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別れと再会

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それはあまりにあっけなく、私の前に訪れた。

子供の頃に親に決められた政略結婚の相手との結婚を一月後に控え、忙しい日々を送っていた私に、聞かされたのは、彼が事故で亡くなったという訃報。

はじめは受け入れがたく、次に混乱が襲い、最後には意識をも刈り取られ、私はその場で倒れ込んだ。

何度確認しても、間違いのないことらしく、私はその日から生きているのか死んでいるのかわからない状態に陥った。

周りは私達婚約者の仲が良かったことから、随分と心配され、私が後を追わないように監視もつけられた。

あくまで政略結婚なので、そこまでショックを受けたのが自分でも不思議に思うくらい、私は彼のことを心から愛していたようだ。

「オリヴィア、そろそろ何か食べないと貴女まで、死んでしまうわ。少しずつでいいから、何か食べなさい。」

「オリヴィア、お前がずっと悲しんでいては天国で彼が浮かばれないだろう?」


両親の心配そうな声を聞いて、悪いなとは思うものの、全く食欲が湧かない。

最後に会った時の彼は笑っていただろうか。全く思い出せないのは、私が薄情だから?

彼の顔を思い出そうとするたび、黒いインクでぐちゃぐちゃに塗りつぶされた顔を想像してしまう。

そうして、こんな風に涙は止まらなくなり、また誰かを心配させてしまう。

私は日々をただぼんやり生きながら、修道院に行く願いを胸に抱いていた。

私の決意に反対を唱える人はいなかった。私の憔悴を目の当たりにして、貴族だからと無理強いする両親でなかったことを感謝した。



婚約者の彼は侯爵家の長男で、弟が一人いたが、幼い頃に病に罹り、療養の為、離れて暮らしていた。

彼は自身のことを優柔不断と称し、いつも私に釣り合わなくて、申し訳ない、と口にしていた。

私自身、自分に自信のある男性はどこか上から目線で失礼なので、あまり好きではない。彼のような、何を決めるのでもいちいち私の意見を聞いて取り入れてくれるような優しい人が好きだったので、いつも、彼にはそんなこと気にしなくていい、と伝えていた。

彼は確かに優柔不断なところはあるものの、自分でこれ、と決めたことには、凄い集中力で取り組み、成し遂げてしまう。

そのギャップは特に魅力的で、素直にカッコいいと言えた。

この人の妻になる自分を嬉しく思った日を思い出して、また切なくなった。

事故とは聞いたものの、彼のお葬式では遺体の確認をできずにお別れをしなくてはならなかった為、まだ実感はわかない。

遺体の損傷が激しく、生前の彼を知る人には見せられない、と言う。

私はそれについて、どうしても見たいと、我儘を言うのはやめにした。私が認めようが認めまいが、彼は亡くなり、もう生き返らないことは決定している。そして彼は、この先私の夫にはならないし、話をすることも、笑いかけることもない。

およそ十年以上続いた婚約関係は、意外な形で幕を下ろした。






彼の弟が現れたのは、私が修道院へ向かおうと決意した日の一週間程後。亡くなったクリス様と同じ赤茶色の髪を持ち、クリス様より鋭い眼差しでこちらに笑顔を送る。


「貴方、もしかして……」

「ああ、お久しぶりです。覚えて頂けていたなんて、感激です。アンソニー・ヒューズです。以後お見知り置きを。」

久しぶりに会い、懐かしさに胸がいっぱいになる。

私が彼の兄と、婚約してからはずっと疎遠になっていたから。

「病はもう、大丈夫なの?」

彼は大きな瞳をキョトンとさせながら、少し首を傾げた。

「私は、病などしておりませんでしたよ?」

「あら、そうだった?彼が、クリス様が、そう仰っていたように勘違いしていたわ。ごめんなさい。」

「……いえ。オリヴィア様は、変わらずお美しいですね。」

「あら、お世辞が上手になったわね。」

お互いにたわいも無い話をしていると、彼によく似た瞳に、安心を覚える。まるで、クリス様が帰ったような、酷い安心感に支配される。

そして、唐突に理解する。彼は既にこの場にいない、ということを。



「オリヴィア様、大丈夫ですか?」


声をかけられて、やっと自分が震えているのがわかる。

「ええ、大丈夫。」

彼はやはり、クリス様の弟で、とても優しい。私の震える手を握りしめてくれる。


「修道院に入る前の貴重な家族団欒の時間にお邪魔しまして、申し訳ありません。ですが、どうしてもこれだけは、言っておかなければならない、事態になりまして。」

私を気遣う眼差しに、涙が溢れそうになり、無理矢理にでも目に力を込める。

最近、涙腺が崩壊しているみたい。


アンソニー様は、私達に、躊躇いがちに話を始めた。

「最近、兄の偽物が現れたんです。勿論、赤の他人です。調べたところ幼い子供がいます。他人の空似ですが、確かに兄に良く似ていました。兄を太らせて、汚くしたみたいな風貌です。彼が少し前に侯爵家に現れ、兄が生きていたと。

侯爵家では、門前払いしました。他人だと分かっていて、家に入れることはできません。どこから知ったのか、侯爵家に来たぐらいですから、こちらにもその内、来る事があるかも知れない。

それで、申し訳ありませんが、その問題が片付くまでは、修道院に向かうのは、待っていただきたいのです。もし、修道院でオリヴィア様に何か有れば……兄も浮かばれません。また、オリヴィア様が修道院に向かわれるその日まで、私に護衛をさせていただきたいのです。」

「ありがたい話ですが、そこまでお世話になるのは。」

申し訳ないので、断わろうとするが、アンソニー様は、引かない。

「このままでは兄があまりにも……あんな偽物に、兄を愚弄されたく無いのです。」


そう言われてしまえば、断りづらく、つい頷いてしまう。

ホッとしたのは、私だけではなかった。クリス様を義息子とするのを待っていた両親も悲しみを堪えて耐え忍んでいた。

「それなら、狭い屋敷だが、部屋を用意しましょう。」

父は、クリス様によく似たアンソニー様を好ましく思ったようだ。

クリス様の面影を埋めるのに、これほど適した人物はいないだろう。
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