勇者だった男

@FUMI@

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生と死と君

ディム

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「つぐッ、うぅぅ、えぅぅう」
 
 ムットの肩に抱えらた聖霊術士の少女は、身体を震わせて声を押し殺し泣いていた。
 先刻、さんさんと降り注ぐ太陽が熱くて目覚めたのだ。
 赤く腫れた目に入ってくるのは、紫色の異様な形状をした木々に囲まれた黄土一色の乾ききった広大な世界だった。
 幾年も昔に建造されたであろう石造りの建造物が所々に立っているが原型を保っているのは僅か。その殆どが何か大きな力によって無理やりなぎ倒されたかの如く派手に倒壊しており、場所によっては蟻地獄の巣を思わせる巨大な穴もぽっかり空いていた。また要所には大勢の葬民が持ち場を警備するように配置されている。
 邪神の血へ穢された緑の中の都市遺跡群――そこは平和だった日々に本で見た古代都市ロンワットだった。
 しかしそんな事は今のアメリにとってどうでもよかった。意識がはっきりするにつれ認識する残酷な現実。担がれているのは自分だけで相棒の姿が見当たらない。
 つまりは――

(殿下がいない。やっぱりこれは夢じゃないんだ。負けたんだね、私達)
 
 ムットとの戦いに敗れた。だから勇者は死亡して現世から消えた。肉体から魂が離れ、輪廻の輪に組み込まれた。
 兄を救出し、メネスの平和と取り戻すと誓い合ったルイ王子はこの世にはいないと。

「ひぐっ、嘘だよね殿下。早く助けてよ。うぐっ、う、ぅうううあうぅぅ」
 
 悲愴と絶望で更に涙が溢れ出る。認めたくないが、認めざるえないのだ。
 アメリの頭の中では自分の命運を考えるよりもルイの顔が浮かぶ。もはや冷静ではいられない。

「お、目が覚めやがったか」
 
 ようやくアメリの泣き声に気がついたムットが、絶望に追い打ちをかける言葉を放った。

「その様子だととっくにわかってるみてェか。俺が殺したんだぜ、勇者はよ」
 
 勇者を殺した――アメリの頭の中で事実でも聞きたくなかったその言葉が響き続け、心にナイフで抉られたような衝撃がはしる。

「拍子抜けしたよ。英雄フェンブルの末裔として民衆の救世主となった男があんなに弱かったなんてな。ジーナの旦那に負けるワケだ、ヴァネッサの馬鹿は油断でもしたんだろう」
 
 ムットはあざけ笑った。そして、少女の悲しみは憎悪に変わる。

「黙りなさい。皆の命運を背負って戦い続けた殿下への侮辱は私が許さない」
 
 希望を断ち切った目の前の亡霊へできる抵抗はただ一つ、泣き叫ぶだけだった。

「手負いを殺していい気になってる小者に勇者を語る資格なんてないわ!」
「手負いねェ。どうりで動きが鈍かったわけか。そんでも、奴が万全だろうが葬民になって尚も増した俺の腕力と偽善神の加護を打ち消した黒天には対抗する術なんてねーだろ。現に霊剣を耐えきったしなァ」
 
 ムットはほくそ笑み、アメリは言葉に詰まった。勇者の戦いが始まる前に気絶したが、強風を発生させるまでに鋭く豪快な一振りと、黒天の聖霊の加護に対する耐性は直接体感しているのだ。その結果が現実になったからこそあってはならない未来が現実となってしまった。
 しかしそれでも彼女には悪意の蔓延る未来など、断じて許せない。

「今に見てなさい。聖アルター神は勇者が命果てようとも、邪神が栄える世界なんて絶対許さない。善の神々は霊魂から再臨して必ず邪神に正義の鉄槌を下すわ」
「ハン。殺してきた雑魚共は似たセリフを吐いて死んでいったけなァ」
 
 ムットは見ろ、と前方を指差した。整然とした街路を通り過ぎると広場とおぼしき開けた場所がある。そこには夥しい数の人間の死体が乱雑に詰まれていた。

「酷い……」
 
 戦いに敗れた同胞達の変わり果てた姿にアメリは憤激の熱い涙を搾った。

「いつだかに俺達を倒そうとメネス南方から攻め込んできた人間共よ。覚悟が決まった面してやがったなァ。全員偽善神の名を叫んで特攻してきたんだ。全員嬲り殺したがな」
 
 アメリは俯いた。もう言葉も出ない。ムットはそんな少女を見て豪快に笑った。
 勝者と敗者のやりとりを交わしている間に死体の海を通り過ぎ、一際大きな四角い建物へ着いた。当時の王宮だ。善の神々のレリーフがいたる所へ施されている。
 階段を上り中へ入っていき、等間隔に配置された燭台の灯りを頼りに石造りの狭く薄暗い通路を進み、開けた空間についた。くまなく燭台を配置して部屋中を照らしているようだ。

「帰ったぜ。いるんだろ、ディム」
 
 誰かの名を呼んだムットがアメリを乱暴に投げる。受け身を取る間もなく冷たい石床に打ちつけられた。もう彼女には痛みに呻く声をあげる気力はない。

「遅かったね、ムット」
 
 ゾクっとする程に冷たい声色が響く。アメリはハッとして部屋の再奥を見た。
 引き裂かれたメネスの国旗が飾られた壁の下。長い釘が突き出た真っ赤な仮面を被り、全身を黒マントで覆った異様な風体の男、ディムがいたのだ。気薄な存在感。声が発せられていなければアメリは彼が部屋にいた事へ気がつかなかっただろう。

「創作に没頭してたから時間は気にならなかったけどね」
 
 古びた木箱の上でしきりと手を動かしているようだ。脇にある祭壇らしき台座には何かが多数置かれている。瞳の焦点が定まり、光景の全容を視認した聖霊術士の少女は、顔面蒼白になった。
 木箱の中は腐った人間の頭部がいくつも入っており、その死肉へ夥しい数の鰹節虫であろう虫がむしゃぶりついていた。ディムはそれを嬉しそうに眺めながら、手に持った奇妙な文様が描かれた人間の髑髏を磨いている。台座へ置かれた何かは、同じように色取り取りの模様がデザインされた髑髏だった。その数は十個以上である。

「驚いた事に勇者は生きてやがったんだ。オレが打ち砕いてやったがな」
「やはりジーナがしくじってたんだね、これだから役立たずは困る。尻拭いご苦労だよ」
 
 棘仮面は作業を中断し、絵具まみれの手でぱちぱちと拍手をしながらムットの方へ近づいたのだが、

「で、ムット。それは一体――お、人間の女の子じゃないか、それも上玉!」
 
 隣にいるアメリに気づくやいなや興奮して身をくねらせながら駆け寄ってきたのだ。

「勇者の連れみてェだ。戦勝祝いさ、煮るなり焼くなり好きにしろや」
「いいねぇ。シュマ様のお役に立ててコレクションも増えた。なんて素晴らしい日だ」
 
 ディムは怯えるアメリの顎を優しく触ると、棘が刺さる寸前までぐっと引き寄せ、形を確認するように頭を撫でた。

「うーん小顔で目がクリっとして鼻筋が整ってて、僕好みの娘じゃないかい。殺しちゃうのがもったいない、でも最高の作品が出来そうだし……うーん、迷うね」
 
 狂気に染まった両眼が棘仮面の穴からアメリを覗いた。

(怖い。誰か助けて。お兄ちゃん、助けてよ)
 
 悲鳴さえ出ない恐怖。アメリは月型のロケットペンダントを握りしめた。
 ヴァネッサとは違うベクトルの異常者である。これから何をされるのだろう。想像できないくらい酷い行為をされてから首を切断され死した後も辱めを受けるのだ。散々哀しい目にあってから人生の最後がこのような終わり方では余りにも酷すぎる。
 放心状態になりつつある少女を尻目に、ディムが何を思い出したか突として手を離す。

「あ、ところでムットさぁ。言い忘れてたんだけど、勇者の死体とってきてくんない?」
 
 ふいに尋ねられたその意図がわからずムットは首を傾げた。

「死体だと。何だ今更戻れってか、めんどくせェ。つーか、お前は女の髑髏だけが欲しいんだろ」
「ゴメンゴメン、シュマ様の言伝があったんだ。今度こそ勇者の死体を献上しろって。失敗したら僕らは連帯責任でアルターの煉獄に放られるそうだ」
「は!? おいおいそれを先に言え」
 
 その名が出たや否やムットは目の色を変えてメイスを担いだ。

「面倒だがシュマ様の命だと話は別だ。ただの怨魂に戻るのだってうんざりだってェのに煉獄行きなんぞ、考えただけでおかしくなりそうだぜ」
「頼んだよ。ジーナの馬鹿と同じ過ちは繰り返したくないからね」
 
 邪神に忠誠を誓う者達の会話が終了。ムットは再び来た通路を急いで戻り、ディムはアメリへと向き直った。

「お待たせお嬢さん。自己紹介がまだだったね。僕はディムって言うんだ。生前は知る人ぞしる芸術家でね。今はこの辺り一帯を治めてる葬民の王様みたいなものかな」
 
 棘仮面は芝居がかった動きで頭を下げると、虚ろなアメリの右手を握った。

「で、お嬢さんの名前は?」
 
 答えない。アメリは俯いたままだった。

「しょうがないか。大事な大事な勇者が殺されちゃったんだもんね、キキ」
 
 ムットは含み笑いを漏らすとアメリに立つよう促した。言われるがままに命令を聞く少女は意志を失っていた。どこを歩いているかもわからない内にある部屋につき、中へ入れられた。

「今手掛けてる作品が終わったら君の番だ。逃げるなんて考えるなよ、外には僕の葬民がうようよいるんだ。へへ、偽善の神にでも祈っておきな」
 
 ムットは上機嫌に立ち去っていった。廊下の燭台で部屋の様子が微かに浮かび上がる。

(お兄ちゃん、ルイ様……私、もう駄目みたい)
 
 アメリは数多の人骨の上で乾いた涙を流しながら、フランクがジーナ討伐へ赴く前に彼女へ送ったペンダントを目一杯握りしめた。

「あ……」
 
 力を込めすぎてペンダントが真っ二つに割れてしまった。しかし、そこに反応して声をだしたのではない。なんと中から細かく折りたたまれた一枚の紙が出てきたのだ。
 チャームが開閉式である事は覚えていたが、はたして何かを入れていただろうか。
 アメリはその紙を広げた。

「え、これって!?」
 
 驚愕のあまり声が上擦る。そして、忘れていた記憶が蘇ってきた。
 虚無を映していたアメリの碧眼には、希望の光が生まれていたのである。
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