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悪役令嬢さま、日本で普通の家庭に転生して人の心を取り戻す

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「ミリャ テスタ オルコレアルス……」
 これは――貴様らに呪いと死を与えん――と言う意味。

 本当は群衆に向かって叫んだ最期の台詞だったが、高熱に浮かされた6歳のわたしの口からは、ぼそりと溢れただけ。

「あんな、あんちゃん、大丈夫? 目が覚めたのね、何か言った?」
 ママが飛んで来た。

「あのね、怖い夢を見たの……」
「それで起きたのね。よしよし、もう大丈夫よ」

 大きな手が毛布をめくり、そっと抱き上げてくれる。
 良かった、ここはわたしの家でわたしのベッドだ。

「あら、汗まみれね。着替えましょうか」

 タオルも着替えも、枕元に準備されている。
 ママは手際が良い、両手と両足を順番に上げるだけであっという間に終わった。

「あのねママ、変な夢だったの。あたしね、お姫様だったけどね、石を投げられて首をね……」

 わたし、東国杏菜ひがしくにあんなは、自分の首を触る。
 良かった、ちゃんと付いてる。

「それはまた怖い夢を見たわねぇ、何のアニメかしら。もう見せないようにしないと……」

 一度、ぎゅっと抱きしめてくれたママが、グレープフルーツジュースを差し出した。
 わたしは遠慮なく飲み干す、この甘さとすっぱさは現実で間違いない。
 首を切られるのも怖かったが、もっと怖かったことがある、夢の中ではママもパパもわたしのお母さんとお父さんではなかったのだ。

「ママ……」とだけ言って手を伸ばすと、直ぐにまた体が浮いた。
 思い切りしがみついて安心してから言った。

「何処にもいかない?」
「行かないわよ、安心して。それよりも、まだ体温が高いわね。もう一度計りましょうか?」
「うん」

 我が家にあるのは脇に挟むやつ。
 しっかりと抱え込んで三十数えていると、玄関から声がした。

「た、ただいま! 課長に頼んで、早引けしてきたよ。杏菜が熱を出したって!?」

 パパだ!
 大きな足音が近づいてくる。
 何時もなら隠れて脅かすのだけど、今日は元気がない。

 リビングから見えるように開け放たれたドアから、パパが飛び込んでくる。

「ちょっと、あなた! 先に手と顔を洗ってからにして!」

 ママが怒鳴ったのに、パパは無視してわたしを持ち上げた。

「おかえり」と言いたくて、大きく口を空けたら、口からジュースが飛び出してしまった。
 何時もなら、パパの背広で遊ぶと怒られるが、今日は吐いて濡らしても何も言われない。

「ああ、ごめんね。急に持ち上げて悪かったね。体調はどうだい? 苦しくないかい?」

 わたしを丁寧にベッドに置いてから、パパは上着を脱いでリビングに放り投げる。
 知ってる、これはママに超怒られるやつだ。

「うん、ちょっと良くなった。けどね、あたまが痛いの」

 パパの手がおでこに伸びて、わたしは目を閉じた。
 心の底からわたしを心配しているのが、手のひらから伝わる。
 パパは冴えなくて稼ぎも悪い、と時たまママが言っている。

 娘の前でパパの悪口なんてと思うが、三人一緒の時にしか言わないし、パパがわたしを抱き上げて「けど、誰よりも二人を愛してるよ」と言うのが何時ものパターン。
 ママはその台詞が聞きたくていじわるするのだと、娘のわたしには分かる。

 まあ、お金持ちではないのは確かだけど。
 そういえば、夢で見たわたしは金銀宝石に囲まれて大層なお金持ちだった。

 けど、今の方がずっと良い。
 愛してくれる両親がいて、学校にはお友達も出来たし、毎日色んなことが起きて……。

 早く良くなりたい……との願いとは裏腹に、この夜から容態は急変したらしい。
 らしいとは、わたしは覚えていないのだ、三日三晩の昏睡状態になったから。


 ――偉大なる東方帝国の末娘、アントーニア姫殿下
 これが三日間の夢の中でのわたし。
 いくら名字が東国だからってそれはないわね。

 巨大で屋根のあるベッドに、専用の使用人だけで数え切れない、服は一日に何度も着替えるし、二度以上着るのは寝間着だけ。
 本物で最高級の宝石を常に身に付け、日傘を自分で持つこともなく、食事は食べ切れない量が並び、好きなものだけ食べて良い。

 ただし、食卓に家族の姿はない。
 一度も怒られたことがなく、癇癪を起こせばどんな要望でも通る。
 わたしの役目は無事に成長して、決められた結婚を果たし男子を産むこと。

 その子は、この世で最も高貴な血筋となる。
 何故ならば、わたしアントーニアの嫁ぎ先は、帝国と双璧をなす西方の聖王国。
 七百年に渡り鎬を削った両大国の和平の象徴となるのが、わたしなのだ。

 三万の帝国騎兵に守られ、無事に引き渡され、今度は聖王国の銃士隊に囲まれて王宮に入る。
 結婚式は華燭の典、世界中の黄金と銀を集めたような大聖堂で、地上での神の代理人その人が執り行う。

 初めて見た夫は……わたしの好みではなかった。
 顔は良いけど冷たい感じが漂ってたの。

 そこからは……余り覚えてないわ、異国での慣れぬ生活に敵だらけの王宮。
 何時しか私は、お酒と男性と強い香りの出る草葉の煙を吸って、現実逃避をしていた。

 そして革命の炎が立ち登る。
 わたしが大事になってると知ったのは、牢屋に入れられるほんの二週間前。
 それなのに、民衆は王妃を出せと宮殿を取り囲んだ。
 わたしの贅沢のせいで国が傾き、食べるものすらないのだとか。

「そんなの知らないわ! 私のせいではないもの! パンが無ければおやつを焼いて食べれば良いじゃない!」と、言ったような言わなかったような……。

 そこからは地獄、湿った牢獄で話し相手はネズミと帝国から付いてきた侍女だけ。
 彼女が言っていた、この争乱は、聖女を名乗る一人の少女が現れてから始まったと。
 名前は確か……タチバナミズキ……。

 王家を取り除いた聖王国は聖共和国になり、全てが上手く行っているらしいとも。
 聖女を自称する魔女の周りには、優秀な軍人、優秀な聖職者、優秀な商人、優秀な政治家と裏切りの貴族が集まり運営しているのだとか。

「せめて、祖国に返してちょうだい……」これが唯一の願い。
 それでも、物語の幕としては十分でしょうに。

 けれども、私の祖国、東方帝国は姫の奪還を口実に戦争を仕掛けた。
 列強最強の二国が本気でぶつかった、史上最悪の戦争になったらしい。
 初日の戦闘だけで二十万が死に、広がった戦場は一千を超える村と町を焼き、数百万の国民を失った共和国議会は、わたしの処刑を決めた。

 刃の落ちてくる処刑台に、上向きに据えられた私は、逆さまに映った民衆へと最期の言葉を送る。

「貴様らに呪いと死を与えん!」と。

 ――最低の悪夢から目を覚ましたわたしが見たものは、少しやつれた両親と、四人の祖父母と、驚いた顔をした女の看護師さん。

「せ、せんせい! あ、あんなちゃんが目を開きましたー!」

 飛び出して行く看護師さんと飛びついて来るママとパパ。

「く、くるしい……ねえ、なんで泣いてるの?」
「三日も意識が戻らなくてぇ……良かった、本当に良かったわ……」
 泣き崩れたママはそれっきり。

「杏菜、よく頑張ったな偉いぞ。本当にな、よくぞ帰ってきてくれたね」
「パパ、お髭がいたい」

 パパの泣いてるところは初めて見た。
 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが泣いてるところも。

 周りには、ぼーっとしてると映ったみたいだけれど、わたしは困惑していた。
 突如よみがえった記憶と、前世がなんとお姫様! だという事実に。
 話したら、信じてくれるかな?

 が、それどころではなかった。
 原因不明の高熱からの昏睡、うわ言では意味不明の言葉を呟き、さじを投げる寸前だったお医者さんは、徹底的な検査をする気になったのだ。

「つまんないーつまんなーい! お外に行きたいー!」

 わたしは前世さながらのわがままを披露していた。
 目が覚めてからもう四日、我慢など一度もしたことがない前世を持つ6歳のわたしに耐えられるはずもない。

「ご飯もまずい! 部屋は臭い! お菓子もない! もう出てくー!」

 思う存分に叫び散らすわたしに、母方の祖母は困り顔。
 ママと二人のお祖母ちゃん、三人が交代で24時間わたしを見てくれているのだが、そんなのお構いなし。

「あらあら、どうしましょうねえ。何かお話しましょうか。おはじきもあるわよ、かるたにあやとり、何でも教えてあげるから」
「そんな古臭いのに興味はないわ!」

 児童病棟に置かれている、その場で遊べる玩具をわたしは盛大に投げ飛ばす。
 祖母は何も言わずに散らばった玩具を一つ一つ拾って回る。

 そう、これなのだ。
 誰もわたしに逆らえず、わたしの機嫌を取るために周りに集まり、何をされても受け入れるしかない。
 絶対的な上位者が他人を虐めるのは当たり前、だって快感なんだもの、ということをわたしは思い出していた。

 手元にあったお手玉を、なるべく遠くに放り投げる。
 おほほほ! さあ拾いにいくといいわ、お祖母様!
 心に闇が広がりかけたところで、病室の扉が開いた。

 これが、一つ目の転機。

「やあ、あんちゃん! 良かったねえ、遅くなってごめんねえ。締め切り間際でさぁ、直ぐに駆けつけたかったんだけど、原稿に穴をあけるわけにもね」

 病室に入って来た女の人を見て笑顔になる。
「ミキちゃん!」

 ママの妹のミキちゃん、叔母ちゃんと呼ぶと何度もお姉ちゃんと言ってとお願いする、だから間を取ってミキちゃんと呼んでいる。

 漫画家さんなのだが、何故か作品は見せてくれない。
「まだ早い」と言った代わりに、普通の少女漫画をいっぱい持ってきてくれる、お気に入りのお姉ちゃん。

「んー杏菜に、ちゅっ」
 姪っ子のあたしにすこぶる甘く、時々ママに注意されてもいる。

「お母さん、杏菜の相手は私がしてるから、一休みしたら。外まで大声が聞こえてたよ」
「なに言ってんの、全然平気よ。杏菜がぐずるのも仕方ないわよ、まだ小さいのに病院に一週間も。何か欲しいものがある? お祖母ちゃんが何でも買って来てあげるからね」

 むむ、あれだけ暴れたのに祖母はニコニコの笑顔、まだ暴れ足りないのかしら。

「何時も同じ顔だと気が滅入るのよ。ここは女の子同士でガールズトークしてるから、お母さんはシュークリームでも買ってきて、私の分もね」

 お祖母ちゃんは「あんたは女の子って歳でもないでしょうに」と呟きながら出ていった。

「さてと、あんちゃんお土産だよー」
 ミキちゃんのお土産と言えば決まっている、漫画だ。
 退屈をお婆ちゃんを虐めることで晴らしていたわたしは早速飛びつく。

「ミキちゃん、ありがとう! 退屈してたの、お祖母ちゃんのお話はつまんなくて」
「あらまあ。お姉ちゃん……ママは?」
「ずっと寝てなかったから今は交代なの。お父さんも、今週一杯はお休みもらったって」
「ふーん、久々に夫婦水入らずね」

 ここでわたしは、ちょっといたずらっぽい顔をして言った。

「弟か妹が出来たりしてね」

 ミキちゃんの顔がびっくり仰天に変わる。

「あ、あ、あんちゃん、ま、またまたー。偶然だよね、うんそうよパパとママが仲が良いと子供が出来るのよ、おほほ」

 と言いながら、ミキちゃんは持ってきた漫画を一度点検し始めた。

「ちょっと待ってね、最近の少女マンガは過激だから。変なの混ざってたらお姉ちゃんに殺されるわ……」

「違うよー、漫画で読んだのじゃないの。何処で知ったかは内緒」と言いながらも、ミキちゃんを見上げる。
 聞いてもよろしいのよ?

「お姉ちゃんに教えて欲しいなあ。ねえ、杏菜ちゃん教えて教えて」
 流石はわたしお気に入りの叔母様、将来はお抱えの漫画家にしてあげるわ。

「あのね、他の人には内緒よ?」
「ほー……ふむふむ、前世がお姫様ときたかー」

 何故にミキちゃんは『あいたたたっ』て顔をしてるのだろうか、とっておきの秘密なのに。

「うん、まあね。女の子には良くあるわよね。杏菜ちゃん、それもうみんなに話した?」

 ふるふると首を横に振る。
 話すも何も、思い出したばかりなのだ。

「そっかー。じゃあお姉ちゃんと、二人だけの秘密にしよっか?」

 約束ねと、ミキちゃんが小指を差し出す。
 むうー、信じてないのがバレバレだ、わたくしがそんじょそこらの6歳児だと思ってもらっては困るわ!

 がしっとミキちゃんの小指を掴んで「あのね、それでね」と具体的な内容も教えてあげる。

 前世といっても、全て覚えている訳ではない。
 だいたい生きてる内にほとんどの事は忘れてしまうのだから、人の名前やおおまかな流れ、印象のあるエピソード、そんなところ。

「へぇ、革命物かしら? にしては、単語が一致しないわね。んん、ちょっと待って!」

 ミキちゃんの顔色が変わる、わたしがバカ長い前世での両親の名前をそらんじたあたりで。
 が、信じるのかと思ったら、メモ帳を取り出した。

「はい、良いわよー。最近の女子ではそういうのが流行ってるのね、取材させてもらうわ」

 まだそんな事を言ってる!
 わたしは売れない漫画家にネタを提供してるのではなくてよ。
 夢で見た前世、覚えてる限りのことをミキちゃんに教えてあげようと、わたしは喋り続ける。

「つ、つかれた……」
「あんちゃん、ありがとうね。興味深いわ、前世ものは少女漫画のド定番だけど、悪役にスポットが当たるってのが新しい。これで何とか新作を一本……」

 漫画家モードに戻ったミキちゃんをおいて、わたしは病院のベッドに潜り込む。
「出来たら見せてね」とだけ言って。
 この小さな体と頭脳で、三十分もの独演会は辛いのだ。

「あ、ごめんね。大丈夫、寝ていいわよ。お姉ちゃんが付いてるからね」

 ようやくミキちゃんがメモ帳をしまって、わたしの体に毛布をかけたところで、また病室の扉が開いた。
 ママとお祖母ちゃんだ!

「ミキ、あんたお母さんにお使いさせて!」
 ママは真っ先にミキちゃんを叱る。
 二人は歳の離れた姉妹、「お姉ちゃんには頭が上がらないと」常々言っている。

「ミキちゃんがね、お話の相手になってくれたのー」
 わたしはちょっとだけ助け舟を出して、お祖母ちゃんに手を差し出す。
 ぽんっと置かれたシュークリームを、お礼も言わずに剥くと、包んでた袋はそこらへんに投げ捨てる。

「なんっ!」
 見ていたママの眉毛が危険な角度につり上がったが今は何も言わない、少し焦ったけど。
「いいのよ、いいのよ」お祖母ちゃんが、袋を拾う。

 わたしはお姫様。
 前世では一度もゴミなんて持ったことがないし、拾ったこともない。
 後ろから付いてくる誰かが片付けるもの。
 それが当たり前なことを、わたしは思い出していた。

 そしてわたしは退院する、原因は不明のままで、お医者さんは泣いて悔しがっていた。

 小学校に戻ったわたしは、心配して集まってくれたクラスの女の子達に、つい言ってしまう。
 ミキちゃんとの約束『二人の秘密ね』はすっかり吹き飛んでいた。
 学校を休んだことで心配され優しくされたので、ここで真実を伝えれば、みんなひれ伏してわたしを正当に扱うだろうと思ったのだ。

「わたしね、入院してて思い出したの。前世がお姫様だったんだって」

 ……あれ? みんなの反応が薄いわ。
 一拍置いてそうなんだ、あははじゃないでしょ。
 そこは、凄いわ! やっぱりね! わたしを家来にしてとか来るものでなくて。

 ふつふつと湧き上がる不満と怒り、特別な立場に生まれたわたしを崇めないないとは。
 それからのしばらくは、わたしはクラスの女子に認めさせるために、あらゆる手を使った。
 命令してみたり、前世の単語を使ってみたり話したり、あなた達とは違うのよと分からせようとしたのだが……ある日、普通にママとパパに怒られた。

 ママは、お友達に対する態度が良くないと、先生から連絡を受けたそうだ。
 原因は、病気をして甘やかしたことだと思っているらしい。違うのに。

 不満いっぱいを浮かべるわたし。
 何と言っても、前世では怒られたことなど一度もないのだから。

「杏菜、杏菜」
 不貞腐れるわたしをパパが抱き上げてお膝に乗せる。
 それから丸い顔がわたしを見つめる。

「杏菜に前世があってね、それが何だろうとパパには関係がないよ」
 ショックな台詞だった。
 けど続けて、とびきり優しい言葉が振ってきた。

「杏菜はパパのお姫様だからね。これまでもこれからも、ずっとだよ。何があってもそれは変わらない。そしてね、クラスのみんなも、誰かのお姫様なんだよ」

「あなた! また自分だけ甘やかして!」
 すぐ隣で、ママが叫ぶ。
 けどわたしは少し納得しそうになった、自分だけが特別じゃなかったのかなと。

 そして、二つ目の転機がやってくる。

「ママ、見せて見せて!」
 真っ赤なお猿さん、いや違う、わたしの弟が生まれたのだ。
 前世では帝室の末娘、子供を産んだ記憶もないし、自分より小さく弱い存在に触れるのは初めてだった。

「小さい! かわいい!」
 ほっぺは怖いので、手のひらをつつく。
 信じられなほど小さく頼りない手が、思ったよりもずっと強い力で指を握った。

 パパが言った。
「今日から、お姉さんだね」

 凄いことにわたしは気が付いた。
 一人っ子だったわたしは、今日からお姉ちゃんになったのだ。
 弟は生まれながらに弟だけど、この子がいなければわたしはお姉ちゃんにはなれないのだ。

「わたしが、お、お姉ちゃんよ、よろしくね?」
 人差し指を握ってる力が、少し強まった気がして、それから弟が返事の代わりに泣き出した。

 我が家の中心は、わたしから弟に移る。
 私にとって、何事でも自分が中心に動かないことは初めての経験だったが、何の不満もなかった。

 だって、7つも年下の優希ゆうき――優しく希望に溢れ勇気あれと両親が名付けた――が、かわいくて仕方がないの!

 私は、前世自慢を止めた。
 代わりに弟自慢が始まったが、それはありなようで、お友達も周りに戻ってきた。

「あん、もうお姫様って言わないのね?」
「もうその話はやめてー!」

 時々からかわれるくらいの黒歴史で収まった。

 さらに小4くらいには気付く。
「ブルネットの髪は良いわ、綺麗だし。黒曜石みたいな瞳もまだ許容範囲。けどこのぺたんとした鼻と、丸顔だけは!!」

 父親譲りの丸顔は、お姫様にはほど遠い。
 お父さんに似てることは何度も苦情を言ったがどうしようもない、お母さん譲りの優希の方が美形になるわね。
 将来は勝手にオーディションに応募してやろう。

 鏡を睨みつける私のとこに弟がやってくる。
「ねーちゃん! ねーちゃん!」

 遊んでほしいのだ、もちろん異論はない。

「咳とか出てない?」
「うん、今日は平気!」

 優希は喘息の気があった。
 夜に咳をし始めると心配でたまらない、わたしが背中をさすると落ち着く気がするので何時も飛んで行く。
 両親も私も、優希用の吸入器を常に持っている。
 だってこの子、持たせてもすぐ何処かにやっちゃうんですもの。

 そのせいで、お陰でというか、三年前の私の高熱はすっかり影が薄くなった。
 今では健康優良児、前世のことを夢に見ることもなくなったが……ある日、思い出させる事が起きる。

「えー、転校生の、立花水希さん。みんな仲良くするように」

 転校生の紹介、ぼーっと見ていた私に何かが引っかかる。

「タチバナ、タチバナミズキ……タチバナミズキ……? あっ!!」

 前世で私の所へやってきた聖女、もとい魔女!
 こいつが引っ掻き回したせいで嫁ぎ先は潰れ、実家は戦争、ついでに私は断頭台!

 いやけど、同姓同名の別人ってこともある、敵を探るには慎重にいかねば。
 タチバナの見た目は普通、喋り方も普通、むしろ大人しい。
 男子がざわつく要素はなし、趣味は読書だってさー、どうせ漫画でしょ?

「ごきげんよう、立花さん。少しお話、よろしいかしら?」
 最大限の威厳を前世から引っ張り出した私は、お昼休みに話しかける。

 だが、それを合図に他の女子も一斉に集まってくる。
 みんなタイミングを伺っていて、わたしが先陣を切った形になってしまった。
 えーい邪魔くさいわね、この庶民どもは。

 仕方なく、私は強引に放課後の約束を取り付けた。
 こいつが私の宿敵かどうか、早く知らねばならないのだ。
 タチバナミズキの家は、普通のお家。
 お邪魔すると、お母さんが出迎えてくれた。

「始めまして。同じクラスの東国杏菜です。約束もなく押しかけてすいません」

 前世の記憶で役に立ったのは礼儀作法と、誰に会っても緊張しないことくらい。
 丁寧にお辞儀した私に、タチバナのお母さんは笑顔で迎えてくれる。

「まあまあ早速いらっしゃいませ。杏菜ちゃん? 水希をよろしくお願いしますね。ほんとしっかりしたお友達が出来て、良かったわぁ」

 ふっ、お友達ではないけどねとの、闇の心を隠した私は笑顔を崩さない。
 にこやかに立ってるだけ座ってるだけなら、散々仕込まれましたもの、何時間でも平気よ。
 ただし正座は苦手。

 宿敵候補タチバナの部屋に案内された私は、大きな本棚に驚いた。
 くそっ、文学少女かと思ったが、よく見れば半分は漫画。
 なーんだ、やっぱりね。

「あの、好きなとこに座って下さい、杏菜さん」
「杏菜で良いわよ、それか皆と同じあんでも良いし」

 さて何から問い詰めようか……と思った私の目に、一冊の漫画が飛び込んだ。

「あれこれ、ミキちゃんの新刊じゃん?」

 そういえば、叔母のミキちゃんが持ち込んだアイデアが編集部に受けて、連載になるかもって言ってたわね。

「え? 安樹桜先生のこと、知ってるの!?」
「あ、うん。ママの妹なの」
「ええっー! 凄い、凄い!」

 安樹桜ことミキちゃんの大ファンだった立花水希とは、大いに話が盛り上がってしまった。
 冷静に考えれば、水希ちゃんがタチバナミズキでも、私の前世に絡むのはずっと先だろう。
 一度だけ肖像画とやらを見たが、恐らく高校生くらい、当時は短いスカートの軍服だと思ったが、日本の制服っぽいのを来てたし。

「またねー」
「バイバイ、また来るねー」

 流れに流され、水希ちゃんとはそのまま友達になった。
 中学校も高校もずっと同じ。

 そして――高校生のある日。

「ほら、こっちに来なさい! 車多いから!」
 9つになった優希を連れて、私は近所の大型百貨店に向かう。
 何でもカードの新パックが出るが子供だけでは行ってはいけない場所なので、連れてってくれと頼まれたのだ。

 少し生意気になったが、変わらずに弟はかわいい、むしろ溺愛している。
 ようやく喘息も収まってきたが、私は吸入器を手放さずに持ち歩いている。
 手のかかる子ほどかわいいってほんとねーなんて思ったりして。

 他人に目をやることを覚えたた私は、前世で何故あれだけ恨まれていたか、少しは分かるようになった。
 今なら上手くやれたのかもと思うが、ささやかで普通の家族を手放すつもりはない。
 そろそろ好きな人でも出来る予定、丸顔で平凡な私を好きになってくれるかは分からないが。

「ほら、手!」
 差し出した手をすり抜けて、弟はスカートを掴んだ。

「もう、しわになるでしょ!」
 言った所で優希は知らん顔。

 姉に手を繋いで引かれるよりも、服を握って付いて行く方が恥ずかしくないという小学生男子の心。
 私には分からん。

 優希は必死に、はまっているカードゲームがいかに面白いかと訴える。
 だが、ついでにお姉ちゃんにも買わせようという魂胆が丸見えだ。
 弟の考えなど姉には100%分かる。

「あ、猫」
「何処に?」

 聞き返した瞬間、弟がスカートから手を離した。
 同時に高いブレーキ音がする。
 道路に出た猫が危うく引かれそうになっていた。

「こっち、こっちに来い!」
 九死に一生を得た猫を呼び寄せようと弟が何歩か車道に出て、わたしもそれに付いていく。

「こら! 危ないでしょ!」

 そして私は気付く。
 急ブレーキをかけて止まった車を避けようとしたトラックが、真っ直ぐに優希に向かってることに。

「優希!」
 だいぶ重くなった弟、最近では抱っこも無理だ、むしろ嫌がられる。
 片手で捕まえて踏ん張って、全力で放り投げる。
 ギリギリのところで猫も弟に飛びついたのが見えた。

 私も逃げようとしたが、トラックの前の角とミラーに弾き飛ばされてしまった。
 一瞬の衝撃と暗転、遠くから呼ぶ声に目を開くがよく見えない。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん! 死んじゃやだ、やだよう……」
 見えない目の前に居るのは優希か。
 久々に聞くギャン泣きだ、最近はげんこつの三つ四つでは泣かなくなったのに。

「……ゆうき、無事?」
「ひっく、うん、ぼくは」
「良かったぁ……」

 右手を上げると、よく知る両手が包んでくれた。
 本当はほっぺに触りたかったのに。

「ゆうき」
「うん」
「誰かを、恨んではだめよ……人には、優しくね……強い子にね……」
「やだよ! 分かったけどやだよ! お姉ちゃん! お姉ちゃん!」

 振ってきた、弟の温かい涙が、日本での最後の感覚。

 全てが黒い底に飲まれていく――と同時に、わたしは目を覚ました。

「優希!」

 自分の大声ではっきりと覚醒する。
 今居る場所を自覚する前に、外からノックされた。

「姫様、姫様。どうなさいました?」

 ふたつ呼吸をしてから、わたしは返事をする。

「無用よ、入ってこないで」

 ベッドに半身を起こしたまま上を見る、天蓋からシルクのレースが伸びている。
 右と左は、恐ろしく広い。
 日本でのわたしの部屋が五つは入る。

「夢……?」
 違うわ、だってわたし、泣いてるもの。

 ここが何処かははっきり分かる。
 東方帝国の外宮の一つ、わたしのために造られた宮殿だ。

 酷い、酷すぎる。
 暖かい家庭と優しい両親と可愛い弟と、気の合う友達と、全てを失ってまたこの地獄が待つ世界に戻ってくるなんて……。

 夜が明けるまで、静かに泣いていた。
 頭が混乱して、あれは束の間の夢だったのかと思うほど。
 コツンと手が当たり、寝間着のポケットに固いものが入っているのに気付く。

「これ、優希の吸入器……」
 八年ほど、一日も離すことなく持ち続けていた物。

「良かった、夢じゃなかったのね。あれは本当の幸せだったのね……」

 もう一度泣いて、頬をつねってから確信する。
 この世界も現実だと。

 わたしは二つの世界をループしている?
 なら死んだら戻れる? そんな保証は……ないわね。

 むしろ何かを教えたくて神様は普通の家庭に送り込んだのだろうか。
 だとしたら、そんな神様などぶん殴ってやる。
 わたしのかわいい弟を悲しませ、泣かせるような真似をした神なんて。

 横幅でも身長の三倍はあるベッドからようやく降り立った。
 気付いたのは、わたしはまだ幼いこと、5歳か6歳か。

「もう一度は、嫌だなあ……」

 5歳なら、わたしの婚約は既に決まっている、聖王国に嫁ぐのだ。
 そして遊び呆けて革命を招き、断頭台の露に消える。
 悪夢の運命も嫌だが、今は一つの希望と願いがある。

「……水希ちゃん、来るかな?」

 可能ならば自分が戻りたいが、無理ならせめて優希に伝えたい。
 お姉ちゃんは平気だからね、自分を憎んだりしたら駄目よと。
 親友のタチバナミズキが、この世界に来て帰る存在ならば、手の中にある『お姉ちゃん』とマジックで書いた吸入器と伝言を託したい。

 静かな決意を固めたところで、寝室の扉が開く。

「姫様、起きておいででしたか。あら……」
 泣きはらした顔を見て、侍女頭のばあやが驚いた。

「悲しい夢を見たの。けどもう平気よ」
「お湯を持ってまいります」

 寝起きの悪いわたしの世話は、国を出るまでばあやが務めていた。
 他の侍女に任せても、癇癪を起こすか気に入らないかで直ぐに首にしたからだ。

 ふと思い立ったわたしは、ばあやを呼び止める。
「ばあや。何時も、ありがとうね」

 垂れたまぶたに埋もれそうなばあやの目が、飛び出そうな程に見開く。
 以前のわたしは、臣下や使用人に一度もお礼を言ったことがない、本当に一度もだ。


 もう一度帝国の末娘を繰り返すことになったわたしには、何の策略も新しい能力もないけれど、前よりは良くなると信じてみようと思った。

 だってわたしは、人に優しくすることを知っているのですもの。
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