幸せっていう怪物

内田ユライ

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第二章

朋友

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 翌日の午前中から、しきりとスマートフォンのロック画面に通知が表示される。

 気になって仕方がない。ようやく講義が終わり、休みの時間に既読をつける。
(検査では問題なかったってシンから報告きた)
(おお、そりゃよかったなー)
(安心したよ)

(で、どんな状態だったって?)
(最上段から落ちたんじゃないかって。頭打ってるし、けっこう出血したって。頭何針か縫ったらしい)
(マジかよ!)

(ホント命には別状なくてよかった)
(一体、どんな落ち方したんだろうな。階段って、後ろ向きに落ちるとヤバイんだよ)
(そうなの?)

(親父の同僚がそれで亡くなってるんだよ。酔っ払っててさ)
(じゃああいつ、マジで運が良かったんだな)
(すぐに退院できそうなのか?)
(骨折してるからどうなんだろうな。右腕と肋骨一本やってるって)

(けっこう重傷じゃないか)
(入院先わかったんだけど、見舞い行くヤツいる?)

 病院名と住所、最寄り駅、面会時間が記載されている。井上のレスの下にリンク先が添付されていた。
 どうやら今日の午後、井上と松田が見舞いに行くことになったらしい。

 (オレ、週末まで無理なんだよ)

 修哉が書き込むと、すぐに井上の返信がつく。

(OK わかった、心配してたって伝えとく)
 (頼む)

 書き込みが止まった。修哉は画面を眺めながら溜め息をついた。
 このままじゃ絶対によくない。気ばかり焦る。




 帰宅の電車に揺られていると、松田から連絡が来た。夜九時をすこし回った時刻だった。

(今、どこにいる? 家?)
 (まだ電車の中。もうすぐ駅に着く)
(俺も。ちょい時間ある?)

 (いいけど、なんかあったのか?)
(梶山のこと。伝えておこうと思って)
 (わかった、改札前で待ってる)

 駅に到着し、電車を降りて人の列に並びながら改札へのエスカレーターを下る。改札前に、すでに松田が待機していた。

 あいつ、とっくに到着してたのか。まさかずっとオレを待ってたとか?
 そう考えて、思い直す。

 違う、松田はもうすぐ駅に着く、と言ったんだ。井上と梶山の見舞いに行った帰りに、この時間まで駅周辺にいたのだろう。井上もいるのかと見回すが、どうやら松田だけらしい。

「待ったか?」

 修哉の姿を認めると片手を上げ、松田は控えめに笑った。
「いや、べつに。そこにいたからさ」と駅に隣接した建物を指さす。チェーン展開のファーストフード店の看板が、宵闇よいやみに点灯している。

 すっかり日が落ちた時刻になって昼間の暑さが落ち着き、やや涼しい風が吹きはじめた。それでもまだ、アスファルトやビルの壁は日中の気温を放熱して蒸している。

「井上は?」
「いっしょに飯食って、先に帰ったよ」
 ふうん、と修哉は相槌を打ち、松田に視線を向けた。

 十五センチほどの身長差があるので、表情をうかがうには目線をやや下げることになる。眼鏡の奥の目は奥二重で優しげだった。穏やかに他人とつきあい、目立つことを好まない性格。目が合ってもまじまじと見返すことはせず、さりげなく視線をほかへ外す。

 どことなく不安げなそぶりがある。わざわざ待ち会わせるくらいだから、なにか梶山に気になる点があるのかと察した。

「どっか店に入って話すか?」
「いや帰り道だし、話しながらでいいよ」
「わかった」

 同じ方角へと歩き始めて、修哉は松田に声をかけた。
「で? 梶山はどうだった? すぐに退院できるって?」

 脇を歩く松田が、うーん、と首を傾げた。
「それがなぁ……まだ本調子じゃないってのもあるのか」
 煮え切らない口調になる。「なんかずっとぼんやりしてるし、話してても変なんだ。あいつ、声が出なくなるときがあるんだよ」

 瞬時に背筋が凍った。
 喫茶店で見た生き霊が脳裏に甦る。あのとき、喉をつかまれているあいだ、言葉が出てこない梶山の姿を見た。

「検査して、脳に問題はなさそうだって言われてるらしい。だけど、」と、松田は歩みを進めながら、左側頭部へと手をやって場所を示した。
「この辺に傷があって、六針縫ってるんだよな。怪我の状態から、階段の角に強く打ち付けて切ったんじゃないかって。一時的な症状だとしても頭打ったのは間違いないから、念のために経過観察で入院になったらしい」

「……そうか」
 なにか言おうとしても、それ以上の言葉が見つからなかった。

 横断歩道の信号が赤になっている。居並ぶ店の看板や外灯で、周囲は煌々こうこうと明るい。
 立ち並ぶ建物の狭間に暗い夜空が見える。雲が垂れ込め、星は見えない。風に湿気が混じっている。深夜に雨が降るかもしれない。

 歩道に立ち止まる。駅から歩いてきた歩行者が、周囲に十名ほどいる。

「あと、さ」
 松田は声をひそめた。「俺の気のせいかもしれないんだけど」

「……どうした?」
「あいつ今、個室にいるんだけどさ。相部屋に空きがないからって」

 言いよどむ。話そうか迷っている。

「なあ、碓氷うすい、あいつに彼女がいるって聞いてるか?」
「――え」
「いや、あいつならさ、いても不思議じゃないのはわかってる」

 こっちが知らないってだけで別に変じゃない。松田は自分に言い聞かせるかのように話した。

「俺、見たんだよ」
「見たって彼女らしいのをか? って、どこで?」
「病室でだよ」
「病室?」
「見たんだ」

 同じ言葉を繰り返し、松田は足元を見つめる。歩行者信号が青になる。周囲の人々が次々と道路を渡っていく。

「松田、青」

 修哉がうながすと、松田は、ああ、と応じ、周囲の歩行者の動きに合わせて渡り始めた。
「部屋にいたんだ。確かに見た。でも、井上は見てないって言うんだよ」
 いや違うな、と言い直す。「見てないって言うか、よく覚えてないんだって」

 次第に声が大きくなる。

「変だろ、そんなの。梶山のベッドの横に椅子を置いて、座ってたんだ。あんな目立つところにいて、ずうっとあいつの顔を見つめてるんだぜ、ふつう気になるだろ、なのに覚えてないって絶対おかしいだろ。どんなド忘れだよ」

 声を張り、はっと我に返る。声を落とす。「それとも、俺がおかしいのか」

 まさか他人には見えないものを見た。その事実に思い当たったのか、松田の顔色が変わった。
「そういや、俺たちがいる間に看護師が巡回にきたけど」
 話すうちに思い出したらしい。「俺たちには声をかけてきたのに、その子には目も向けてなかった」

 修哉はちらりと左側へ目を向けた。アカネが首を傾げるのがわかった。

「おまえが見たんなら、間違いなくいたんだろ」
 見上げる松田と目が合った。同意した相手に対して、真意を探る目。修哉は思わず弁明を試みていた。

「やつならいかにもありそうなことだろ。興味が無いと全然関心を持たないのはいつものことだし。よっぽどあいつの好みじゃなかったか、相手の印象が薄かったんじゃないか? 相当な人見知りか恥ずかしがり屋で、ずっと下でも向いてたんじゃねえの?」

 努めて穏やかに発声する。「それにしても初耳だぞ、あいつ彼女がいるってのを皆に隠してたのか。オレ興味あるんだけど。どんな子だったんだ?」

「どんな――?」
 こちらに向けられた瞳に、急激な陰りが広がる。

 夜の闇に包まれ、外灯や商店の看板を反射していた松田の目から、意志の光が失せたかに思えた。
 ふいに松田が歩みを止める。同じ方向へと進む歩行者が数人、背後から追い越していく。
 中空に視点を固定して、数時間前に見た光景を思い出そうとしている。

「髪が……長くて、こう肩よりも」腰のあたりまで手を下げて示す。「体つきは細い……わりと背が、高くて……」
「座ってたんだろ? 背の高さがわかったのか」
「いや、井上が梶山に近づいたら、立ち上がったんだ……で、部屋の隅に……」
 立ってた、と言い終えると、魂が抜けたかの表情になる。

「顔が、」懸命に記憶を覗きこんでいる。「ああ、頭のなかに浮かぶのに、なんだか」
 ぎゅうと目を閉じて、再び開く。「おかしいな、頭のなかに邪魔なものが……あるみたいだ、覚えてるはずなのに」

「一度見たくらいではっきり覚えてりゃすげえよ。オレなんて人の顔を覚えるの苦手だから、その感覚はよくわかる」

 なだめるつもりで松田の肩を軽く叩く。ふたたび歩き出しながら、修哉は確信していた。その女、松田が見たのが、オレの視た生き霊のほうでないとすれば。

 間違いなく生きてるほう、本体だ。

 思いのほか梶山の身近に、生き霊を飛ばしてる張本人がいたわけか。よく言われることだ。ストーカーの大半はつきまとわれる者の知り合いだと。
 梶山とどういう関係だろう、と修哉は思った。見舞いにくるくらいには親しいのか。本当に彼女なのか。

 あんな悪辣あくらつな生き霊を飛ばしてて、親しい間柄なんて有り得るのか?

 しばらく黙ったまま並んで歩いていたが、松田が口を開いた。
碓氷うすい、土日のどっちかに梶山の見舞いに行くんだろ」
 ああ、と修哉は頷いた。「明日、行ってくるよ」

「なら、おまえにも確かめてきてほしい」
「また彼女が見舞いに来てるかどうか?」
 ああ、と松田が頷く。「俺がの目がおかしくなって、幻でも見たんじゃなけりゃだけど」
「どっちかって言うと、梶山の彼女が羨ましすぎて無意識に見ないフリしたってほうにオレは賭けるよ。じゃなきゃ、井上の目が節穴なんだろ」

 修哉の軽口に、張り詰めた松田の気が緩んだのがわかった。頼りなげに笑っている。

「おまえって、その手の話を否定しないよな」
「その手って、なんだよ」
「ひとと違う……なんていうか、変なものを見たとか、やな感じとか……直感的な印象とか」
「オレより、梶山のほうがその手の話に食いつくぞ」

「あいつは、人に頼られて自分の居場所を作るタイプだからな。なんでも否定しないだろ。いつも、誰にでもそうなんだよ。その点、碓氷うすいはブレないからな。群れてまわりに合わせなきゃなんて考えもしないだろ」

 その点は同意する。幼少の頃から散々、長所短所含めて指摘されてきた。

「親にも、超がつくマイペースだって言われてきたからなあ」
 言い回しにバリエーションはあるものの、他人からも性格の感想で少なからず評される。

 しかたないだろ、とも思う。過去にろくでもないトラウマを抱えると、できることやれることの優先順位が自然と決まってしまう。
 下手な妥協は後悔を招く。経験して思い知った。なにもない場所でなにかに怯え、混乱状態で粗相をしでかしたり、突然倒れたりとやたら面倒を起こした。嫌な記憶をしこたま覚えている。

 家族に心配をかけた少年時代。周囲の手をわずらわせるばかりだった自分。不安定だった時期に多くの友人が離れていった。
 当時の梶山は根気よく付き合ってくれた。得もないのに、どうしてなのか。子ども心に不思議だった。

 苦笑しながらも、修哉は松田に問いかけた。
「それって褒めてんの? オレをけなしてんの?」
「褒めてる」

「一応、今はふつうに人付き合いをこなしてるつもりだけど」
 はは、と声を出して松田は笑った。
「梶山は碓氷うすいと気心知れてて、余計な詮索されようが気にかけもしないだろうから、俺より適任だよ」 

「付き合いであいつが迷惑がることなんかあるのかよ」
 あの梶山だぞ、と修哉は強調した。
 松田は曖昧な笑みを浮かべた。「おまえは子どもの頃からの、長い付き合いだもんな」
 俺にはちょっと敷居レベルが高い、と口の中でつぶやく。

「結局、オレに押しつけようってか」
「そうだよ、おまえの役目なんだよ」

 そうかよ、と応じる。ちょうど差し掛かった横道で、松田が立ち止まる。「じゃあ俺はこっちだから」

 背を向け、夜の住宅街へと続く道路を歩き出す。駅前では人が行き交っていたが、ここでは早くも人通りが絶えている。
 松田の頭上、両肩に外灯の光源が落ちる。

 なあ、と修哉は声をかけた。松田が振り返る。

「なんで、オレの役目なんだ?」

 光の輪からすこし出た場所で立ち止まり、しばし返答に間が空く。
「なんでかな」松田が言った。「碓氷うすいはそういうの、うまくやれそうだから」

 優しげな目が笑う。
「護りが強いっていうのかな」

 じゃあまた、と言って、松田は去って行った。


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