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4話 到達点

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 修行二十年目


「……そろそろ仕上げにとりかかるか」

 この山で修行を始めて早二十年が経過した。

 これまで『心技体』の三項目を鍛え続けてきた。

 修行十年目あたりで身体能力のピークを迎え、十五年目で技術の限界を迎えた。

 そして二十年が経過し、ついに心を鍛え上げた。

 剣の極地に至るために必要なことは全部してきた。
 あとは自分が満足する一太刀を振るだけだ。

 そのために必要な修行は……。

「やっぱり、原点回帰だよなぁー」

 俺はこの山ごもりを始めてから続けている修行である素振りを行うことにした。
 だけど、ただこれまでみたいに一心不乱に剣を振り続ける訳じゃない。

 剣を中段に構えて、息を整えて精神を統一し、集中する。
 そしてゆっくりと剣を振り上げ……一気に下ろす。

 自分の精神状態が満足のいくまで、決して剣を振らない。
 それどころか、微動だにすらしない。

 例え、雨が降っても、雪が降っても、雷が落ちても、獣が現れても、決して動かず、そして、自身の集中が頂点に達した時にはじめて……

「……ふっ!」

 剣を振り下ろす。

 ブンっと、剣が空を裂く音だけが響き渡る。

「……うーん、失敗か」

 剣速も、威力もこの二十年で大幅に成長した。
 だけど、他でもない俺がこの一太刀に納得できていない。

「まだ邪念があるのかなぁ……」

 ともかく、また最初から剣を構えて集中する。

 そして、集中がピークに達した時点で、剣を振る。

「くそっ、やっぱり違うんだよなぁ」

 また納得のいく剣を振れなかった。

「って、うわっ……もうこんな時間か!?」

 集中していて気が付かなかったけど、既に日は落ちて周囲は暗くなっていた。
 今の一太刀を振るのに、何時間かかったんだろう?

「……この修行、すっごい疲れるな……」

 永年の修行の成果か、俺は無尽蔵のスタミナを得ることができた。
 三日三晩くらいなら、一回も休むことなく剣を振り続けることもできる。

 だけど、一日にたった数回剣を振っただけで、疲弊して手が小刻みに震え出す。

 どうやらこの修行は体力の消耗以上に、精神の磨耗が多い。

「でも、キツイからこそやりがいがある!」

 能力が向上してきたせいで、最近はどんな修行をしてもキツイや辛いといった感情を久しく忘れていた。

 でも、今日はしっかり休んで明日からの修行に備えよう。
 数年前に休むことの大切さも学んだからな。

「さて、飯食べて寝るかー!」

 必ず剣の極地に辿り着いてみせるぞ!!

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 集中力を高めてから素振りをする修行を始めて早半年が経った。
 この修行の成果か、俺の集中力が研ぎ澄まされてきた。

 多分、この修行を極めれば剣の極地に到達できるはずなんだ。


「ふぅー……ふぅー……ふぅー……」

 周囲には俺の呼吸音と雨の打つ音しかしない。
 こうして目を瞑りながら剣を構えて、何日が経っただろうか?

 一日……三日……いや、もしかしたらまだ一時間しか経ってないのかもしれない。

 灰色の曇り空から大粒の雨が降り注ぎ、体力を奪っていく。

 時間の感覚が狂い、手先の感覚も無くなってきた。
 だけど、それは疲労からきてる訳じゃない。

 むしろその逆。
 心が至高の領域に到達したのが分かる。

 もう少し……あとちょっとで何かを掴める気がするんだ。

 集中しろ。
 集中するんだ。

 集中の極限の先……そこに俺の追い求め続けたモノがある。

 俺が剣を振り続けてきたのはこの日、この時、この瞬間のため!

 聴覚も段々と薄れていき、雨音や呼吸音すらかき消されていく。
 残った音は自身の心音だけ。

 トクン……トクン……と、小気味よい音だけが響き渡る。
 だけど、その音も次第に小さくなっていき、そして無音になった瞬間、俺はゆっくりと剣を振り上げ……そして、

「ふっ!!」

 一気に振り下ろす。

 今までは刃がくうを裂いた音がしていたけど、この一太刀は全くの無音だった。

 そして、同時に確信する。

「やっと……届いた」

 ああ、ここが俺が探し続けてきた到達点、剣の極地……俺の二十年はこの一瞬のためにあったんだ、と。

 俺の放った素振りの余波で空を覆っていた雲が真っ二つに切り裂かれ、真っ青な晴天が拡がる。

「……ありがとう、ございました」

 何に、そして誰に対する感謝かは分からない。
 ただ、ここに至るまでの全てに感謝をしたくて、俺は反射的に頭を下げた。

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「さて、久しぶりに街に降りるか!」

 自分が望み続けた剣を振るうことができたため、この山籠りを終了することにした。
 この山で修行を続けてもう二十年か。

 最初は終わりが見えない修行だったけど、実際に終わってみればあっという間だった気もする。

 少ない荷物をまとめて早速山を降りる準備をしていると、ふと川に写った自分の姿を見て動きを止めてしまう。

「うーん、この格好は流石になぁ……」

 服はボロボロ、髪や髭はだらしなく伸びっぱなし。
 この二十年、ずっと山にこもっていたせいで人に会うことなんて無かったから、身だしなみを整える必要性を感じず、ずっと身なりについては放置してきたけど、このまま山を降りるのはちょっと……いや、大分抵抗があるな。

 今の見た目だと、控えめに言っても、見窄らしい世捨て人がいいところ。
 服は予備を含めてほとんど傷んでしまっているけど、見た目くらいは整えるべきか。

「しょうがないな……。よっと!」

 俺は剣を二度ほど軽く振るう。
 すると、だらしなく伸びていた髪の毛と髭が切り落とされていく。

「うん、まあまあいいんじゃないか?」

 川に反射した自分の顔を確認したら、その出来栄えに我ながら満足する。

 髭は綺麗さっぱり無くなったし、腰近くまで伸びていた長髪は年相応の短髪まで短く整える。

 ……そういえば、元々こんな顔してたっけなぁ……。

 外から見たら俺がまるで魔法を使って身だしなみを整えたように見えるかもしれないけど、実際は違う。
 ネタバラシをすると、剣の振る風圧を利用して風の刃かまいたちを作り出し、その刃を利用して髪の毛や髭を斬っただけだ。

 魔法というよりは大道芸に近い、曲芸のような技だ。
 ほんと、剣の極地に至るまでの道中、こんな小技ばっかり身につけちゃった気がする……。

「まあ、便利な技なことには変わりないけどね」

 俺は気を取り直して再び帰りの身支度を進める。

 といっても、剣以外の物はほとんど持ってきてないから準備はすぐ終わるけどね。


「さて……帰る前にケジメはつけないとなー」

 俺は下山する前に、振り返り、この二十年もの間修行した場所を万感の思いを込めて眺める。

 永年の修行で地形は至る所で変形しているけど、それでもこの場所にある傷のひとつひとつが今では思い出だ。

 この厳しい環境のおかげで俺は心身ともに鍛えられたのは間違いない。

「ありがとうございました!!」

 今回の礼は、俺を鍛えてくれた環境、山や川、そこに存在する生命たちへの礼だ。
 深々と頭を下げて感謝を伝え、俺は清々しい気持ちで下山する。
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