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第17話 その男の死

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 憂慮していた割りに、パーティは滞りなく進んだ。お兄様の挨拶も、ポーリーナとヒースの挨拶も問題なく終わり、泊まりの客たりはそれぞれ与えられた部屋へと戻っていく。

 私も自分の部屋へ行くことにした。立ち去る間際、レイズナーを探すと、酔っ払った中年の貴族に捕まっており、しばらく解放されそうになかった。
 目線を送ると、困ったような笑みが返ってきた。

 先に部屋へ行く、と口元だけで伝え、広間を後にした。たとえ夫婦でも、寝室は別に与えられていた。私の部屋にレイズナーが来る。そう思うと、落ち着かなかった。

 香水を一振りだけして、彼を待つ。
 どんな話しになるのだろう。
 思わず鏡を見て、姿に異常がないか確認した。

 寝間着に着替えておくべき?
 ドレスのままはおかしい?
 でも寝間着で待っているだなんて、いかにも彼に心を許しているように思われない?

 迷ったあげく、着替えることにした。夏の夜の風が心地の良い晩だった。

 ベッドに座りながら、壁時計とにらめっこする。

 彼は来ない。
 一向に。

 まだあの貴族と話し込んでいるのかもしれない。だってかなり酔っていたし……。
 
 時が進む。
 彼はまだ、来ない。

 ――悲鳴が聞こえてきたのはそんな時だった。



 即座異変を感じ、上着だけ羽織り、部屋を出る。と、すぐにハンがやってきて、説明を始めた。

「“広間で男が死んでいます、皆様、混乱していて!”」

 要領を得ない説明に、この目で確かめずにはいられなくなった。ハンが止めたが、私は広間へと向かう。
 
 既に数人の貴族たちの人だかりが、広間の一角を取り囲むようにできていた。お兄様が私の気配に振り返り、静かに言った。

「見るな、ヴィクトリカ」

 けれど私は見てしまった。

 人だかりの中で、胸から血を流し、疑う余地無く死んでいる、一人の男の姿を。彼に見覚えがあった。レイズナーと話していた、エルナンデスと呼ばれていた男だった。

「この男、劇場で絡んできた奴かもしれない。レイブンが追い払ってくれたんだが」
 
 グレイホルム嬢を同伴していた公爵が言う。

「僕はこの昼間、この男とレイブンが連れ立って歩いているのを見たぞ。その時は、従者だと思って気にも留めなかったが」

 ヒースが言い、思わず彼を見た。まるでレイズナーを疑っているような言い方に、内心、舌打ちをしたい気分だった。

 お兄様が側近に命じる。
 
「レイブンを呼べ。説明させる」

「彼を疑っているの?」

 問うが、答えは返ってこない。 

「彼がこの人を殺せるわけ無いわ。だって私、彼と居たのよ。今まで一緒だったわ!」

「ヴィクトリカ、そんな嘘を吐くんじゃない」

 否定したのはヒースだった。確かに嘘だが、なぜ彼が、嘘だと断定できるのか分からない。

「なぜ疑うの! 私は彼の妻よ。夜一緒にいるのは当然だわ」

 カーソンお兄様が、呆れたような目で私を見る。
 何だって言うの? 私はレイズナーの妻で、お兄様の家来ではない。結婚させたのはそっちよ、彼は私の夫だもの。そう簡単に、取り上げさせはしない。

「一体、何の騒ぎだ?」
 
 言いながら現れたのは、レイズナーだった。あろうことか背後に、グレイホルム嬢を伴っている。
 なんておあつらえ向きな。
 皆、息を飲むのが分かった。 
 疑念が、さざ波のように広がっていく。

 私の耳に、嘲るかのようなポーリーナの笑い声が聞こえた。

「馬鹿ねヴィクトリカ! 私とヒースは見たのよ。レイブンが、キンバリー・グレイホルムの部屋に入っていくのを。今も二人、一緒にいたんじゃないの? 彼女はレイブンの、本当の恋人なんでしょう? それをそこの男に知られていたに違いないわ。だから、二人で共謀して殺したんでしょう?」

「そんな……!」

 グレイホルム嬢の顔面は蒼白だ。
 レイズナーにしても、硬直し、何も話さない。二人の視線は、死んでいる男に釘付けだった。

「弁明しなさいレイズナー! このままじゃ……」

 このままでは、不貞を働いた上、殺人者になってしまう。

 だがレイズナーはなおも答えない。
 それではまるで、罪を認めているかのようだ。
 ポーリーナが侮蔑するように言った。

「ヴィクトリカは騙されているんだわ! かわいそうに」

「ポーリーナ、よしなさい!」

 止めたのはルイサお姉様だったが、それさえもポーリーナは気にくわなかったようだ。

「ルイサお姉様はいつもそう! お兄様もよ! いつだって、ヴィクトリカが一番だったじゃない!」

 そんなことはない。私たちはいつも平等だった。だがポーリーナは目に涙を浮かび、叫んだ。

「私だって妹なのよ! ヴィクトリカと同じ、二人の妹だわ!」

 ポーリーナは走り去ってしまった。慌ててヒースが後を追う。

「ポーリーナ! 追います!」

 しん、と静まりかえった広間に、沢山の人の息づかいが聞こえていた。
 私は、手足の先が急速に冷めていくような錯覚を覚えた。

 沈黙を破ったのはお兄様だった。 

「レイブン、貴様を捕らえる。二度目の殺人からは、逃れられない」

 “二度目”、とわざと強調したように思える。レイブンは首を横に振る。

「俺は殺していません、陛下。グレイホルム嬢の部屋に入ったのは、忘れ物を届けに行っただけで、数分でさえない」

「言い訳は後で聞こう。この男とお前の関係など、調べればすぐに分かることだ。それとも、お前の愛人の、そこの娘の仕業だとでも言うのか?」

 レイズナーとグレイホルム嬢を厳しく見た後で、お兄様は、私に顔を向けた。

「ヴィクトリカ、慈悲は不要だ。たとえこの男との間にどんな関係があったにせよ――」

 遮ったのはレイズナーだった。

「関係などありません。彼女は、結婚以来俺に肌を許さなかった。お高い、嫌な女だよ」

「嘘よ……」

 最低だ、と他の貴族に殴られているレイズナーは、二度と私と目を合わせまいと誓っているかのようだ。

「嘘よレイズナー! 皆さん、聞いて、私と、彼は」
 
 愛し合った。体だけじゃなくて、心の底から。

「お前の慈悲など必要ない、薄汚い王族め! 離せ! 自分で歩ける」

 手を縛られたレイズナーは、もみくちゃにされながらも立ち上がった。表情には、かつて城で見せたような、感情を読み取らせないあの冷酷な仮面がついていた。

「地下の貯蔵庫に押し込んでおこう」

 ヒースの父が言う。

「外側から厳重な鍵がかけられる。簡単には破られはしない」

「レイズナー、どうして。なんで……」

 地下に連れて行かれる彼と、目が合った。

 心通じ合っている人に限っての話しだけど、時々、目を見るだけでその人が何を考えているか分かることがある。
 私が彼の猛禽を思わせる鋭い視線を見て悟ったのは、たった一つの事実だ。

 彼は私を心から愛している、と。
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