故人の魂を慰めるのが慣わしだった。
美鈴のための盆踊りが始まったのだ。
洋平も哭いてばかりいられなかった。彼は家の中に戻ると、一足先に浴衣から精霊舟に乗り込む装いに着替え、踊りの輪の中に入っていった。
昨年の恵比寿家とはまるっきり違っていた。踊りの輪に笑顔は一つもなく、誰もが幼い魂を精魂込めて慰めようと無心に踊っていた。大人たちの見慣れぬ形相に臆したのか、これまではしゃいでいた幼子たちも、ある者は神妙に踊りを見つめ、またある者はその場を遠く離れて行った。
三十分ほどでカセットからの節が途切れ、一通りの踊りは終わりを告げた。夜とはいえ、身体中が汗まみれになった。
皆が団扇を仰いで涼を取り、冷えたビールを飲んで喉を潤す中、洋平が思わず行動に出た。
正座をすると、意を決したように口を開いたのである。
「皆さん、お疲れでしょうが、もう一回踊ってもらえませんか、お願いしますけん」
洋平は頭を畳に擦り付けた。彼は一心不乱に踊り続けたかった。美鈴の魂を慰めるためにも、己の悲しみを消化するためにも、ただひたすら踊っていたかった。
「おらもお願いしますけん」
洋平の心情を察した隆夫が一緒に頭を下げた。
とんでもない申し出に、一同は困惑した様子で、しばらくは静まり返っていたが、そのうち親戚の誰かが声を上げた。
「おお、そうじゃ、そうじゃ、一回だけでは幼い魂は慰められんわい」
すると別の者が、
「恵比寿の総領さんに頭を下げてもろうて、否とは言えんじゃろ。もう一回と言わず、二回でも三回でも踊っちゃらいや」
と続けた。
その言葉がきっかけとなって、
「何度でも踊っちゃらい」
とか、
「交代で踊り続けりゃえんじゃないか」
とか口々に言い出して、美鈴のための盆踊りを続けることになった。
口にしなかったが、誰もがこの辛い初盆に酒を酌み交わす気分ではなかったのである。
はあ、美保浦の五本松。
一本切りゃあ、四本。
(あほら、しゃんしゃと)
あとは切られぬ夫婦松。
しょこほいの夫婦松ほい。
(よーいやな、やあーてごしぇ)
はあ、美保浦に生まれて。
美保浦にそだあーつ。
(あほら、しゃんしゃと)
美保浦良いとこ、死ぬまでおる。
しょこほいの死ぬまでほい。
(よーいやな、やあーてごしぇ)
美鈴が咽び泣いているかのような霧雨に変わっていた。花火大会は明日に延期となり、盆踊りも様子見となっていた。外に出る自由を奪われ、手持無沙汰になった幼子たちが、途中から輪の中に混じりだした。
残酷にも、この場の情景の一つ一つが美鈴のいた昨年のそれと重なり合い、洋平の胸を締め付けていった。
二十時から始まった盆踊りは、休憩を取りながら零時までの四時間の間に六度行われ、洋平と隆夫は六度とも踊り切った。
踊り手の想いが天に届いたのか、美鈴の霊魂が諌められたかのように雨は弱まって行き、日付が変わる前にはすっかり上がっていた。
最後の踊りの途中に訪れた住職は、仔細を聞いて、それほど踊ったという話はこれまでに訊いたことがないと感服し、自らも踊りの輪に入った。
住職は、毎年夕方から初盆の家々を読経して回り、最後に寄った家の精霊舟を見送るため、同船して沖に出ることになっていた。その年、初盆を迎えた各家の中で、最も縁深い家の仏様と同船するのがしきたりで、今年は大工屋と決まっていた。
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