幸せっていう怪物

内田ユライ

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第一章

純粋な感情

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 自宅に戻って、自室のドアを閉める。
 ようやく周囲の目を気にしなくてよくなって、気を緩めながらアカネに声をかける。

「梶山に憑いてるアレ、どうすればいいんですか?」
 修哉は勉強机の前に座り、アカネはベッドに座る真似をしている。
「結局、消えたわけじゃないんですよね?」

 うーん、とアカネが首をかしげた。

「生き霊だもん、きっと死者相手の対応と同じじゃダメよね。どうしたもんかしら」
 けっこうレアな現象よね、と壁際に立つグレに目を向ける。
「あたし、初めて見たんだけど」

 グレは真顔で深くうなずいた。

「グレさん、機嫌悪いんですか」
 かすかに首をかしげはするが、なにも答えない。喫茶店で引っ込んでから、グレは一言も発さなかった。

「相手が相手だもの、ね」
 意味ありげにアカネが言う。
「どういう意味です?」
「生き霊ってね、純粋な感情だから」
「……?」

 アカネとグレに目線を走らせる。アカネは修哉をまっすぐ見つめているが、グレは目を逸らしている。修哉を見ないようにしているように思えた。

「あたしは触っても、相手が生者と同じでさほど影響受けないのよね。シュウが汚れさえしなければ平気だもの」
 でもグレは、とアカネは言った。「元が土地縛りだから。注意しなかったあたしも悪いんだけど」

 うっかりしてたわ、と肩をすくめる。
「触ったから、少しだけもらっちゃったのよね」
「もらった――?」
「生者で言う、風邪みたいなものよ。数日すれば治るわ」
 って言うか、と言い直す。「自然浄化って言うか、時間かけて周囲に影響与えない程度に薄めながら、放出して元に戻るって感じ、かしら」

「どういうことです?」
「アレね、ちょっとよくないものだから。ただしくん、生者からの強い思いに縛られてる。それに触っちゃって、影響を受けてグレはちょっと荒ぶってる状態」
「荒ぶってる……? だから、黙ってるんですか?」

 そう、とアカネがうなずく。

「いまグレは動くさわりみたいなものになっちゃってるのよね。口開くと言葉が呪詛となって、シュウが悪意を食らうわよ。わりと強烈みたいだし、関わらないほうがいい。あたしには、なんの障りかまでは分かんないけど」

 ね、とアカネはグレに目線を向けた。グレは半眼で床のあたりに視線を向けたまま、眉根を寄せて神妙な顔をしている。
 なにか言いたげだが、言うこともできずにこらえている、そんなふうに視えた。

「グレがあの生き霊から吸い取ったぶん、すこしは影響力が弱ったみたいだけど、あのようすじゃすぐに元に戻っちゃいそうね」
 ええ、と修哉はうろたえた。なんとか対処の方法を知りたいと思った。

「しゃべれないなら筆談にするとか」

 あのねえ、とアカネが呆れる。「それってグレがシュウに入って、代わりに書くってことでしょ。手を貸すってことじゃない。生者が、気軽にそんなこと言うもんじゃないわよ」

 思わぬ返答に、修哉は顔をしかめた。
 どういうことだよ、と反論したくなる。このふたり、しょっちゅうオレを使い回してるじゃないか。

「シュウは怖れなさすぎ。受け入れすぎなのよ。心配になるくらい」
「なにがマズいんです?」

 修哉が問うと、アカネとグレは顔を見合わせた。答えるべきか、ふたりのあいだに迷いが走ったのがわかる。

「特段あたしたちにはデメリットはないけど……、あまり慣れてもシュウにいいことがないわよ。あなた、入りこまれても積極的にあたしたちを追い出そうとしないんだもの」
 いざと言うときに、あなたの意志ではね除けられなくなるかも、とアカネが真剣な眼差しを向けてくる。

「悪いこと言わないから、やめときなさい。今のグレに触らないほうがいい。それにね、文字にだって念はこもるのよ」

 たしかに、おふだとか呪符とか、書いて示すことで霊験あらたかだと思わせるものは世のなかにたくさん存在する。
 信じることで、効果を生じる。たとえ気休めていどでしかないとしても。

 そうでなくとも、文字で人を死に追いやれる。たとえば、ネットで中傷を書き込む。激しい中傷で気を病み、書き込まれたほうが自死を招くのも、決して少なくない事実となっている。
 言語は、生きる者をじゅうぶんに痛めつける凶器と成り得るのだ。

「見ないに越したことないわ」

 まあ、とアカネは小首を傾げた。「確かにシュウが触れば、グレだってすぐにきれいになるにはなる。だけど、なに抱えてるかわかんないものを不用意に受け入れないほうがいいでしょ。あなた、死者には慣れてても、生者の執着をうまくさばききれるかまでは、さすがに予測つかないもの」

 生きてる人間は実害が怖いのよ、とも言った。

「アカネさんがきれいにできないんですか?」
 え、とアカネが嫌そうに眉を寄せる。「あたしが? グレを祓えってこと?」

 修哉が頷くと、アカネが肩をすくめる。

「やってもいいけど、あたし微妙なさじ加減できないわよ。強すぎたらグレ、今度こそひとたまりもないと思うけど」
 グレが難しい顔をして、小さく横に首を振っている。どうやら嫌だと意思表示したいらしい。

「じゃあ、梶山に憑いてる生き霊そのものを祓ったら?」
 そうだよ、元を絶つ。そうすれば万事解決するんじゃないか?
 いい考えだと思った。なのに、アカネの態度は煮え切らない。

「そうねえ、シュウに生き霊が憑くようなことがあったら、気配を感じた時点で即、あたしは撃退するけど」
 うーん、と腕を組んで渋る。

「なんか問題でもあるんですか?」
 ほら、とアカネは腕をほどき、くちびるに人差し指を寄せてみせた。
「人を呪わば穴ふたつって言うじゃない?」
「なんですか、それ」

「すなわち、倍返しってやつ」
 シュウ、と呼ばれた。「あなた、人殺しになりたい?」

 不穏なワードと共に、アカネに人差し指を突きつけられる。

「あたしは別にかまわないけど。ただしくんを助けたいって気持ちに反対する気はないもの。たぶん生き霊を引き剥がすのも難しくはないとは思う。だけど、あたしのやれることって、結局シュウの生命力頼りで、間接的にあなたが手を下すのと変わらなくなっちゃうのよ。あなた絶対、あとから後悔しそうだもの」

 あなたの精神が濁ると、あたしも影響するからやらないほうがいいのよね、とアカネがつぶやく。
「無理にでも生き霊を祓ったら、生き霊飛ばしてる本人が死ぬかもってことですか」
「そうねえ――」

 アカネは呼吸もしていないのに、盛大に溜め息をもらしてみせた。「憑きはじめなら力も弱いだろうから、追い返しても大ダメージにはならないだろうけど、あそこまでバッチリがっつり憑かれちゃってるとね……生者の強い感情って、力尽くで撃退しても死者みたいに霧散したりしないじゃない? 昔から言うでしょ、跳ね返された呪いは自分に戻ってくるって」

 最終的に自死か事故死か病死か、どれになるかはわかんないけど、とこぼす。
「良くて再起不能じゃない? まじないにしろ、のろいにしろ、同じ漢字で書くでしょ」

 呪い。

 まじないで術を使い、自分に降りかかる災厄を逃れようとするのならまだいい。
 だが、のろいで対象に災厄を念じるか、まじないで呪術を行使し相手に災厄を及ぼそうとするとは、どれほどの強烈な思念を抱いているのか。

「直接念じるか、なにか力のある対象、たとえば神仏や霊力のある者にすがって願うかの違いはあるけど、あんな強力な感情を他者に向ければ、生者にもろくなことにならないのよ」
「再起不能って――どのていどになると思います?」
「さあねえ、まともな生活ができなくなって病院行き、かな。自業自得な気もするけど」

「ええ……、じゃあ梶山は一体どうすればいいんですか」
「そもそも、なんであんなもの背負しょい込んだのか、原因を探るべきなんじゃない?」
「それがわかれば苦労しませんよ」

 けっこう頑張ったんだよ、と修哉は梶山から聞き出す努力を重ねた時間を思った。
 何度か突っ込んだ質問もした。最近、なんかあったのか、なにか変わったことは無かったか、だれかにちょっかい――たとえば誰かになにか言われたとか、不快に思う行動をされたりしてないだろうか。もしくは――、意中にはほど遠い積極的な異性が現れて、始終つきまとわれたりしてやしないか。

 すべて空振り。当たりさわりにない返答でのらりくらりとかわされてしまった。
 梶山のやつ、いっつも忙しそうにしてる。きっとどこかで誰かと、問題の発端となる関わり合いをしてるはずだ。

 憑いているのは、女に視えた。

 関わり合いがない者からの一方的なつきまとい、なんだろうか。
 生き霊も、死者の執着と変わらないじゃないか。修哉は思った。

 思い出すだけで冷や汗が出る。アカネは、生き霊は純粋な感情そのものだと言った。ならば一体、アレはどんな感情の表れなんだろう。

 梶山に向けられる感情。最初に思いつくのは強い恋慕。あまりに苛烈で、他者に梶山を盗られたくないとまで思い詰めている。だから、他者が近づくのも阻止したがる。
 ふつうなら誰も気づかない。なのに、梶山が生命力を削られるくらい、強烈な思念につきまとわれている。

 生き霊のストーカー……? そもそも生き霊はつきまとうものだから、ストーカーってのも変か。なににせよ、タチが悪すぎる。

 なにかで読んだ。本人ですら、自分が生き霊になっているのを知らずに生活しているものだと。
 一番の気がかりは、死者と違って生き霊には肉体が実在する。本人のあずかり知らぬところで、ひそかに事態は悪化するかもしれない。激情に駆られ、思いあまって実行に移す。

 自分のものにしたいあまりに、刃傷沙汰にんじょうざたになりにでもしたら。そちらのほうが恐い。

 相手が死者ならば、対処できる力強い味方がいる。だが彼女たちは、生体には強い影響力を持たない。特に生命力が強い者には弾かれてしまうから、はじめから近寄りたがらないほどだ。
 自分にできることは限られている。どうしたらいい、なにをすればあの生き霊を梶山から追っ払えるんだ。

 黙り込んでしまった修哉を見て、アカネが気を使う。
「グレのほうは数日もすればきれいになるだろうから、気にしなくて平気。ただ、しばらく口がきけないから詳細は後で聞くとして……あたしもただしくんのことは考えてみる。いい方法が見つかるといいんだけど」

 どうか焦らないで。アカネが釘を刺す。大丈夫、すぐさまどうこうなるわけじゃない。

 言われなくてもわかっている。早くなんとかしなくては、と思うものの、日常をなおざりにもできない。
 大学の長い休暇中ならまだしも、前期のテスト間近の平日では思うように動ける時間がない。焦れる気持ちを抱えながら、週末まで我慢するしかなかった。

 しかしこんなにも早く、悠長に構えてはいられなくなると思ってはいなかった。三日後の晩に、思いがけない連絡が来たのだった。

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