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兼平礼人の憂鬱 5
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種を明かせば簡単なことだった。
僕はずっと、彼女が僕と知り合ったのは僕の登録されているレンタル彼氏のサイトを通じて、だと思っていた。でも、それは違っていたのだ。先ほどの彼女と雫さんのやり取りの中で、唯一僕の中で引っかかった言葉、『後をつけてみれば』だ。
僕は後をつけられた覚えはない。というかかなり細心の注意を払っていたと言ってもいい。自慢ではないが、他人の行動の機微には人一倍敏感なつもりだった。後をつけてここを知られたわけではない、とするなら彼女は初めから、ライスシャワーの存在を知っていた、ということではないかと気づいたのだ。
彼女、要詩織はライスシャワーにやって来た僕を一目で気に入り、近づこうとしたらしい。当然そのことに、雫さんは気付いていたようだ。
僕は店内の掃除を終え、再び珈琲を淹れてくれた雫さんの前に座っている。
要詩織は、あの後項垂れるようにして無言で去っていった。
「あの方、要詩織さんは、貴方が来店なさるようになってから、顔を隠すようにしていました」
雫さんは滔々と語りだす。
「偶然を装い貴方に近づいた。貴方のことも調べ上げた」
僕が気付いたのは幾つものピースを彼女が整理してくれた結果だ。
「今朝、彼女は珈琲のお持ち帰りをしたのです。いつも頼むものではなく、珈琲を」
あの時――二つの水筒を出した時の彼女の心情を思い計る。
彼女を――雫さんと自分を比べて――。
「あの二人はご夫婦です」
「え」
「旦那様の好きなフレーバーティーをよくご一緒に頼んでいらした。あの珈琲は、貴方を試すのと同時に、自分の気持ちも確かめようとしていたのではないでしょうか? 珈琲を兼平さんに、もう一つを、旦那様に」
「じゃあ、それを零したのは……」
直前になって、罪の意識にでも芽生えたのだろうか?
――浮気は、罪だよ。
彼女の言葉はそっくりそのまま、彼女の元へと還っていったに違いない。
「このままではこの店の中に不幸な、悪魔が訪れてしまいます。ですから、差し出がましい真似をしました」
申し訳ありません、そう言って彼女は僕に頭を下げた。
「いや、そんなことないです! 僕こそ、ご迷惑をおかけして……」
「あの、これ弁償します」
割れた窓ガラスを指さすと、雫さんは頭を振った。
「いえ、必要ありません」
「でも……」
「これは救いの一環で必要になっただけです。貴方の気に病むことではありません」
食い下がろうかと思ったが、彼女の声には何物も寄せ付けない、強い意志が感じ取れる。
――諦めよう。
「あの……聞いても良いでしょうか?」
「何でしょうか?」
僕は、先程から気になっていたことが二つあった。
どちらを選ぼうか、僅かな逡巡。しかし、どうしても片方の質問をしても、困った顔の彼女の顔が脳裏に浮かんでしまった。今は、もう一つだけでいいか。
「……あの、愛って何でしょうか?」
愛。彼女が口にした言葉。
「要詩織は僕のことを愛してなどいなかった。あの意味が、その……」
「愛とは、無償のものです」
「無償――」
「報われる為ではなく、気が付いたらその人の為に行動している。彼女は貴方を欲していた。それは欲であり、愛ではないのです」
何かを得る為にする行動じゃない。ただ、その人に奉仕する為の、何か。
僕は、誰かの為にそんなことが出来るだろうか?
「貴方は出来ます」
まるで僕の心の声を聴いたかのように彼女は僕に言い放った。
「心に愛のない方は、他人を思いやれませんから」
僕は――。
自分の中に問いかける。誰か愛する人が出来たとして、その人の為に動けるだろうか? 例えば――。
目の前の蒼い瞳の女性を見つめる。
米田雫さんなら。
『それが、報われないものだとしても?』
もう一人の僕がその問いを投げかける。僕の手の届かない、どこか遠くに感じるこの女性の為に、僕は果たして身を投げ出すことは出来るのだろうか、と。
――貴方は出来ます。
彼女の言葉が耳に残っている。それはとても、心地の良い言葉だった。
「ありがとうございました。それじゃ、失礼します」
僕は席を立ち、深々と頭を下げた。
彼女は無言で会釈をし、僕を見送る。
「またのご来店をお待ちしております」
「はい、必ず」
僕は暗い闇の中に、再び足を踏み出した。
いつか、もう一つの質問をすると心に誓って。
僕はずっと、彼女が僕と知り合ったのは僕の登録されているレンタル彼氏のサイトを通じて、だと思っていた。でも、それは違っていたのだ。先ほどの彼女と雫さんのやり取りの中で、唯一僕の中で引っかかった言葉、『後をつけてみれば』だ。
僕は後をつけられた覚えはない。というかかなり細心の注意を払っていたと言ってもいい。自慢ではないが、他人の行動の機微には人一倍敏感なつもりだった。後をつけてここを知られたわけではない、とするなら彼女は初めから、ライスシャワーの存在を知っていた、ということではないかと気づいたのだ。
彼女、要詩織はライスシャワーにやって来た僕を一目で気に入り、近づこうとしたらしい。当然そのことに、雫さんは気付いていたようだ。
僕は店内の掃除を終え、再び珈琲を淹れてくれた雫さんの前に座っている。
要詩織は、あの後項垂れるようにして無言で去っていった。
「あの方、要詩織さんは、貴方が来店なさるようになってから、顔を隠すようにしていました」
雫さんは滔々と語りだす。
「偶然を装い貴方に近づいた。貴方のことも調べ上げた」
僕が気付いたのは幾つものピースを彼女が整理してくれた結果だ。
「今朝、彼女は珈琲のお持ち帰りをしたのです。いつも頼むものではなく、珈琲を」
あの時――二つの水筒を出した時の彼女の心情を思い計る。
彼女を――雫さんと自分を比べて――。
「あの二人はご夫婦です」
「え」
「旦那様の好きなフレーバーティーをよくご一緒に頼んでいらした。あの珈琲は、貴方を試すのと同時に、自分の気持ちも確かめようとしていたのではないでしょうか? 珈琲を兼平さんに、もう一つを、旦那様に」
「じゃあ、それを零したのは……」
直前になって、罪の意識にでも芽生えたのだろうか?
――浮気は、罪だよ。
彼女の言葉はそっくりそのまま、彼女の元へと還っていったに違いない。
「このままではこの店の中に不幸な、悪魔が訪れてしまいます。ですから、差し出がましい真似をしました」
申し訳ありません、そう言って彼女は僕に頭を下げた。
「いや、そんなことないです! 僕こそ、ご迷惑をおかけして……」
「あの、これ弁償します」
割れた窓ガラスを指さすと、雫さんは頭を振った。
「いえ、必要ありません」
「でも……」
「これは救いの一環で必要になっただけです。貴方の気に病むことではありません」
食い下がろうかと思ったが、彼女の声には何物も寄せ付けない、強い意志が感じ取れる。
――諦めよう。
「あの……聞いても良いでしょうか?」
「何でしょうか?」
僕は、先程から気になっていたことが二つあった。
どちらを選ぼうか、僅かな逡巡。しかし、どうしても片方の質問をしても、困った顔の彼女の顔が脳裏に浮かんでしまった。今は、もう一つだけでいいか。
「……あの、愛って何でしょうか?」
愛。彼女が口にした言葉。
「要詩織は僕のことを愛してなどいなかった。あの意味が、その……」
「愛とは、無償のものです」
「無償――」
「報われる為ではなく、気が付いたらその人の為に行動している。彼女は貴方を欲していた。それは欲であり、愛ではないのです」
何かを得る為にする行動じゃない。ただ、その人に奉仕する為の、何か。
僕は、誰かの為にそんなことが出来るだろうか?
「貴方は出来ます」
まるで僕の心の声を聴いたかのように彼女は僕に言い放った。
「心に愛のない方は、他人を思いやれませんから」
僕は――。
自分の中に問いかける。誰か愛する人が出来たとして、その人の為に動けるだろうか? 例えば――。
目の前の蒼い瞳の女性を見つめる。
米田雫さんなら。
『それが、報われないものだとしても?』
もう一人の僕がその問いを投げかける。僕の手の届かない、どこか遠くに感じるこの女性の為に、僕は果たして身を投げ出すことは出来るのだろうか、と。
――貴方は出来ます。
彼女の言葉が耳に残っている。それはとても、心地の良い言葉だった。
「ありがとうございました。それじゃ、失礼します」
僕は席を立ち、深々と頭を下げた。
彼女は無言で会釈をし、僕を見送る。
「またのご来店をお待ちしております」
「はい、必ず」
僕は暗い闇の中に、再び足を踏み出した。
いつか、もう一つの質問をすると心に誓って。
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