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一章 邪悪な魔道士(おお しんでしまうとは なにごとだ!)

第4話

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 荒れた岩肌に風が切りつけるように吹いている。
 風は乾いており、冷たかった、
 狭隘な谷間にひっそりとクライネシュマルク王国はあった。
 崖の上に立ち、俺は水平線に目をやった。遠く向こうには城があった。あれが王城だろう。今回の目的地だ。
 「ようやく帰ってきた……」
 俺の傍らに立つ人物がいった。歴戦のつわものといった容貌である。
 外套の下からのぞく腕は太くたくましい。足や首も同様に太く鋼のようである。肌は陽にやけ風にさらされ、岩のようだった。身につけた皮鎧はあちこちがすりきれ、腰に吊るされた大剣は柄の部分が磨耗しており、酷使のほどを物語っている。
 俺は思わずいった。
 「誰?」
 「! あんたが役立たずなせいで、こんな姿になったんでしょうが!」
 ディトリンデは俺につかみかかった。うぉい、ちょっとした冗談だって。
 百戦錬磨の女戦士と思しき女はディトリンデだった。
 「連戦に次ぐ、連戦。そして役立たずの相棒。そりゃレベルの10や20、あがるわよ」
 ディトリンデはここまでの旅路を思い出すようにして、拳を握りしめ打ち震えている。
 過酷な旅は、可憐なお姫様をいかつい女戦士へと変えたのだった。
 ディトリンデの成長のせいで、俺たちは予定よりもはるかに早くクライネシュマルク王国に着いていた。いや、俺の心情的には着いてしまっていた、という方が正しいだろう。

 城下町に入った俺たちは早速、食堂へ向かった。街の広場に面した、中々こじゃれた店である。
 旅の間は、粗末な保存食しか口にしなかったんだ。無理ないだろう。
 とはいえ、俺が頼んだのはパンと豚肉だけだった。
 ディトリンデが瑞々しいサラダやフルーツを頼んだのとは、対照的だ。
 「ここでもパンと肉だけ? 偏食ね。野菜とかも食べなさいよ。だから、そんな体つきになるのよ」
 呆れたようにディトリンデはいった。ディトリンデの言う通り、旅の途中、俺は保存食のパンと干し肉以外をいっさい食べなかった。時折、食料節約もかねて、道中になる木の実や果実をディトリンデが取ってきても、俺は一切手をつけなかったのだ。
 「うるせー。俺だって好きで食べてるわけじゃねえ」
 俺はごく限られた物しか食えないのだ。
 「何でよ?」
 「俺が禁忌型の勇者だってのは聞いたよな」
 俺の言葉に、少し思い出すようにしてディトリンデはうなずいた。
 「禁忌型というのは、その勇者自体が禁忌の存在だってわけじゃない」
 「あら、そうなの。てっきりそのだらしない体とせこい性格が勇者にとってタブーなんだと思ってたわ」
 俺はディトリンデの皮肉を無視して続けた。くそ、こいつ性格まで変わってやがる。
 「その勇者に禁じられた行為がある、つまり、しちゃいけないことがあるのが禁忌型の勇者さ」
 そして、その禁じられた行為というのは、多くの場合、何がしかのものを食べることなのだ。
 例えばである。ここに一本の木があると思ってもらいたい。
 リンゴの木だ。しかも、樹齢ン百年の大木だ。周りからは神木として崇められている。
 そこへ子宝に恵まれなかった老夫婦がやってくる。
 老夫婦は、そのリンゴの木に願うわけだ、どうか子どもを授けてください。
 そして、子どもは生まれる。リンゴの木に感謝した老夫婦は子どもに当然、言い聞かす。
 リンゴは決して食べてはいけないよ、と。
 「それって、勇者ゴルデンナールの話じゃない」
 ディトリンデはいった。
 俺が話したのは、実際にいた勇者の話だ。三十四人時代よりもはるか昔のことである。
 その後、青年となったゴルデンナールが暴虐の魔王を倒したのは、誰しも知る話だ。ただし、そのままハッピーエンドってわけじゃない。訪れた平和を祝う晩餐会でリンゴソースがかかった肉料理をゴルデンナールは誤って食べてしまうのだ。禁忌を破ったゴルデンナールは原因不明の病に倒れる。そして、ついにはゴルデンナールは死んでしまい、物語は終わる。
 このように禁忌型の勇者譚は大抵、勇者が死んで終わる。魔王を倒すほどに強く、どんなことがあっても死なない無敵の勇者が、禁忌を破ったためにあっさり死んでしまう。
 これはまさしく悲劇だ。禁忌型勇者が悲劇型勇者の一類型と分類されるのも当然だろう。
 「じゃあリンゴ食べたら死んじゃうの?」
 ディトリンデは卓上のリンゴをフォークに刺し、俺に突きつけた。このあま
 「さあな」
 俺は忌々しげに押し迫るリンゴを手でのけた。
 俺の禁忌が何なのか、それは俺にも、俺を検査、研究した派遣協会にもわからないことだった。
 俺は幼い頃、というか生まれたての赤子の頃に派遣協会に保護された。ただ、その正確な出自は不明だった。
 とりあえず魔法の検査により禁忌型の勇者であることは判明したものの、ついぞ、その禁忌が何なのかはわからなかったのだ。
 だが、何も食べずにいることはできない。そこで俺はごく限られた食材をおそるおそる口にし、その安全を確認し、それ以外のものは一切食べないようにしているのだ。今のところは安全を確認したのは、豚肉、乳製品、小麦、大麦、ライ麦、カラス麦、ハダカ麦。うう、何だか麦ばっかりで悲しくなってくる。

 食事を終えて、ディトリンデはため息をついた。
 「どうした、食いすぎたか」
 「違うわよ」
 ただ意外に平和だなって思ってね、寂しげにディトリンデは呟いた。
 謀反を起こした魔法使いが治めるクライネシュマルクは平和だった。俺にはわからんが多分、街の様子は以前のクライネシュマルク王の統治時代とほとんど変わっていないのだろう。
 「そりゃ、そうだろ。やたらな圧政をしいたとか、意味なく民を殺しまくったとかしない限り、下々の者にとっちゃ王様も魔法使いも変わらねえよ」
 俺はいった。
 ディトリンデはおそらく、魔法使いの支配を嘆き、亡き王を偲ぶ民で溢れていると思っていたのだろう。
 「まあ、だからってあんたの親父さんが愛されてなかったってわけでもないけどな」
 俺は珍しくフォローするようなことをいった。というか、ここは優しくしておかないといかん。
 「……何よ、気持ち悪いわね。……あんた何か後ろ暗いことでもあんの?」
 「ハハハ、な、何をいってるんだね」
 俺はあわてて首を振った。
 やっぱ、何か隠してるでしょ、白状しなさい、とディトリンデが俺に詰め寄った、その時だった。食堂の扉が威勢よく開けられた。
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