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わたくし、彼の愛を知っていました
「……とにかく、中へ入ってください。風邪を引いてしまいます」
ウィルの部屋は古い建物の一階にあって、二階にも、三階にも玄関があり、それぞれ別の人が住んでいました。
彼の手から魔法が出され、わたくしの服を一瞬にして乾かします。けれどもわたくしは微笑み、むしろいっぽ離れました。雨が再び体を濡らします。
わたくしの後ろでは彼の髪と同じこげ茶色の馬が、困惑したように佇んでおります。
「あの手紙、あなたの文字ではありませんでした」
笑いかけると、彼の瞳に陰りが差します。
「代筆を頼んだのです。俺は文字が下手だから」
「とても上手な文字を書かれているのを見ましたわ。叔父様にお仕えしているあなたが、文字が書けないなんて信じられません」
けれど彼は首を横に振ります。
「ですが、俺が考えた文面です。暗唱もできます」
沈黙の上に、ざあざあと、雨の音が響きました。
「メイベル様――」
「わたくし、あなたが好きです。好きなのですわ」
彼の言葉を遮って、愛の告白をいたしました。なのに彼の瞳は、更に暗くなっていきます。一体、何がそれほど辛いのか、わたくしには分かりません。
彼は言います。
「メイベル様。あなたは素晴らしい方です。だが勘違いをしていらっしゃる。あなたにとって、ご家族揃って過ごした幼い日々は、何ものにも代え難い美しい思い出なのでしょう。ご兄妹の仲もよろしくて、未来に幸福だけがあると信じられていたその日々は、かけがえのないものだったはずです。
その温かな思い出の中に、俺があった。だから憧憬を恋と間違えているだけでしょう」
「憧憬は憧憬です。恋と見間違えはしません」
「では俺と結婚して、平民の妻になりますか? 動物を殺して捌いて、肉に出来ますか? 戦争に行く夫の帰りを待ちますか? 俺の弟と妹を養いながら、あなたが暮らせるとでも?」
「はい、そう思います」
「あなたには無理だ」
驚くほど冷たい声色でした。びっくりして彼を見上げても、その目からは何の感情も読み取れません。
「エドワード様は、あなたを幸せにしてくださるでしょう」
はっとしました。彼を縛るものの正体に、気付いたように思いました。
「そう言われたのですね? お兄様に、わたくしとエドワード様が結婚すると、そう言われたのですね!」
「確かに言われましたが、同じことです。あなたは貴族で、俺は平民だ。そこには明確な線が引かれているということを、ようやく思い出しました。
俺にはあなたを幸せにする資格はない。金もない」
「叔父様にもらったお金があるでしょう?」
彼はまたしても静かに首を振りました。
「いただいておりません」
それは衝撃的なことでした。なぜ――。だって彼は、お金を得るためにわたくしの側にいたはずなのに、その最大の目的を、どうして捨てたというのでしょう?
わたくしは答えを知っておりました。その答えを思えば、温かな光が、心に広がるようでした。
「わたくしの幸せはわたくしが決めます。誰かに決めてもらわなくても、何が自分にとって幸せかくらいは分かります。誰かに幸せにしていただかなくても結構です。自分で自分を幸せにしてこそ、真の淑女というものですわ。
わたくしは線を引いておりません。線を引いているのはあなたです」
雨の降る中、両手を広げてみせました。
「わたくしを見てくださいまし! 貴族の娘ではなくて、ただの十七のメイベルを!!」
ウィルは黙ってわたくしを見つめております。沈黙を貫く彼に向かって、居ても立っても居られずに、再び叫びました。
「ではあなたが書けばよろしかったのです! あなた自身の手で、わたくしを愛していないと書けばよろしかったのです!
わたくしは行動いたしました。あなたが好きだから、あなたと結婚したくて、何が何でも手に入れたくて、あなたを愛しているから愛して欲しくて行動いたしましたわ!」
雨に負けないくらい、わたくしは大声で言いました。
「あなたは書けなかった。書かなかったのではなく、書けかなった! そうでしょう? だって本心じゃないことですもの!」
彼が書けなかったという事実。それこそがわたくしには、愛おしくて堪らないという恋文に思えてなりません。
ウィルの顔が、歪みました。絞り出すかのような、声が聞こえました。
「……俺に、これ以上、夢を見させないでください。奪われた時に、辛いんです。今よりあなたを愛してしまったら、失った時、俺はきっと耐えられない」
彼もまた、雨に打たれておりました。
ゆっくりと近づいても彼は逃げません。背に触れると、びくりと彼は震えました。
「愛は、素晴らしいものです。わたくしはあなたを愛しています。あなたもそうだと思っていいのなら、わたくし達は大丈夫です。
あなたがわたくしを失うなんてあり得ません。わたくし達なら、耐えられます。結婚式で、誓ったではありませんか。病める時も健やかなる時も死が二人を分かつても――と」
「分かつまで、ですよ」
彼が顔を上げました。
「死にだってわたくし達を引き離せません」
言った瞬間、彼の唇に、自らの唇を重ねました。
いつかと同様抵抗はなく――それどころかわたくしは強く引き寄せられて、先程よりも長いキスがありました。
彼からこんな風にされるのは初めてのことで、思いがけないことに、胸が勝手に鼓動を早めてしまいます。やがて名残惜しそうに体を離すと、彼は言いました。
「愛せないはずがないじゃありませんか」
限界だったかのように、ウィルが吐息を漏らします。
「あなたは俺の欲望に気付いていない。黒い人間ですよ、俺は。慎ましくもないし、見ての通り育ちも悪い」
ウィルの目が、わたくしだけを映しています。
「幼い頃のあなたが、俺の腕の中めがけて飛びついてくる姿の、なんと可愛らしかったことでしょうか。こうしてこの腕で抱きしめ返すことを、何度も何度も夢想していました」
わたくしの心臓は破裂しそうでした。
「思う存分抱きしめてくださいまし」
けれどそう言った瞬間、くしゃみが出ました。突然寒気を覚え、体が震えます。
ウィルが慌ててわたくしの体を魔法で乾かします。暖かい風に、髪がなびきました。
「先に中へ入っていてください。俺は馬を繋いできます」
「はい。待っております」
幸せなやりとりでした。
しかし部屋に入った時に見た光景に、自分が忘れていたことを、思い出します。
――あっ、そうです。いたのですわ。
小さな部屋の中に、子どもが二人。驚いた様子でこちらを見ていました。
子どものうち、体が大きな方――ウィルの弟のキースさんが、わたくしを見て叫びました。
「クソ女! なぜここにいる!」
その鋭い視線は、決してわたくしを認めないとでもいいたげに、存分に敵意を含んでおりました。
ふうむ。
中々、前途多難な新婚生活が待っていそうです。
ウィルの部屋は古い建物の一階にあって、二階にも、三階にも玄関があり、それぞれ別の人が住んでいました。
彼の手から魔法が出され、わたくしの服を一瞬にして乾かします。けれどもわたくしは微笑み、むしろいっぽ離れました。雨が再び体を濡らします。
わたくしの後ろでは彼の髪と同じこげ茶色の馬が、困惑したように佇んでおります。
「あの手紙、あなたの文字ではありませんでした」
笑いかけると、彼の瞳に陰りが差します。
「代筆を頼んだのです。俺は文字が下手だから」
「とても上手な文字を書かれているのを見ましたわ。叔父様にお仕えしているあなたが、文字が書けないなんて信じられません」
けれど彼は首を横に振ります。
「ですが、俺が考えた文面です。暗唱もできます」
沈黙の上に、ざあざあと、雨の音が響きました。
「メイベル様――」
「わたくし、あなたが好きです。好きなのですわ」
彼の言葉を遮って、愛の告白をいたしました。なのに彼の瞳は、更に暗くなっていきます。一体、何がそれほど辛いのか、わたくしには分かりません。
彼は言います。
「メイベル様。あなたは素晴らしい方です。だが勘違いをしていらっしゃる。あなたにとって、ご家族揃って過ごした幼い日々は、何ものにも代え難い美しい思い出なのでしょう。ご兄妹の仲もよろしくて、未来に幸福だけがあると信じられていたその日々は、かけがえのないものだったはずです。
その温かな思い出の中に、俺があった。だから憧憬を恋と間違えているだけでしょう」
「憧憬は憧憬です。恋と見間違えはしません」
「では俺と結婚して、平民の妻になりますか? 動物を殺して捌いて、肉に出来ますか? 戦争に行く夫の帰りを待ちますか? 俺の弟と妹を養いながら、あなたが暮らせるとでも?」
「はい、そう思います」
「あなたには無理だ」
驚くほど冷たい声色でした。びっくりして彼を見上げても、その目からは何の感情も読み取れません。
「エドワード様は、あなたを幸せにしてくださるでしょう」
はっとしました。彼を縛るものの正体に、気付いたように思いました。
「そう言われたのですね? お兄様に、わたくしとエドワード様が結婚すると、そう言われたのですね!」
「確かに言われましたが、同じことです。あなたは貴族で、俺は平民だ。そこには明確な線が引かれているということを、ようやく思い出しました。
俺にはあなたを幸せにする資格はない。金もない」
「叔父様にもらったお金があるでしょう?」
彼はまたしても静かに首を振りました。
「いただいておりません」
それは衝撃的なことでした。なぜ――。だって彼は、お金を得るためにわたくしの側にいたはずなのに、その最大の目的を、どうして捨てたというのでしょう?
わたくしは答えを知っておりました。その答えを思えば、温かな光が、心に広がるようでした。
「わたくしの幸せはわたくしが決めます。誰かに決めてもらわなくても、何が自分にとって幸せかくらいは分かります。誰かに幸せにしていただかなくても結構です。自分で自分を幸せにしてこそ、真の淑女というものですわ。
わたくしは線を引いておりません。線を引いているのはあなたです」
雨の降る中、両手を広げてみせました。
「わたくしを見てくださいまし! 貴族の娘ではなくて、ただの十七のメイベルを!!」
ウィルは黙ってわたくしを見つめております。沈黙を貫く彼に向かって、居ても立っても居られずに、再び叫びました。
「ではあなたが書けばよろしかったのです! あなた自身の手で、わたくしを愛していないと書けばよろしかったのです!
わたくしは行動いたしました。あなたが好きだから、あなたと結婚したくて、何が何でも手に入れたくて、あなたを愛しているから愛して欲しくて行動いたしましたわ!」
雨に負けないくらい、わたくしは大声で言いました。
「あなたは書けなかった。書かなかったのではなく、書けかなった! そうでしょう? だって本心じゃないことですもの!」
彼が書けなかったという事実。それこそがわたくしには、愛おしくて堪らないという恋文に思えてなりません。
ウィルの顔が、歪みました。絞り出すかのような、声が聞こえました。
「……俺に、これ以上、夢を見させないでください。奪われた時に、辛いんです。今よりあなたを愛してしまったら、失った時、俺はきっと耐えられない」
彼もまた、雨に打たれておりました。
ゆっくりと近づいても彼は逃げません。背に触れると、びくりと彼は震えました。
「愛は、素晴らしいものです。わたくしはあなたを愛しています。あなたもそうだと思っていいのなら、わたくし達は大丈夫です。
あなたがわたくしを失うなんてあり得ません。わたくし達なら、耐えられます。結婚式で、誓ったではありませんか。病める時も健やかなる時も死が二人を分かつても――と」
「分かつまで、ですよ」
彼が顔を上げました。
「死にだってわたくし達を引き離せません」
言った瞬間、彼の唇に、自らの唇を重ねました。
いつかと同様抵抗はなく――それどころかわたくしは強く引き寄せられて、先程よりも長いキスがありました。
彼からこんな風にされるのは初めてのことで、思いがけないことに、胸が勝手に鼓動を早めてしまいます。やがて名残惜しそうに体を離すと、彼は言いました。
「愛せないはずがないじゃありませんか」
限界だったかのように、ウィルが吐息を漏らします。
「あなたは俺の欲望に気付いていない。黒い人間ですよ、俺は。慎ましくもないし、見ての通り育ちも悪い」
ウィルの目が、わたくしだけを映しています。
「幼い頃のあなたが、俺の腕の中めがけて飛びついてくる姿の、なんと可愛らしかったことでしょうか。こうしてこの腕で抱きしめ返すことを、何度も何度も夢想していました」
わたくしの心臓は破裂しそうでした。
「思う存分抱きしめてくださいまし」
けれどそう言った瞬間、くしゃみが出ました。突然寒気を覚え、体が震えます。
ウィルが慌ててわたくしの体を魔法で乾かします。暖かい風に、髪がなびきました。
「先に中へ入っていてください。俺は馬を繋いできます」
「はい。待っております」
幸せなやりとりでした。
しかし部屋に入った時に見た光景に、自分が忘れていたことを、思い出します。
――あっ、そうです。いたのですわ。
小さな部屋の中に、子どもが二人。驚いた様子でこちらを見ていました。
子どものうち、体が大きな方――ウィルの弟のキースさんが、わたくしを見て叫びました。
「クソ女! なぜここにいる!」
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