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第二章 越えられないもの
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「ここに座ろう」
櫻井さんは通りから見える窓から少し奥の空いているテーブルの椅子を引き寄せた。特に意図はないとは思うけれど、通りに面した窓から見えないからよほどのことが無ければ知り合いに会って邪魔をされずに済みそうな席だった。
「……櫻井先輩って幸恵さんと仲良さそうですね」
本の話ばかりだと彼が退屈するかもしれない。オレはそう思って彼が関心を引きそうな話題を探した。
「うーん、仲良いというか…。幼馴染みなんだよ。高校だけ別々だったけれど、家もわりと近くてうちの母親同士が仲よくてさ。うちは共働きでどうしても母親の帰りが遅い日があって、そんなときは幸恵の家で晩御飯を食べさせてもらったりしてたんだ。まぁ…家族ぐるみの付き合いもあるし」
そこまで一気に話すと櫻井さんはさっき頼んだモカのトールにストローを挿した。
「いいですね…そういう関係。オレは一人っ子だし、地方から出てきたのでこっちには家族は住んでいないし、友人もいないというか」
オレの自虐的な言葉を半分聞き終え、櫻井さんはオレの手の甲を右手の指3本でちょんちょんと二度触れた。
「友人なら…ここにいるよ」
「え…?」
「やだなぁ…そんなに驚かれるとオレは凹む」
「だって……先輩だし」
「先輩だと、友人にはなれないのか?」
オレはその時、今までに感じたことのない気持ちに戸惑っていた。独りが居心地が良いと思ってきた自分が、ふと閉じこもっていた部屋の窓を開けた瞬間、外の世界に住む誰かに腕を掴まれたような畏怖にも似ていた。
「オレは……面白い人間じゃ……ないし。ノリ悪いし、陰キャだし」
「そうかな?オレにはそう見えなかった。親切で穏やかな友人だよ」
オレがどうリアクションしてよいかまだ迷っていると、櫻井さんは笑った。
「話すのがあまり得意じゃなきゃ、無理に話そうとしなくても良いと思うよ?
オレだって、そういうテンションの時がある。そういうときは相槌を打ってるだけでいいんだよ。だから、君がどう思うかは任せるけど、オレは関君と知り合ったことで友人に成れたと思っているよ」
櫻井さんは、簡単にオレとの境界や壁を自ら越えてきた。果たしてオレにはそれが成し得るのだろうか?自分の気持ちさえ表現も出来ず、喜怒哀楽も相手に伝えることが出来ないこのオレが、このひとの友人になんてなれるのだろうか?
「……ゆっくりでいいんだよ。その方が楽しいだろ?相手のことをゆっくりと知ればいいんだ。まぁ、オレの場合、要領悪くてドンくさくて、ヘンなヤツだってことは、すぐに判っちゃうだろうけれどね」
それは…オレにとって初めて好ましい友人が出来た瞬間でもあったのだった。
櫻井さんはオレに無理に話さなくてもいい、と言ってくれたけれど、実際にそうはならなかった。櫻井さんはオレにはとても話やすくて、人見知りな普段の自分が嘘のようだった。彼はもしかしたら、オレの生きている世界を広げてくれるような人間…いや、神のような存在だとすら思えた。少し誇張しすぎるとは思うけど、それくらいオレには有難いと思えたのだ。
そのあと、色々な話をした。住んでいるところが同じ沿線の駅一つ離れたところだったとか、趣味は読書以外にクラッシック音楽も好きとか(櫻井さんはロックやポップスも好きらしい)オレが半ばスルーされるかもしれない…と思いつつ振ったクラッシック音楽に関しても櫻井さんは“オレも好きだよ”と相槌を打ってくれた。
「モーツァルトの交響曲第40番でカラヤンの古いレコード盤を聴いたことがあってさ、ワクワクしてしまったことがあるよ」
櫻井さんのその言葉をオレはあたかも自分が褒められたような感覚で嬉しくなってしまったのだ。
「レコード盤なんですか?凄いなぁ。オレはCDプレイヤーでしか聴いたことがないです。いまどきCDなの?って笑われるけど、レコード盤ってやっぱりいい音源なんですか?」
「うん。前にね、阿佐ヶ谷にあるクラッシック音楽が聴ける喫茶店に行ったことがあるんだ。ものすごく大きなスピーカーがあって、凄かったなぁ」
「わぁ…行ってみたいなぁ」
「今度一緒に行こうか?」
「え?」
オレは思わず聞き返してしまった。オレみたいに退屈な人間を誘ってくれたりして大丈夫なんだろうか?つい不安になってしまった。
「コーヒー、意外に安かったよ?だから気兼ねなく一緒に行ける」
「いや…そういう意味じゃなく…」
「あ?男二人だけじゃ変ってこと?じゃあ幸恵を呼ぶ?」
ああ……まただ。この人にとっての幸恵さんの存在の大きさをイヤというほど知る瞬間にまた遭遇してしまう。
「いえ……あの…オレ、都合がつくかどうか…」
オレは嘘を言った。孤独が友のような生活を送ってきた自分に都合云々という時間の制約はない。
「そうなんだ?もしかして、バイト?」
櫻井さんは掘り下げてくる。何故そうまでしてオレに構おうとするのだろう。
「あ……あの…まぁ…それも…あります」
バイトは嘘ではない。宅配業者の倉庫仕分け作業のバイトをしている。あれは殆ど人と口をきかずに済むし、気持ち的に楽だった。ただし、重い荷物もあるから肉体労働だけど。
「へぇ?どこ?オレ、短期で少しバイトしたくて探しているんだ」
「〇〇便です。車持ち込みならドライバーも募集してますけど、オレは倉庫の仕分けの……方です」
どんどん自分のプライベートの堀が埋められていく。イヤなはずなのに自分は何故彼に期待するのだろう。
「〇〇便か……あ、アプリでバイト募集してるね。じゃあ、関君と同じ営業所に申し込み……っと」
「えっ?……ちょっと……」
「ああ、せっかくだから関君と一緒の職場なら色々聞けるから。労働環境の良し悪しって大事じゃない?」
櫻井さんは器用にその場でスマホアプリを通じて求人にエントリーしてしまったのだ。いったいこの人って……。
「あの……櫻井さんってもっと華やかなバイトの方が良くないですか?例えばカフェとか」
「カフェ?ああ、前にやったことあるよ。でも知り合いが押し寄せるから全然仕事にならなくて、しょっちゅう叱られていたっていうか…。個人的には集客に貢献出来た気でいたんだけれど、みんなコーヒー一杯で粘る粘る!おかげで回転率悪い店になってしまったから、自分から辞めたんだ」
なるほど…。櫻井さんのような人柄ならあり得る話だった。
結局、カフェを出る寸前で櫻井さんはオレにスマホの番号教えて!と言った。いつもなら躊躇ってしまうけれど、彼には素直に教えることが出来た。そして後日、オレのスマホにSNSメールが入ってきた。いわゆる“+メッセージ”というアレだ。
『〇〇便の倉庫のバイトの面接、クリアしたから来週から世話になるよ』
…だろうね。人手不足はもちろんだけれど、彼の人柄なら求人担当者も落とす気なんてさらさらないだろうと思っていた。そのまま既読を無視するのは礼儀に反するし、かといっておめでとうなんて変だし、どんなふうにレスしたら良いのか散々迷った挙句、オレは一言だけレスした。
『来週からよろしくお願いします。嬉しいです』
嬉しい?
最後の一文に自分の今の最大公約数が表れている気がした。
レスを返すと、すぐに櫻井さんから返ってくる。
『ホント?よかった。迷惑かと思ってた』
迷惑だなんて…櫻井さんはわりと強引に見えたけれどな。
オレはそう思いながら一人で笑みを浮かべた。櫻井さんとスマホでメッセージを交わすのは、誰にも邪魔されない時間だった。見えない空間で見えない糸で繋がりながら文字で可視化されている。当たり前のような不思議な行為が、オレのなかでは初めての感覚だった。トモダチってこういうものなんだな、と。
『次の日曜日だけど、前に言ってた喫茶店に行かない?クラッシックの』
さらに櫻井さんから飛び込んできたメッセージを見て、オレは一瞬固まってしまった。
え?もしかして、櫻井さんとプライベートで出掛けるのか?いいのかな…。
オレはその一文にずっとくぎ付けになっていた。確かに櫻井さんから聞いた話の喫茶店はとても魅力的に聞こえた。こっそり一人で行ってもいいかな、とさえ思った。同年代の連中ならクラッシックというだけで半笑いされそうで自分の趣味をなかなか語ることが出来ずにいたけど、櫻井さんはそれを自然に受け入れてくれた初めてのひとでもある。ただ、本当に夢中になって店で感動していたら彼はオレをドン引きしないだろうか?彼には嫌われたくないのだ。
するとオレのレスを待ちきれなかったのか、また櫻井さんからメッセージが届いた。
『都合が悪かったら、関君の予定に合わせるから、行こうよ』
まるで心の内を読まれているようだった。オレは勇気を出して入力文字をタップする。
『誘って頂いて、有難うございます。お昼過ぎでもいいですか?』
前向きな返事が出来ることが奇跡だと思った。オレはどんどん彼の世界へと引っ張られていくようだった。
メッセージをやり取りした夜、オレはイヤな夢をみた。薄暗い倉庫のような場所に、オレは立っている。その足元には櫻井さんが両手足を鎖と南京錠で拘束されて座り込んでいる。そんな彼に向かってオレは何かを言っているけれど、櫻井さんにはその声が届いていないようだった。
『………から言ったんだ』
呟くように、訴えるように、オレは何度も繰り返す。
『あなたが………いけないんだ』
オレは唐突にそばにあったサバイバルナイフのようなものを手にしていた。
息苦しく、締め付けるような胸の痛みに耐えかね、オレは櫻井さんの前に跪くとサバイバルナイフを彼の頸動脈に突き立て、ザクザクと切り刻んだ。いったい何をしているんだっ!?オレは自分自身を止めたいのに、止められずにいる。櫻井さんの首から鮮血が破れた水道管のように噴き出した。己の顔に櫻井さんの血潮を浴びても動揺すらしない自分が壊れてしまっているようだった。
オレは彼の頭部を胴から切り離し、無造作に携えていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!」
全身の水分が全て流れ出てきたような汗まみれになり、オレはベッドから飛び起きた。
汗と叫びながら泣いて、オレは灯りの付いていない部屋で茫然とした。胸が苦しくて痛い。あれは……本当に夢なんだろうか?オレはこうしてベッドに寝ていて今起きたのだから……そう、あれは絶対に夢だったのだろう。手の感触や、飛び散った鮮血の滑りや櫻井さんの存在の気配、全てがリアルだった。
「うっ……ぷ」
思い出すと吐き気がして、オレは布団を跳ね上げてトイレへと走った。なんて夢を見てしまったのだろう。無意識とはいえ、オレは自分を化け物だと思った。
「………いい気になっては駄目なんだろうな。オレはこれ以上越えちゃダメなんだ。あの人なんて……仲良くなれっこない」
殺すことはないとは思う。なのにこの先、オレはあのひとを傷つけてしまいそうな気がするのだった。
櫻井さんは通りから見える窓から少し奥の空いているテーブルの椅子を引き寄せた。特に意図はないとは思うけれど、通りに面した窓から見えないからよほどのことが無ければ知り合いに会って邪魔をされずに済みそうな席だった。
「……櫻井先輩って幸恵さんと仲良さそうですね」
本の話ばかりだと彼が退屈するかもしれない。オレはそう思って彼が関心を引きそうな話題を探した。
「うーん、仲良いというか…。幼馴染みなんだよ。高校だけ別々だったけれど、家もわりと近くてうちの母親同士が仲よくてさ。うちは共働きでどうしても母親の帰りが遅い日があって、そんなときは幸恵の家で晩御飯を食べさせてもらったりしてたんだ。まぁ…家族ぐるみの付き合いもあるし」
そこまで一気に話すと櫻井さんはさっき頼んだモカのトールにストローを挿した。
「いいですね…そういう関係。オレは一人っ子だし、地方から出てきたのでこっちには家族は住んでいないし、友人もいないというか」
オレの自虐的な言葉を半分聞き終え、櫻井さんはオレの手の甲を右手の指3本でちょんちょんと二度触れた。
「友人なら…ここにいるよ」
「え…?」
「やだなぁ…そんなに驚かれるとオレは凹む」
「だって……先輩だし」
「先輩だと、友人にはなれないのか?」
オレはその時、今までに感じたことのない気持ちに戸惑っていた。独りが居心地が良いと思ってきた自分が、ふと閉じこもっていた部屋の窓を開けた瞬間、外の世界に住む誰かに腕を掴まれたような畏怖にも似ていた。
「オレは……面白い人間じゃ……ないし。ノリ悪いし、陰キャだし」
「そうかな?オレにはそう見えなかった。親切で穏やかな友人だよ」
オレがどうリアクションしてよいかまだ迷っていると、櫻井さんは笑った。
「話すのがあまり得意じゃなきゃ、無理に話そうとしなくても良いと思うよ?
オレだって、そういうテンションの時がある。そういうときは相槌を打ってるだけでいいんだよ。だから、君がどう思うかは任せるけど、オレは関君と知り合ったことで友人に成れたと思っているよ」
櫻井さんは、簡単にオレとの境界や壁を自ら越えてきた。果たしてオレにはそれが成し得るのだろうか?自分の気持ちさえ表現も出来ず、喜怒哀楽も相手に伝えることが出来ないこのオレが、このひとの友人になんてなれるのだろうか?
「……ゆっくりでいいんだよ。その方が楽しいだろ?相手のことをゆっくりと知ればいいんだ。まぁ、オレの場合、要領悪くてドンくさくて、ヘンなヤツだってことは、すぐに判っちゃうだろうけれどね」
それは…オレにとって初めて好ましい友人が出来た瞬間でもあったのだった。
櫻井さんはオレに無理に話さなくてもいい、と言ってくれたけれど、実際にそうはならなかった。櫻井さんはオレにはとても話やすくて、人見知りな普段の自分が嘘のようだった。彼はもしかしたら、オレの生きている世界を広げてくれるような人間…いや、神のような存在だとすら思えた。少し誇張しすぎるとは思うけど、それくらいオレには有難いと思えたのだ。
そのあと、色々な話をした。住んでいるところが同じ沿線の駅一つ離れたところだったとか、趣味は読書以外にクラッシック音楽も好きとか(櫻井さんはロックやポップスも好きらしい)オレが半ばスルーされるかもしれない…と思いつつ振ったクラッシック音楽に関しても櫻井さんは“オレも好きだよ”と相槌を打ってくれた。
「モーツァルトの交響曲第40番でカラヤンの古いレコード盤を聴いたことがあってさ、ワクワクしてしまったことがあるよ」
櫻井さんのその言葉をオレはあたかも自分が褒められたような感覚で嬉しくなってしまったのだ。
「レコード盤なんですか?凄いなぁ。オレはCDプレイヤーでしか聴いたことがないです。いまどきCDなの?って笑われるけど、レコード盤ってやっぱりいい音源なんですか?」
「うん。前にね、阿佐ヶ谷にあるクラッシック音楽が聴ける喫茶店に行ったことがあるんだ。ものすごく大きなスピーカーがあって、凄かったなぁ」
「わぁ…行ってみたいなぁ」
「今度一緒に行こうか?」
「え?」
オレは思わず聞き返してしまった。オレみたいに退屈な人間を誘ってくれたりして大丈夫なんだろうか?つい不安になってしまった。
「コーヒー、意外に安かったよ?だから気兼ねなく一緒に行ける」
「いや…そういう意味じゃなく…」
「あ?男二人だけじゃ変ってこと?じゃあ幸恵を呼ぶ?」
ああ……まただ。この人にとっての幸恵さんの存在の大きさをイヤというほど知る瞬間にまた遭遇してしまう。
「いえ……あの…オレ、都合がつくかどうか…」
オレは嘘を言った。孤独が友のような生活を送ってきた自分に都合云々という時間の制約はない。
「そうなんだ?もしかして、バイト?」
櫻井さんは掘り下げてくる。何故そうまでしてオレに構おうとするのだろう。
「あ……あの…まぁ…それも…あります」
バイトは嘘ではない。宅配業者の倉庫仕分け作業のバイトをしている。あれは殆ど人と口をきかずに済むし、気持ち的に楽だった。ただし、重い荷物もあるから肉体労働だけど。
「へぇ?どこ?オレ、短期で少しバイトしたくて探しているんだ」
「〇〇便です。車持ち込みならドライバーも募集してますけど、オレは倉庫の仕分けの……方です」
どんどん自分のプライベートの堀が埋められていく。イヤなはずなのに自分は何故彼に期待するのだろう。
「〇〇便か……あ、アプリでバイト募集してるね。じゃあ、関君と同じ営業所に申し込み……っと」
「えっ?……ちょっと……」
「ああ、せっかくだから関君と一緒の職場なら色々聞けるから。労働環境の良し悪しって大事じゃない?」
櫻井さんは器用にその場でスマホアプリを通じて求人にエントリーしてしまったのだ。いったいこの人って……。
「あの……櫻井さんってもっと華やかなバイトの方が良くないですか?例えばカフェとか」
「カフェ?ああ、前にやったことあるよ。でも知り合いが押し寄せるから全然仕事にならなくて、しょっちゅう叱られていたっていうか…。個人的には集客に貢献出来た気でいたんだけれど、みんなコーヒー一杯で粘る粘る!おかげで回転率悪い店になってしまったから、自分から辞めたんだ」
なるほど…。櫻井さんのような人柄ならあり得る話だった。
結局、カフェを出る寸前で櫻井さんはオレにスマホの番号教えて!と言った。いつもなら躊躇ってしまうけれど、彼には素直に教えることが出来た。そして後日、オレのスマホにSNSメールが入ってきた。いわゆる“+メッセージ”というアレだ。
『〇〇便の倉庫のバイトの面接、クリアしたから来週から世話になるよ』
…だろうね。人手不足はもちろんだけれど、彼の人柄なら求人担当者も落とす気なんてさらさらないだろうと思っていた。そのまま既読を無視するのは礼儀に反するし、かといっておめでとうなんて変だし、どんなふうにレスしたら良いのか散々迷った挙句、オレは一言だけレスした。
『来週からよろしくお願いします。嬉しいです』
嬉しい?
最後の一文に自分の今の最大公約数が表れている気がした。
レスを返すと、すぐに櫻井さんから返ってくる。
『ホント?よかった。迷惑かと思ってた』
迷惑だなんて…櫻井さんはわりと強引に見えたけれどな。
オレはそう思いながら一人で笑みを浮かべた。櫻井さんとスマホでメッセージを交わすのは、誰にも邪魔されない時間だった。見えない空間で見えない糸で繋がりながら文字で可視化されている。当たり前のような不思議な行為が、オレのなかでは初めての感覚だった。トモダチってこういうものなんだな、と。
『次の日曜日だけど、前に言ってた喫茶店に行かない?クラッシックの』
さらに櫻井さんから飛び込んできたメッセージを見て、オレは一瞬固まってしまった。
え?もしかして、櫻井さんとプライベートで出掛けるのか?いいのかな…。
オレはその一文にずっとくぎ付けになっていた。確かに櫻井さんから聞いた話の喫茶店はとても魅力的に聞こえた。こっそり一人で行ってもいいかな、とさえ思った。同年代の連中ならクラッシックというだけで半笑いされそうで自分の趣味をなかなか語ることが出来ずにいたけど、櫻井さんはそれを自然に受け入れてくれた初めてのひとでもある。ただ、本当に夢中になって店で感動していたら彼はオレをドン引きしないだろうか?彼には嫌われたくないのだ。
するとオレのレスを待ちきれなかったのか、また櫻井さんからメッセージが届いた。
『都合が悪かったら、関君の予定に合わせるから、行こうよ』
まるで心の内を読まれているようだった。オレは勇気を出して入力文字をタップする。
『誘って頂いて、有難うございます。お昼過ぎでもいいですか?』
前向きな返事が出来ることが奇跡だと思った。オレはどんどん彼の世界へと引っ張られていくようだった。
メッセージをやり取りした夜、オレはイヤな夢をみた。薄暗い倉庫のような場所に、オレは立っている。その足元には櫻井さんが両手足を鎖と南京錠で拘束されて座り込んでいる。そんな彼に向かってオレは何かを言っているけれど、櫻井さんにはその声が届いていないようだった。
『………から言ったんだ』
呟くように、訴えるように、オレは何度も繰り返す。
『あなたが………いけないんだ』
オレは唐突にそばにあったサバイバルナイフのようなものを手にしていた。
息苦しく、締め付けるような胸の痛みに耐えかね、オレは櫻井さんの前に跪くとサバイバルナイフを彼の頸動脈に突き立て、ザクザクと切り刻んだ。いったい何をしているんだっ!?オレは自分自身を止めたいのに、止められずにいる。櫻井さんの首から鮮血が破れた水道管のように噴き出した。己の顔に櫻井さんの血潮を浴びても動揺すらしない自分が壊れてしまっているようだった。
オレは彼の頭部を胴から切り離し、無造作に携えていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!」
全身の水分が全て流れ出てきたような汗まみれになり、オレはベッドから飛び起きた。
汗と叫びながら泣いて、オレは灯りの付いていない部屋で茫然とした。胸が苦しくて痛い。あれは……本当に夢なんだろうか?オレはこうしてベッドに寝ていて今起きたのだから……そう、あれは絶対に夢だったのだろう。手の感触や、飛び散った鮮血の滑りや櫻井さんの存在の気配、全てがリアルだった。
「うっ……ぷ」
思い出すと吐き気がして、オレは布団を跳ね上げてトイレへと走った。なんて夢を見てしまったのだろう。無意識とはいえ、オレは自分を化け物だと思った。
「………いい気になっては駄目なんだろうな。オレはこれ以上越えちゃダメなんだ。あの人なんて……仲良くなれっこない」
殺すことはないとは思う。なのにこの先、オレはあのひとを傷つけてしまいそうな気がするのだった。
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