シンデレラと豚足

阿佐美まゆら

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あんぱんと豚足

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給料の支払い日は15日。
奨学金の支払いは27日。



今は13日。




「はぁぁぁ~…」




あと2日。




私の貯金通帳は底をつきかけていた。
家賃と光熱費、奨学金の支払いで病院での給料を使い切り、キャバクラの稼ぎは日払いで、そのお金を使ってその日、その日を暮らしていく。
そんな自転車操業の生活はどれかの歯車が狂うだけで成り立たなくなるのに。

私はもう三日も当直が続いていて、キャバクラに出勤出来ずにいた。
今夜もお弁当に詰めた豚足しゃぶってご飯を掻き込んで夜を凌ぐしかないのかも知れない。


「ちょっとアンタ。これから夜勤なんだからね。溜息なんかついてたらこっちまで嫌な気分がさらに沈んじゃうでしょーが」

「田代さん、ごめん…」



(その手に持ってるチョコレートを恵んで下さい…)


その言葉が口から出そうになって辞めた。
ナースステーションの冷蔵庫は薬剤や処置に必要な物を入れるための物なのに、ただでさえ豚足を詰めて迷惑をかけているのだ。
ナースステーションの奥の休憩室にはお菓子が山の様に積まれているが、私はそれには手を出さない。
田代達、ナースの甘い癒しを奪って恩を仇で返すのは気が引けた。


「あーあ、急患来ないといいなぁ」


アーモンドチョコを次々と口に放り込む田代は面倒くさそうに呟いた。


「それ言ってると本当になるからやめようよ。急患もだけど、そういう時って特変も重なるし…。しかも今日は満月」

「あ、それ聞いたことある!満月の夜は急患祭り。ナースステーションの伝説だよね!柴宮先生も、そういうの信じるんだ?」

「もちろん!あれ、すっごく良く当たるんだよー。気をつけなきゃ。じゃ、私は外来行ってくるねー」


交代時間になる前にナースからの申し送りを受けたのだが、今のところ病棟には問題はなさそうだ。
次に私はこれから夜間外来の診察室に行かなければならないが、その前にこの究極に空いたお腹を何とかしたい。
田代に一言断って、私はナースステーションを出た。


「あー、柴宮じゃん!これから当直~?」


廊下を歩いていると、前から鳩羽君が歩いてきた。


「そうですよー。三日連続当直の最終日ですよー。もうそろそろ限界ですよー」

「おいおい、お前まで倒れたら病棟回らないからさ、頼むよ」


私が三日連続当直という修行みたいなことを何故しているのかというと、八重島先生ところの研修医が一人、過労と心労で倒れたからである。
復帰がいつになるか分からないので、他の研修医と当直を平等に割り振ったのだが、どうしても中日だけはみんな予定が入っていて、私が替わるしかなかった。今まで、当直は出来る限り減らして貰っていたのだから、この時ばかりは助けないわけにはいかない。
その結果がこの度の激務だ。


「美玖ちゃん、最近酷い顔してるよ?」

「あははー、そうかなぁ?私は至って普通ですよー」


遠くを見ながら辛うじてそれだけ言うと、鳩羽君は思い出したかの様に白衣のポケットから袋を取り出した。


「はい、あんぱんだけど腹の足しにして。僕も昼飯食いっぱぐれちゃってさ。売店で買ったけど、結局最後まで食べる時間も無かったんだ。そろそろ仕事終わりだし、よかったらどうぞ」

「えっ…いいの!?」


子供の味方アン○ン○ンもびっくり、ごくごく普通のあんぱんが、私には至高の食べ物に見える。


「ありがとう!お腹ぺこぺこだったの!助かった~」


ホクホク顔であんぱんを受け取ると、鳩羽君は苦笑していた。


「あんぱんでそんなに幸せそうな顔するの美玖ちゃんくらいだよ。明日は流石に休みでしょ?息抜きによかったら良いとこ連れてってあげる。僕も休みだし」

「え?いいよ~。せっかくの休みなのに…」

「僕が君を連れてってあげたいの!予定がないなら決まりね!明日の仕事終わりに迎えに来るよ」


特に予定もなかったので、断る理由もないため頷いた。
鳩羽君の顔が綻ぶ。


「じゃ、無事夜勤が終わるといいね。幸運を祈るよ」

「うん、ありがとう」


鳩羽君はそう言って、私の髪の毛をクシャッと撫ぜて、そのまま廊下を歩いて行ってしまった。
その優しい手つきに私の顔も自然と緩む。





---ピピッ!ピピッ!





院内専用のPHSが白衣のポケットの中で震えた。
急患の呼び出しだ。

私は夜間外来の診察室に急いだ。




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