愛しいあなたは竜の番

さくたろう

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第一章 敗北者達へ捧ぐ

生まれ変わった少女

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「――――きゃあ!」

 椅子からずり落ちかけて、フィオナは目を覚ました。
 窓の外を見ると、夕闇に染まり始めている。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。手に持っていた読みかけの本が床に落ち、勝手に頁が開かれた。

 また前世の夢を見た。
 幾度となく見ている夢なのに、処刑の間際の記憶は、何度見ても慣れるということがない。まだ心臓が、煩く鳴っていた。

 フィオナ・ラインというのが、かつての自分の名前だった。

 さる王国の貴族の娘に生まれ、平凡な生を歩み、十五歳になった時に竜人の番として見初められ、三年過ごし、祖国の裏切りにあって捕えられ、あっけなく殺された哀れな少女。何の罪もなかったのに、憎しみにすり潰されて処刑された可哀想なフィオナ・ライン。

 普通なら不幸な話で終わることだ。
 だが、話はそれでは終わらない。ここから先が奇妙な話だ。
 なぜならフィオナは、死んだ年にさっそく生まれ変わってしまったから。

 馬鹿げているとは自分でも思うが、フィオナには、一度死んで、生まれ変わったという確かな記憶があった。
 もっとも、前世の記憶を全部覚えているわけではなく、出身国や家族の名前も忘れてしまっているし、夢を見ても、起きたら詳細は忘れ、輪郭だけを覚えている程度だった。
 だが前世の自分もまた、今と同じ竜人の番だったということは、はっきりと覚えている。
 この生まれ変わりは女神が与えてくれた奇跡なのだと、番の白銀はそう言ってくれた。

 今世の名前はフィオナ。
 姓はなく、単なるフィオナ。

 前世と同じ名前だがそれは偶然ではなく、赤子のフィオナを保護した白銀が付けたからという明確な理由がある。今、東大陸歴は一〇一四年で、フィオナは再び十六歳になっていた。

 前世の記憶がいつからあるのかは知らないが、物心付いたときにはすでに当然のこととして受け入れていた。だから多くの者には前世の記憶がないと知った時には大層驚いたものだ。
 だが前世を覚えているからといって、三十二年分の経験値があるかというとそうでもなく、残念なことに十六歳の脳みそしかなかった。

 今世のフィオナは伯爵令嬢ではなく、輪をかけて平凡な少女で、前世にあった聡明さや落ち着きというものを忘れてしまったかのように頭もあまり良くはない……と自分では思っていた。

(同じなのは外見くらいなものかもしれないわ)

 頭から消えかけていく夢を思い返して、フィオナはそう考えた。だが不思議と目の色だけは異なっていて、前世で美しい水色だった瞳は、今世では金色をしている。

(どちらも綺麗だと白銀様は言ってくださるけど、どうせ生まれ変わるのなら、同じ色にしてくれたら良かったのに。女神様も時々いじわるだわ)
 
 もし前世より今世が優れている部分があるとするのなら、それは命の危機がないことだ。
 白銀はまだ赤ん坊の時にフィオナを探し出して、そうして多重に結界が張られた塔の中に匿ってくれた。
 敵は襲ってこず、守られていて、そもそも友人はおろか知り合いもいないのだから、前世のように裏切られる心配もない。
 
 だから不満はない――と言えば、実は嘘だった。フィオナには不満があった。

 今世のフィオナはこの塔から一歩も外に出たことはなく、もっと言えば、身の回りの世話は魔力を帯びる人工精霊達がしていたため、白銀と、塔の外にいる護衛の他には人を知らなかった。
 外の世界というものを覚える前に隔離されてしまったため、今世でも少しは知っておきたいという願いを抱いていたのだ。
 しかし前世の記憶で世間というものをぼんやりとは知っていたし、今世こそ白銀と添い遂げなくてはならない身の上で、そのために生まれ変わったのだから不満なんて抱くのは身の程知らずというものだということも理解はしていたため、口にすることもできなかった。
 
 おまけに、フィオナを悩ませていたのはそれだけではない。より深刻な悩みを抱いていた。
 
「わたし、やっぱりおかしいのかな。白銀様を見ても、前世の時みたいに思えないなんて」

 口にした瞬間、悲しくて泣きそうになるが、努めて明るい口調で続ける。

「小さい時からずっと一緒にいてくださるから、恋人のときめきなんてもうないのかな。どう思う? ルミナシウス」

 側にいた小さくて水色に光る人工精霊に、フィオナはそう声をかけた。
 
 人工精霊は握った手くらいの大きさをしており、大抵の場合は白く光っていたが、この個体だけは水色を帯びていて、他の精霊達よりひときわ小さく、親指と人差し指を丸めて輪を作ったほどの大きさしかない。おまけに活発な他の精霊達より弱々しく宙を漂っていた。
 生み出す時に失敗したと白銀は言って、この精霊を消そうとしていたが、フィオナは側に置いて欲しいと懇願し、古い言葉で"光”という意味のルミナシウスと名前を付けた。呼びかける度に、胸の内に懐かしさが広がっていくように感じるから、我ながら不思議な名前を付けたものだ。
 この物言わない友人は聞き上手で、いつもフィオナの話を聞いてくれる。

 悩みは白銀のことだ。 
 側で話していても、体に触れても、嬉しいことには変わりないが、前世の時のような胸の高鳴りやふわふわした幸福なんてものを感じなかった。前世では彼を見た瞬間、雷に打たれたみたいな衝撃に震えたはずだったが、今世では側にいて安堵こそ覚えたものの、ときめきなど少しもない。

(そんなこと当の白銀様には口が裂けても言えないけれど)

 人工精霊は慰めるようにフィオナの頬に触れた。

「うん。そうよね、考えても仕方ないわ。そのうち分かるようになるに決まっているもの」

 ――きっとわたしがまだ子供過ぎて、愛とか恋とか無知なだけ。

 ルミナシウスは答えるように、ふわりと浮遊する。人口精霊に心というものはないと白銀は言うが、この個体にはあるように思えてならなかった。
 
(こんな風にあれこれ考えてしまうのは、きっと退屈のせいだわ)

 西大陸で大規模な反乱が起こったらしく、白銀はそちらの平定に向かっており、しばらく会いに来ていない。護衛は塔の外にいて、フィオナに話しかけてくることはない。
 だからもう何十日も、フィオナはルミナシウスを相手におしゃべりするしかなかった。

 多くの時間は、本を読んで過ごしていた。
 塔には白銀がフィオナに与えた多くの本が壁一面を覆い尽くしている。とりわけフィオナが好きだったのは童話を集めた本で、その中でも塔の中にいる姫を王子が救いに来る話がお気に入りだった。

「むかしむかし、あるところに塔に閉じ込められたお姫さまがおりました」
 そんな文言から始まる物語に自分を重ねているのかも知れない。蔦と野薔薇に囲まれた塔が世界の全てなんて、あまりにもつまらないとフィオナは考えていた。

(だからって、勝手に外に出ようとも思わないけれど)

 本を読んでいない時は、塔の窓から外を見て過ごしていた。といっても代わり映えのしない景色で、霧がかった森がどこまでも広がっているだけだ。
 今日は遠くで雷鳴が轟き、それが少し珍しくて、時折光り地面を刺す稲妻を眺めていた。黒い雲が遠くの空を覆っているため土砂降りだろうと思ったが、それさえ羨ましく感じた。雨なんて今世では一度も触れておらず、頬を打つ雫の感覚さえ思い出せないくらいだ。

「ねえルミナシウス。次に白銀様がいらっしゃった時に、外に行かせてもらうようにお願いしてもいいと思う? うん、してみようかしら」

 答えるはずのない人工精霊に、そう声をかけ、本を拾い上げるために床にかがみ込んだ時だ。

 ――異変は、刹那のうちに起こった。

 突然、周囲に閃光が走ったように思えた。
 辺りは一瞬の間だけ白み、まばゆさにフィオナは目を閉じた。続けざまに、破壊音と爆音が響き、塔が揺れた。

 今世では戦争など知らないが、前世の記憶にある争乱は、こんな感じではなかったか。
 生まれてから十六歳の今日まで、争いなど経験したことはなかった。それでも明らかな戦闘の気配が、フィオナの体を恐怖に包む。

 目を開けても、異変は続いていた。窓の外で、黒煙が轟々と上がっているのが見える。
 すぐさま護衛がフィオナの部屋の前に駆け付ける音がした。

「番様、ご無事ですか!」

 フィオナは白銀を番様と呼んでいたが、白銀の配下の彼らはフィオナこそ番と呼んだ。護衛達はいずれも竜人で、決して部屋には足を踏み入れない。それが白銀の命令によるものであると、フィオナはよく知っていた。

「わ、わたしは大丈夫です! あの、何が起こっているんですか?」

 問いかけたが、扉の向こうから返答はなく、代わりに鈍いうめき声と、物が倒れる音がしただけだ。
 だがフィオナは見てしまった。扉の下から、赤黒い大量の血が、こちらに向かって流れてくるのを。

(なに、これ……)

 戦慄し、二、三歩、後ずさりした。だが何も起こらない。
 
 ――――――静寂。
 
 の後、ガチャリと扉の廻し手が音を立てる。
 あまりの恐怖に、フィオナの体は震え始めた。前世で捕らえられ、そして処刑へと続く闇にまっすぐ墜ちた記憶が蘇る。
 ギ、と鈍い音を発しながら、扉が開いた。

「番様ですか……?」

 わずかな望みをかけて、問いかける。
 なぜならこの部屋に入ることが許されるのは、フィオナと、そうして、白銀だけだったからだ。

 だが当然のように、現れたのは彼ではなかった。
 それは一人の若い男だった。

「君が白銀王の番の少女だな」
 
 片手に血の滴る長剣を持ち、漆黒の軍服には返り血を浴びている。
 背が高く、切れ長の目をしていた。鼻筋は通っていて、薄い唇はわずかに弧を描いていた。黒い髪は戦闘のためか乱れ、真紅の瞳はこちらをじっと凝視している。その目がにわかに細められ、口から声が発せられた。

「驚いたな。まるでかつてのフィオナ・ラインに生き写しじゃないか」

 彼を見て、フィオナは目を見張った。

 彼が身を包む黒い軍服が、返り血を浴びていたから、ではない。
 彼の異様な目のギラつきに恐れをなしたから、でもない。
 彼が自分と同じヒト族で、自分以外のヒト族に会うのが初めてだったから――でもなかった。
 
 彼の姿を見て、フィオナの胸は信じられないほど高鳴った。今まで停止していたのかと思ってしまうくらい、心臓が痛かった。
 頭がおかしくなってしまったのかと思った。
 自分ではどうしようもないほどに、彼の姿しか目に入らない。

(――美しい、人)

 外で燃え続ける使用人達の住む屋敷にも、床を延々と流れる護衛達の血にも最早無関心のまま、放心状態でフィオナはただ彼だけを見つめていた。
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