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第3章 雪は溶けて、消える
第34話 そして消えゆく
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「雪英様!」
凜凜が走って部屋に入ってきた。
――妊娠しているお方がそう走るものではありません。
そう言いかけて、古堂はやめた。
今の雪英はずいぶんと子供の頃に戻っている。
凜凜が妊娠などと聞いたら、驚いてしまうだろう。
「ああ、凜凜……遅いわ……」
「雪英様……」
凜凜は泣きながら雪英の側にしゃがみ込んだ。
古堂は雪英の手を凜凜に手渡した。
「こんなに冷えて……こんなに……こんなに……」
シクシクと泣きながら凜凜は雪英の手を握り締めた。
「凜凜……あの六花の手巾……もう捨ててしまった……?」
凜凜は雪英の言葉に驚いた。あれを雪英が覚えているとは思っていなかった。
「……死出の旅に、持っていきたいの……棺に収めてくれる……?」
「はい……はい、必ずや……」
声を詰まらせながら、凜凜は承服した。
「古堂……あの簪を取ってちょうだい。母上の形見の簪……」
「は、はい」
雪英の寝台の側にその簪は置かれていた。
雪英はそれを手に取ると、震える手で凜凜の髪に挿してやった。
「……雪英様……」
「あげる。これ凜凜にあげるから……全部許してくれる……?」
「何が、ありましょうか。私が許さなければいけないことなどひとつもございません。私の方こそ雪英様に許してもらわねばならぬことばかりで……」
「今の凜凜、すごく綺麗ね……」
凜凜の懺悔を雪英は無邪気な言葉で遮った。
「雪英様……」
「お父様のことなんてなくとも……私、あなたには敵わなかったのかもしれないわ……陛下は、見る目がある……」
「……雪英様……」
「ああ、私がこんなところまで連れてきてしまったのにね……私が先にいなくなっちゃうんじゃ……あなたも困るわよね……」
「……困ります。はい、困ります。雪英様がいないと困ります。だから、だから……お願いします……いかないで……」
凜凜はもう言葉にならなかった。
うなだれて、雪英の手を強く握りしめた。
「だから……許してね……。凜凜、私の侍女を解きます。好きにしていいから……私のことなど忘れて放っておいていいから……だから……わ、私のこと……嫌いにならないで……」
「大好きです! ずっとずっと……大好きです……雪英様は誰よりも……大事で……美しくて……自慢の……自慢の主人です……」
「……ありがとう、凜凜。あのね、気のせいかもしれないけれど……いつだったかしら、たすけてと、私を呼ばなかった?」
「…………」
呼んだ。あの今となっては遠い昔のことのように思える初夜に、凜凜は雪英を呼んだ。
「ごめんね、助けられなくて……ごめんね……私の侍女なのに……私が守ってあげなくちゃいけないのに……母上からよく言われたのに……」
「私の方こそ……ごめんなさい……私がいっぱい間違えたせいで……こんなことになってしまった……」
「いいの。いいのよ、凜凜、間違えたって、いい。大丈夫よ、凜凜」
それが、雪英の最期の言葉だった。
凜凜の手から、雪英の細腕がこぼれ落ちた。
医官がその脈を取り、その瞳を確かめ、その鼓動に耳を傾けた。
「……残念ながら」
医官のその言葉に、凜凜は久しぶりに声を上げて泣いた。
その泣き声はいつまでも始水殿に響き続けた。
凜凜が走って部屋に入ってきた。
――妊娠しているお方がそう走るものではありません。
そう言いかけて、古堂はやめた。
今の雪英はずいぶんと子供の頃に戻っている。
凜凜が妊娠などと聞いたら、驚いてしまうだろう。
「ああ、凜凜……遅いわ……」
「雪英様……」
凜凜は泣きながら雪英の側にしゃがみ込んだ。
古堂は雪英の手を凜凜に手渡した。
「こんなに冷えて……こんなに……こんなに……」
シクシクと泣きながら凜凜は雪英の手を握り締めた。
「凜凜……あの六花の手巾……もう捨ててしまった……?」
凜凜は雪英の言葉に驚いた。あれを雪英が覚えているとは思っていなかった。
「……死出の旅に、持っていきたいの……棺に収めてくれる……?」
「はい……はい、必ずや……」
声を詰まらせながら、凜凜は承服した。
「古堂……あの簪を取ってちょうだい。母上の形見の簪……」
「は、はい」
雪英の寝台の側にその簪は置かれていた。
雪英はそれを手に取ると、震える手で凜凜の髪に挿してやった。
「……雪英様……」
「あげる。これ凜凜にあげるから……全部許してくれる……?」
「何が、ありましょうか。私が許さなければいけないことなどひとつもございません。私の方こそ雪英様に許してもらわねばならぬことばかりで……」
「今の凜凜、すごく綺麗ね……」
凜凜の懺悔を雪英は無邪気な言葉で遮った。
「雪英様……」
「お父様のことなんてなくとも……私、あなたには敵わなかったのかもしれないわ……陛下は、見る目がある……」
「……雪英様……」
「ああ、私がこんなところまで連れてきてしまったのにね……私が先にいなくなっちゃうんじゃ……あなたも困るわよね……」
「……困ります。はい、困ります。雪英様がいないと困ります。だから、だから……お願いします……いかないで……」
凜凜はもう言葉にならなかった。
うなだれて、雪英の手を強く握りしめた。
「だから……許してね……。凜凜、私の侍女を解きます。好きにしていいから……私のことなど忘れて放っておいていいから……だから……わ、私のこと……嫌いにならないで……」
「大好きです! ずっとずっと……大好きです……雪英様は誰よりも……大事で……美しくて……自慢の……自慢の主人です……」
「……ありがとう、凜凜。あのね、気のせいかもしれないけれど……いつだったかしら、たすけてと、私を呼ばなかった?」
「…………」
呼んだ。あの今となっては遠い昔のことのように思える初夜に、凜凜は雪英を呼んだ。
「ごめんね、助けられなくて……ごめんね……私の侍女なのに……私が守ってあげなくちゃいけないのに……母上からよく言われたのに……」
「私の方こそ……ごめんなさい……私がいっぱい間違えたせいで……こんなことになってしまった……」
「いいの。いいのよ、凜凜、間違えたって、いい。大丈夫よ、凜凜」
それが、雪英の最期の言葉だった。
凜凜の手から、雪英の細腕がこぼれ落ちた。
医官がその脈を取り、その瞳を確かめ、その鼓動に耳を傾けた。
「……残念ながら」
医官のその言葉に、凜凜は久しぶりに声を上げて泣いた。
その泣き声はいつまでも始水殿に響き続けた。
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