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氷の世界
絶体絶命
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「娘ェ、どこにいる。切り刻んでやる」
空が暁に燃える頃、憤怒の形相を浮かべる葬民らが教会堂の周りを慌しく駆け回っていたが、狩るべき対象がどこにもいないと認識すると、その場から立ち去っていく。
足音が遠ざかったところで、木製の扉が少しずつ開いた。
恐る恐る顔だけを出したのはアメリだ。忙しなく首を動かして辺りを見渡す。脅威が去った事を確認すると、扉を閉めて撓垂れ掛かる。
「はぁ……行ってくれたみたい」
安堵の息を漏らして足を伸ばした。もう逃げ回る体力は残っていない。
息を整えたアメリは、割れたステンドグラスから夕日が差し込む広い教会内部を改めて見回した。
酷い有り様だ。椅子は殆どがなぎ倒されており列柱には戦闘の末だろうか、鋭利な何かを走らせたような跡や、飛び散った血の跡がついている。
アルター教の開祖ペロムの肖像画も首から下が滅茶苦茶に裂かれていた。
すでに白骨化した死体の中には駆けこんできた民衆は元より、白いローブの上に青いストラを首にかけた司祭とおぼしき者やアメリと同じ赤いローブを着こんだ者もいる。
殺戮の場と化したのだろう。彼ら彼女らはアルター教団所属の聖霊術士であり――
(皆を守るために精一杯戦ったのね……)
アメリとは面識がないものの、心が繋がった信徒同志に違いなかった。
(ジーナ、あなたは何の恨みがあってこんな酷い事ができるの。メネス中をシュマの呪詛で覆ってしまうなんて。国を、全てを壊した罪は神も私も絶対許さないッ!)
このような状況は予想していたものの、いざ改まって対面すると目頭が熱くなる。
悔しさに堪えきれず唇を噛みしめたアメリは、首に付けていた三日月を模した大きなペンダントを握りしめ、事件の発端を思い出していた。
邪神の手を受けた者ジーナが国中を恐怖に陥れ、人類の命運を背負った若者二人が国を立った。アメリはあの異様な熱気を今でも肌に覚えているが――
そこで――
(泣いたら駄目。泣くのは、全てを終わらせてからよ)
同時に心の奥底へ封じ込めていた嫌な記憶まで這い出そうになったため、気を入れ替えた。
仲間の亡骸に視線を寄せる。アメリは民衆を守るために散っていった仲間が残してくれたであろう霊護符を拝借するため、教会堂へ入ったのだった。
「死者から物を剥ぎ取るみたいで本当は嫌だけども……アルター様と友よ、どうか私を御許し下さい」
教会再奥の祭壇に置かれている、真っ二つに割られたアルター神へと懺悔する。
そして、重い腰を上げようとした刹那だった。
「わひゃうッ!?」
突然木片が吹き飛び、頭の上を何かが掠めたのだ。アメリは心臓が飛び出そうな心持になりながらも、反射的に距離をとる。
「ヤバッ」
葬民の灰色の手が扉を突き破ったのだ。
(なんで見つかったのよ! 完全に振り切ったはずなのに)
それだけではない。教会の奥からどすっという人が足をつく音もした。アメリは嫌な予感がして後方を見やると、窓から何体かが侵入している。
最悪だった。これでは机等に入っている可能性がある霊護符の方は取り出せない。
後悔する時間はないと、アメリは急いで近くの亡骸のローブを調べたが――
「ちょっとちょっと、全然持ってないじゃない。冗談じゃないわ、こっちはッ!」
一つもなかった。どの聖霊術士も霊護符を所持していない。
アメリの碧色の瞳が揺らぎ、唇がわなわなと震える。考えが甘かったのか――彼ら彼女らは手持ちの霊護符を全て使用してしまった末に対抗手段を失い絶命したなんて考えもしなかった。
攻撃手段を補給するという都合のよい希望は現時点で絶たれたのだ。
(余裕を残すなんてできない! ここで全部使い切らないとっ――て!?」
そう思った矢先。絶望のあまり表情が固まってしまった。
革鞄の口が大きく開いているではないか。もしやと中を弄るも、頼みの綱である霊護符が一枚もなかった。
(ありえない、霊護符はまだあったハズよ。どこへいったのホント何処に!?)
混乱でアメリの頭の中がぐるぐると回る。
そうこうしている間に葬民らの一団は扉を蹴り、破り次々と教会堂の中へ入ってきた。
アメリは目に映る光景が信じられなかった。最初に入ってきた一体が、カビの生えかけたパンを持っている。
「あーッ!? それ私のパン!?」
思わず指差してしまう。それは、アメリの落とし物だった。
「娘、やっぱりここで消えた。おかしいからもう一度来て確かめたらこれ落ちてた。ためしに中見ようと思ったらいた」
「そんな。バカすぎでしょ、私。みんな落としちゃってたってこと」
アメリは自分の間抜け加減に心底嫌気が差した。必死になって走っていたので、革鞄の口を空けていた事や、あまつさえ中身の霊護符、非常食やら地図までごっそりと落としていた事にも気がつかなかったのだ。
背後から複数の殺意も感じる。しかし立ち向かおうにも、肝心の攻撃手段はない。
アメリは足がすくんで、とうとう立ち上がる勇気すらなくなってしまう。
(こんな終わり方ってないわよ。私……こんな、こんなッ!)
彼女にとって大切な存在との思い出が、次々と脳裏に浮かんでくる。
(お兄ちゃん。あなたともう一度話すまでは、生きていなきゃだめなのに!)
アメリに笑いかけるその笑顔が脳裏に浮かび、悔し涙が溢れた。彼女は肉親を見つけるためにここまで旅を続けてきたのだから。
「娘、イく。違う次元へ、イく」
一体が顎をあんぐりと開けて襲いかかってきた。アメリは迫りくる死の恐怖に耐えきれず、ぎゅっと目を瞑る。
(我、アルター神様のご加護と共にありッ)
彼女の信じた神へと祈りことしかできない――
「ヒギャッ!?」
が、無傷のままであった。
(って……あれ、何が起きたの!?)
攻撃に傷つくことなく、代わりに聴こえたのは断末魔の声。ともあれ自分が死んでいないことを認識したアメリは現状を確認すべく、恐る恐る目を開けた。
「へっ?」
そして自身でも驚くくらいに間の抜けた声を発した。迫ってきてたていた葬民の首が胴体から離れていたのだ。眼前にあった脅威がいきなり消え失せてしまったのである。
その一体だけではない。左隣にいた葬民も「何者か」に続けざまに切り伏せられた。
後方の葬民達も口をあんぐりと開けて狼狽えている。
予期せぬ状況を作り上げたのは――
「あれは……」
いつの間にか教会堂内に入っていた男だ。面妖な模様をした仮面で頭部全体を隠しており、大柄な体躯を無数のヒビが目立つ蒼い甲冑に包んでいる。
どこからどう見ても怪しいという印象しかないが、アメリを救ったのは彼に違いない。
その黒い雰囲気をかき消すかの如く青白く光り輝いた透明の剣。片手に担いだそれには葬民の残骸がこびりついているが、それはやがて天に昇るように消失していった。
剣はアルターの霊護符を当てるよりも邪悪な存在への効果は抜群だった。
「ア、アイツだ。アイツからだッ」
「娘は後だ!」
突如現れた敵を排除すべく、窓から侵入してきら葬民らがアメリを無視して仮面の男目掛けて突っ込んでいく。
仮面の男は冷静だった。飛び跳ねてきた者をまずは一刀両断。次に足を払おうとしてきた者に対しては剣を振り落した。最後に天上に張り付き、死角から噛み付こうとしてきた者に対し、初めから行動を予測してたのかのように合わせて突く。
残る三体は、まとめて横一閃。作業のように淡々と行われた戦闘は、両指を数える程の時間で終了した。
仮面の男はふぅと一息吐くと、アメリを一瞥した。
「……」
何かを伝えようとしたのか喋りだしたが、当のアメリは先程から目まぐるしく変化する場面についていけず放心状態だったため。何を言っているか聞き取れなかった。
「もう、駄目」
極限の緊張から開放されたのもあり、ばたんと頭から倒れて気を失ったのだった。
空が暁に燃える頃、憤怒の形相を浮かべる葬民らが教会堂の周りを慌しく駆け回っていたが、狩るべき対象がどこにもいないと認識すると、その場から立ち去っていく。
足音が遠ざかったところで、木製の扉が少しずつ開いた。
恐る恐る顔だけを出したのはアメリだ。忙しなく首を動かして辺りを見渡す。脅威が去った事を確認すると、扉を閉めて撓垂れ掛かる。
「はぁ……行ってくれたみたい」
安堵の息を漏らして足を伸ばした。もう逃げ回る体力は残っていない。
息を整えたアメリは、割れたステンドグラスから夕日が差し込む広い教会内部を改めて見回した。
酷い有り様だ。椅子は殆どがなぎ倒されており列柱には戦闘の末だろうか、鋭利な何かを走らせたような跡や、飛び散った血の跡がついている。
アルター教の開祖ペロムの肖像画も首から下が滅茶苦茶に裂かれていた。
すでに白骨化した死体の中には駆けこんできた民衆は元より、白いローブの上に青いストラを首にかけた司祭とおぼしき者やアメリと同じ赤いローブを着こんだ者もいる。
殺戮の場と化したのだろう。彼ら彼女らはアルター教団所属の聖霊術士であり――
(皆を守るために精一杯戦ったのね……)
アメリとは面識がないものの、心が繋がった信徒同志に違いなかった。
(ジーナ、あなたは何の恨みがあってこんな酷い事ができるの。メネス中をシュマの呪詛で覆ってしまうなんて。国を、全てを壊した罪は神も私も絶対許さないッ!)
このような状況は予想していたものの、いざ改まって対面すると目頭が熱くなる。
悔しさに堪えきれず唇を噛みしめたアメリは、首に付けていた三日月を模した大きなペンダントを握りしめ、事件の発端を思い出していた。
邪神の手を受けた者ジーナが国中を恐怖に陥れ、人類の命運を背負った若者二人が国を立った。アメリはあの異様な熱気を今でも肌に覚えているが――
そこで――
(泣いたら駄目。泣くのは、全てを終わらせてからよ)
同時に心の奥底へ封じ込めていた嫌な記憶まで這い出そうになったため、気を入れ替えた。
仲間の亡骸に視線を寄せる。アメリは民衆を守るために散っていった仲間が残してくれたであろう霊護符を拝借するため、教会堂へ入ったのだった。
「死者から物を剥ぎ取るみたいで本当は嫌だけども……アルター様と友よ、どうか私を御許し下さい」
教会再奥の祭壇に置かれている、真っ二つに割られたアルター神へと懺悔する。
そして、重い腰を上げようとした刹那だった。
「わひゃうッ!?」
突然木片が吹き飛び、頭の上を何かが掠めたのだ。アメリは心臓が飛び出そうな心持になりながらも、反射的に距離をとる。
「ヤバッ」
葬民の灰色の手が扉を突き破ったのだ。
(なんで見つかったのよ! 完全に振り切ったはずなのに)
それだけではない。教会の奥からどすっという人が足をつく音もした。アメリは嫌な予感がして後方を見やると、窓から何体かが侵入している。
最悪だった。これでは机等に入っている可能性がある霊護符の方は取り出せない。
後悔する時間はないと、アメリは急いで近くの亡骸のローブを調べたが――
「ちょっとちょっと、全然持ってないじゃない。冗談じゃないわ、こっちはッ!」
一つもなかった。どの聖霊術士も霊護符を所持していない。
アメリの碧色の瞳が揺らぎ、唇がわなわなと震える。考えが甘かったのか――彼ら彼女らは手持ちの霊護符を全て使用してしまった末に対抗手段を失い絶命したなんて考えもしなかった。
攻撃手段を補給するという都合のよい希望は現時点で絶たれたのだ。
(余裕を残すなんてできない! ここで全部使い切らないとっ――て!?」
そう思った矢先。絶望のあまり表情が固まってしまった。
革鞄の口が大きく開いているではないか。もしやと中を弄るも、頼みの綱である霊護符が一枚もなかった。
(ありえない、霊護符はまだあったハズよ。どこへいったのホント何処に!?)
混乱でアメリの頭の中がぐるぐると回る。
そうこうしている間に葬民らの一団は扉を蹴り、破り次々と教会堂の中へ入ってきた。
アメリは目に映る光景が信じられなかった。最初に入ってきた一体が、カビの生えかけたパンを持っている。
「あーッ!? それ私のパン!?」
思わず指差してしまう。それは、アメリの落とし物だった。
「娘、やっぱりここで消えた。おかしいからもう一度来て確かめたらこれ落ちてた。ためしに中見ようと思ったらいた」
「そんな。バカすぎでしょ、私。みんな落としちゃってたってこと」
アメリは自分の間抜け加減に心底嫌気が差した。必死になって走っていたので、革鞄の口を空けていた事や、あまつさえ中身の霊護符、非常食やら地図までごっそりと落としていた事にも気がつかなかったのだ。
背後から複数の殺意も感じる。しかし立ち向かおうにも、肝心の攻撃手段はない。
アメリは足がすくんで、とうとう立ち上がる勇気すらなくなってしまう。
(こんな終わり方ってないわよ。私……こんな、こんなッ!)
彼女にとって大切な存在との思い出が、次々と脳裏に浮かんでくる。
(お兄ちゃん。あなたともう一度話すまでは、生きていなきゃだめなのに!)
アメリに笑いかけるその笑顔が脳裏に浮かび、悔し涙が溢れた。彼女は肉親を見つけるためにここまで旅を続けてきたのだから。
「娘、イく。違う次元へ、イく」
一体が顎をあんぐりと開けて襲いかかってきた。アメリは迫りくる死の恐怖に耐えきれず、ぎゅっと目を瞑る。
(我、アルター神様のご加護と共にありッ)
彼女の信じた神へと祈りことしかできない――
「ヒギャッ!?」
が、無傷のままであった。
(って……あれ、何が起きたの!?)
攻撃に傷つくことなく、代わりに聴こえたのは断末魔の声。ともあれ自分が死んでいないことを認識したアメリは現状を確認すべく、恐る恐る目を開けた。
「へっ?」
そして自身でも驚くくらいに間の抜けた声を発した。迫ってきてたていた葬民の首が胴体から離れていたのだ。眼前にあった脅威がいきなり消え失せてしまったのである。
その一体だけではない。左隣にいた葬民も「何者か」に続けざまに切り伏せられた。
後方の葬民達も口をあんぐりと開けて狼狽えている。
予期せぬ状況を作り上げたのは――
「あれは……」
いつの間にか教会堂内に入っていた男だ。面妖な模様をした仮面で頭部全体を隠しており、大柄な体躯を無数のヒビが目立つ蒼い甲冑に包んでいる。
どこからどう見ても怪しいという印象しかないが、アメリを救ったのは彼に違いない。
その黒い雰囲気をかき消すかの如く青白く光り輝いた透明の剣。片手に担いだそれには葬民の残骸がこびりついているが、それはやがて天に昇るように消失していった。
剣はアルターの霊護符を当てるよりも邪悪な存在への効果は抜群だった。
「ア、アイツだ。アイツからだッ」
「娘は後だ!」
突如現れた敵を排除すべく、窓から侵入してきら葬民らがアメリを無視して仮面の男目掛けて突っ込んでいく。
仮面の男は冷静だった。飛び跳ねてきた者をまずは一刀両断。次に足を払おうとしてきた者に対しては剣を振り落した。最後に天上に張り付き、死角から噛み付こうとしてきた者に対し、初めから行動を予測してたのかのように合わせて突く。
残る三体は、まとめて横一閃。作業のように淡々と行われた戦闘は、両指を数える程の時間で終了した。
仮面の男はふぅと一息吐くと、アメリを一瞥した。
「……」
何かを伝えようとしたのか喋りだしたが、当のアメリは先程から目まぐるしく変化する場面についていけず放心状態だったため。何を言っているか聞き取れなかった。
「もう、駄目」
極限の緊張から開放されたのもあり、ばたんと頭から倒れて気を失ったのだった。
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